人間関係

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ブッダに学ぶアンガーマネジメント 怒りの3つの理由と素敵な解消法

こんにちは。仏教カウンセラーのまよです。

ブッダの知恵に学ぶアンガーマネジメントについて書いています。

これまでは、怒りと上手く付き合っていくには、

まず本質を知ることが大切である理由
怒りの実態
周囲に与える影響と自分に与える影響の問題点

について、具体的に書いてきました。

前回までの内容を読んでいただいただけでも、随分、怒りの心との付き合い方が変わってこられたのではないでしょうか。

今回は、ブッダの知恵からより深く掘り下げて、怒りの本質、怒りのメカニズムに迫っていきます。

怒りはどのようにして起きるのかを知ることで、怒りの心と冷静に向き合うことができるようになります。

すぐに腹を立てることは格段に減り、「しまった…」という後悔をするような言動は、かなり抑えられるでしょう。

本当に大切なことを知る良いきっかけにもなり得ます。

怒りの3つのメカニズム

怒りはどのようにして起こるのか、怒りのメカニズムには3つあります。

・欲が妨げられたとき
・自分が正しいと思っている
・大切な相手だから

今回は1番目の「欲が妨げられたとき」をご紹介します。

怒りのメカニズム① 欲が妨げられたとき

欲が妨げられたときに腹が立つとはどういうことでしょうか。
まず、欲の心について掘り下げてみましょう。

欲は煩悩の1つ

仏教で、欲は煩悩(ぼんのう)の一つであると教えられています。

煩悩とは、私たちを煩わせ悩ませるもの。
それに108ありますから「108の煩悩」といわれます。1人の人に108ずつ煩悩があるのです。

「あの人は、欲が深いから煩悩は200くらいありそうだな」という人でも、「この人は、あまり欲が無さそうだから80くらいしかないのでは」という人も、煩悩の数は108なのです。

除夜の鐘の数は108回ですね。これは煩悩の数に由来しています。

「今年は煩悩によって、煩い、悩まされてきたなぁ。来年こそは、煩悩を少しでも減らして、平穏な日々を送ることができますように」

という願いをこめて鐘を突くのですが、その願いむなしく、煩悩は減ることはなく、毎年、鐘を突いています。

そもそも仏教では、「煩悩具足(ぐそく)の凡夫(ぼんぶ)」といわれます。

「凡夫」は人間のことであり、「具足」は塊ということです。

ですから「煩悩具足の凡夫」とは、“人間は煩悩の塊”ということですね。煩悩に目鼻をつけたようなものが人間であるといわれています。

お釈迦様は108の煩悩の中でも、特に恐ろしい3つを「三毒の煩悩」と教えられています。

貪欲(とんよく)
瞋恚(しんに)
愚痴(ぐち)

1番目の「貪欲」が、欲の心です。

なければ欲しい、あればあったでもっと欲しい。どこまでも広がっていき、底なしに深いものが欲の心です。

これだけあればOKという限界がなく、1つ満たせばもう1つ、と次から次へとキリがありません。

一日中、欲に振り回されているのが私?代表的な5つの欲

お釈迦様は、代表的な欲を5つ教えられています(五欲といわれています)。

食欲(美味しいものが食べたい、飲みたい)
財欲(1円でも儲かりたい、損したくない)
色欲(愛したい、愛されたい)
名誉欲(褒められたい、バカにされたくない、認められたい)
睡眠欲(眠たい、楽がしたい)

私たちは、朝から晩まで、この欲の心をいかに満たすかということに一生懸命になっている
のではないでしょうか。

たとえば、朝、目が覚めたら「布団から離れたくない」という睡眠欲が出てきます。

「このまま寝ていたい」という睡眠欲と「このまま寝ていたら、仕事に遅刻して怒られる」という名誉欲との闘いが始まります。

あるいは「お腹が空いた。朝ごはん食べたい」という食欲が睡眠欲に勝って起き上がる、ということもありますね。

家を出る前には、身支度を整えます。

「どの服を着ていこうかなぁ。これは昨日着たし、あれはこの前着たしなぁ。また同じ服着てるって思われたら嫌だなぁ」と、人からどう思われるだろう、素敵と思われたい、ダサいと思われたくない、という名誉欲がムクムクっと出てきます。

