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『サピエンス全史』の続編『ホモ・デウス(テクノロジーとサピエンスの未来)』(ユヴァル・ノア・ハラリ 著 柴田裕之 訳)は、35ヵ国以上で400万部突破の世界的ベストセラー。
ニューヨーク・タイムズ紙、ウォール・ストリート・ジャーナル紙、ワシントン・ポスト紙、ガーディアン紙ほか、各紙が大絶賛し、錚々たる人たちが絶賛のコメントをあげています。
例えば……
「以前は考えたこともないような方法であなたを考えさせる」
ダニエル・カーネマン(ノーベル経済学賞受賞者)
「優れた作品である『サピエンス全史』よりも面白く読める、より重要な作品である」
カズオ・イシグロ(ノーベル文学賞受賞者)
「科学技術の終焉か? パンドラの箱が今開く」
山極壽一(京都大学総長)
「人類史と先端テクノロジーを見事に融合した傑作」
佐々木俊尚(作家・ジャーナリスト)
では、どのようなことが書かれているのでしょうか。
重要な部分をピックアップしてみました。
『ホモ・デウス』は、人類が抱えてきた最大の問題から書き起こされています。
最大の問題とは、以下の3つです。
「飢餓」「疫病」「戦争(暴力)」
ところが、人類にとって何千年もの間、この3つが最大の問題だったのですが、最近は違ってきている、といいます。
つまり、
●感染症の死者数よりも、老衰の死者数の方が多い。
●兵士やテロリストや犯罪者に殺害される人を全部合わせても、自ら命を絶つ人がそれを数で凌ぐ。
もう少し詳しく見てみますと……
ルイ14世の時代は、人口の15パーセントにあたる280万ものフランス人が飢え死にしていた。
その他、餓死によって、国の4分の1、3分の1が死ぬこともあった。
ところが2010年に飢饉と栄養不良で亡くなった人は合わせても約100万人。
一方、肥満でなくなった人は300万人以上。
「黒死病」で死んだ人は、20年間で7500万~2億といわれている。
スペイン風邪で死んだ人は、5000万~1億人。
(第一次世界大戦の死者、負傷者、行方不明者の合計は4000万人)
1778年のハワイの人口は50万だったのが、天然痘などにより1853年にはわずか7万人になった。
それが、2014年には、天然痘に感染した人も亡くなった人も0となりWHO(世界保健機関)は種痘の実施を停止。
SARS(サーズ)は、現代の黒死病になるともいわれたが世界中で亡くなった人は1000人に満たなかった。
エボラ出血熱も2015年終息宣言が出された。
(死者1万1000人)
億レベルの死者の時代から考えると急速に医療が発達している。
古代の農耕社会では、死因のおよそ15%が暴力。
暴力に起因する死亡率は、2012年はおよそ1%(62万人)。
一方、自殺者は80万人。
糖尿病で亡くなった人は150万人。
今や砂糖のほうが火薬よりも危険なのです。
このように人類は3000年以上、どの時代も、どの国も【飢餓】【疫病】【戦争】が問題のほぼトップ3にありましたが、この問題が急速に減ってきています。
しかし、大事なのはここからで、これらの問題が解決(減少)しても、なおも、大きな問題が残っていると論じています。
一体、何が問題なのでしょうか。
大きく2つあります。
一つが【死】。
もう一つが、これだけの問題がなくなってもなおも手に入らぬ【幸福】。
この二つが最大の問題となり、これらを克服したとき、人は「ホモ・デウス(神の人・超人)」となるといいます。
(※この場合の「神(デウス)」はキリスト教の創造主ではなく、ギリシャ神話にでてくるような神のイメージ)
さらに、詳しく見ていきましょう。
ハラリ氏は言います。
「世界人権宣言は、『生命に対する権利』が人類にとって最も根本的な価値であると、きっぱり言い切っている」
「死はこの権利を明らかに侵害するので、死は人道に反する犯罪であり、私たちは総力を挙げてそれと戦うべきなのだ」
「死をあっさりと受け入れることはけっしてできないだろう」
「何かしらの理由で人が死ぬかぎり、私たちはそれを克服しようと奮闘する」
このように、「死」は最重要課題となるのですが、、2050年の時点で健全な肉体と豊富な資金を持っている人なら、10年ごとに肉体をアップグレードすることによって、「非死」を実現できる、という説も飛び交っています。
爆弾で体を木っ端微塵にされたり、トラックにひかれたりしないかぎり、死なない人間になれるというのです。
これが実現可能かはともかくとして、大事なのは「もし、そうなったとしたら」というハラリ氏の仮説です。
もし、そんな「非死」を手にしたとしたら
「彼らは史上最も不安な人々になるだろう」
とハラリ氏はいいます。
一体なぜでしょう?
ハラリ氏は、こう書いています。
どのみちいつか命が終わることを承知しているからだ。
だから私たちはヒマラヤ山脈に登りに行くし、海で泳ぐし、通りを渡ったり外食したりといった危険なことを他にも多くする。
だが、もし自分が永遠に生きられると思っていたら、無限の人生をそんなことに賭けるのは馬鹿げている
得るものが大きいほど「失いたくない」という願望は強くなり「失うのでは」の不安は増大するものです。
身近な例でいえば、新品のクツを履いていれば雨の中、舗装されていない泥道を歩きたくはないし、多くのお金を持って満員電車に乗れば、財布をすられないか、落とさないかと不安になります。
たくさんの株を保有すれば、株価の増減で心臓が上下しますし、素敵な恋人を持つほど、取られはしないか、浮気はしていないかと不安になるでしょう。
半永久的に生きられるとなれば、ささいなことで、その命を失いたくないと切に望み、何かのトラブルで死にはしないかという不安は誰よりも強くなるものです。
こう考えると、本当に人が考えるべきは、単なる延命ではなく、死そのものの問題であり、死の不安や恐怖はどこからくるのか、ということではないでしょうか。
仏教では、「死んだらどうなるか分からない不安」を「無明の闇(むみょうのやみ)」と名付け、この無明の闇をどうすれば晴らすことができるのか、無明の闇が晴れたら、どんな幸せになれるのかを教えています。
その入門編として、こちらのPDFと15通のメールが最適と思います。
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※『ホモ・デウス』が問題にするもう一つの「幸福」については、こちらの続編の記事をお読みください。
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