お昼になれば、お腹が空き、食欲の出番です。と、同時に「何を食べようかな。美味しいもの食べたいけれどお金がかかるのはちょっとなぁ…」と財欲も出てきて、食欲と財欲の闘いです。

このように改めて振り返ると、一日中、欲の心に振り回されているなぁと実感しますね。

恐ろしいのは「欲の本性」

この欲の心は、確かに私たちを振り回す、悩ましいものでもありますが、生きていくうえで欲を満たすのは不可欠です。

ではお釈迦様は、なぜ欲の心を「毒」と教えられたのでしょうか。それは欲の本性が恐ろしいからなのです。

欲の本性は「我利我利(がりがり)」であると教えられています。

「我」は私、「利」は利益ということです。だから「我利我利」とは「私の利益、私の利益」、「自分さえよければ他の人はどうなってもいい」という心のことなのです。

余裕があるときには「どうぞ。どうぞ」と他人を優先できますが、余裕がなくなって切羽詰まった状態になると出てくるのが、この「我利我利」の本性です。

ですから、欲の心は、いつでも自分が中心です。

そして、その欲の心が妨げられたときに、カーッと腹が立つのです。

“欲の心が妨げられて”出てくる怒り

私には1歳半離れた弟がいます。恥ずかしいことですが、幼いころは、激しいケンカをよくしていました。

そのケンカのタネは、
「私のプリン食べたでしょ」
「私のアイス勝手に食べた~、このぉ!」
「唐揚げ、お姉ちゃんのほうが1つ多く食べた~涙」

と食べ物のことがほとんどでした。

また、テレビのチャンネル争いや、ゲームのコントローラーの取り合い、お風呂にどっちが先に入るかなど、あげればキリがありません笑

自分が食べようと思っていたプリンを食べられて怒りを覚え、自分が見たいテレビ番組が見られなくてムカムカ、自分がしたいゲームができなくてイライラ、いずれも、自分の欲が妨げられたから腹が立つのです。

そこに少しでも「どうぞ」と弟に譲る気持ちがあればよかったのですが、私の心はまさに「我利我利」で、自分のことしか考えられず、怒り心頭に発していたのです。

今から思えば、姉として情けなかったと反省しています。

怒りの心について悩みを相談された男性(Tさん)は、自宅で音楽や映画を楽しむことが趣味だそうですが、近所で飼われている犬がよく吠えたため、「ゆっくり趣味を楽しめないではないか」と頭にきて、その家に怒鳴り込んだことがあったそうです。

Tさんの奥さんは「犬が吠えるのは仕方がないし、自分の趣味が楽しめないからといって怒鳴りこんだら、近所付き合いがしにくくなるから困るわ」と話されていました。

欲の心は「妻の近所付き合いなど二の次」と自分のことしか考えさせず、怒りは後先考えずに行動させてしまうのですね。

テレビや新聞を騒がせている事件も、欲の心が妨げられ、その怒りから生じているものが多く見受けられます。

自分が快適に運転しているときに割り込みされてカッとなり、あおり運転をする。恋人を奪われて頭に血が上り、嫌がらせし、果ては殺人にまで発展してしまうこともあります。

遺産相続争いで兄弟ゲンカになるのは、お金が欲しいという財欲が本になっています。人前で注意されて「恥をかかされた」と、名誉欲が傷つけられ激怒する人もあります。

このように腹が立つのは、「我利我利」が本性である欲の心が妨げられたときなのです。

怒りのメカニズムがわかると、ブレーキをかけられる

このことが分かれば、カーッと腹が立ちそうになったときに

「待てよ。自分の欲が妨げられたからイラだっているのではないか?」
「自分中心で、ひとりよがりになってはいないだろうか?」
「我を押し通して、本当に大丈夫だろうか?もう少し冷静になってはどうか」

と立ち止まることができるのではないでしょうか。

怒りの正体は、まわりも自分も傷つける「我利我利」の欲。そう心に刻まれ、冷静さを取り戻す一助になれば幸いです。

次回は、怒りのメカニズムの2番目「自分が正しいと思っている」をご紹介します。

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この記事を書いた人

仏教カウンセラー:ま よ

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