幸せとは

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360度地平線の大草原で想定外の心の洗濯!20歳女性のモンゴル体験記

想定外の「心の洗濯」をした20歳女性の物語

こんにちは。三浦朋子です。

こないだ久しぶりに学生時代の友人に会いました。仕事と子育てに奮闘しながら忙しく過ごしているようで、「毎日、一生懸命生きているけど、常に時間に追われていて落ち着かない。どこか“ひろーいところ”にでも行って、心の洗濯したいなぁ」と語っていました。

充実した日々を過ごしているあなたも、そんな開放感を求めたい気持ちになることが、あるのではないでしょうか。

今回、紹介するのは、実際に「広い場所」へ行って、想定外の“心の洗濯”をした20歳女性の体験記です。

彼女の“心の洗濯”とは、どんなものだったのでしょう。

モンゴルの大草原を車で6時間!

その女性とは、宮園瞳さん。宮園さんが選んだ「広い場所」は、モンゴルでした。

360度、どの方角を向いても地平線。吹き抜ける風に、何億という草が揺れている。そんなモンゴルの大草原が、物語の舞台です。

以下は、宮園さんの語ったことです。


私がモンゴルを選んだのは、大学で、遊牧民の男性トゥブシンさんと知り合ったからです。彼の故郷・ハラホリンの草原を訪ねることになりました。

首都ウランバートルの市街地を出てしまえば、あとは果てしない草の海です。デコボコ道を車でどれだけ走っても、対向車を見掛けることはありません。

6時間ほど走った頃でしょうか、ようやくマッシュルームのような草原の家=ゲルが見えてきました。沈みかけた太陽が地平線を赤く染めています。この平原をジンギスカン時代を思わせる遊牧民たちが、今も疾駆しているのです。



(草原の家=ゲル)

その夜、泊めてもらったのは、友人の兄トールガさんのゲルでした。ゲルの外幕は羊毛でできた真っ白なフェルトで、触れてみると分厚く柔らかい。これを簡単な骨組みの上にドーム状にかぶせ、床は草地に絨緞を敷いて休みます。いかにも移動性住居らしい。そこに家族5人のほか、近所の人々まで集まって、私を歓迎してくれました。

遊牧民の人たちは、話し方や動作が鷹揚で、年を重ねると、百騎や二百騎くらい引き連れる精悍な武将顔となるそうです。

ボーブ(揚げ菓子)、ウルム(乳製品の一種)、羊肉が並ぶ。家長からドンブリで出されたアイラグ(馬乳酒)は、とりわけ衝撃的で、初体験の味でした。

ほの暗い明かりの中、酒を回し飲みしながら、順々に客人へ祝福の言葉を述べます。モンゴル人は詩才豊かなのか、どの人の挨拶も、詩的で情感があふれていました。やがて、誰からともなく歌を歌い出し、その哀調を帯びた歌声は心にしみました。

アリガリの煙立ち上る
牧民の家に生まれた私
故郷の草原を
揺りかごだと思う
この人こそモンゴル人
故郷の愛する人よ
生れ落ちたこの大地を
自分の身体のように
愛しく思い
産湯にした清らかな川を
母の乳のように懐かしく思う

(チミド作 中里豊子訳)

モンゴルの歌は、草原をたたえたり、父母への感謝を詠ったものが多いようです。素朴ですが、ストレートな詩情に心を打たれました。軽い酔いと、旅の疲れから、その夜は、そのまま眠りについたのです。

終生、忘れえぬ体験

耳元で鳴く牛の声で目が覚めました。天窓からはまぶしいくらいの光の束。草原に朝が来ました。

朝食を済ますと、10歳になるドルジ君が、羊たちを囲いから草地へ連れ出していました。ここでは子供たちも立派な働き手です。自在に馬を操るドルジ君に、馬の乗り方を教わりました。草原では、学校の勉強より、馬を操る技術のほうが、よほど重要といえるかもしれません。


父親のバトさんは、壊れたラジオを直していました。時間になれば放牧に出ます。食事時間は特に決まってなくて、おなかのすいた時に食べていました。日本にいた時のように何かに追い立てられることがなく、そのせいか、ゆっくり時が流れているようでした。

母親のチメグさんを手伝い、モンゴル風肉まんを作ることに。食用にした牛や羊は、骨から血の一滴まで上手に使い切り、ゴミは出しません。

定住する民族と違って、必要な時に、必要な場所へ居を移す、風のような生き方をしてきた彼らは、生きていくのに必要なものだけを手に入れ、使い切ります。無駄のない、ある意味、合理的ともいえる生活スタイルが確立していました。

その夜、終生、忘れえぬ体験をしました。

ふと目が覚めて、腕時計を見ると午前2時。小さな天窓から星の光が降り注いでいました。その神秘さに引き寄せられて外へ出ると、頭上には満天の星!日本の田舎で見るような星空とも違っていました。まるで天球に頭を突っ込んだみたいな感じです。あらゆる星座が、挑みかかるように強い光を放っています。モンゴル高原の空気は乾燥して水蒸気が少ないため、無数の星が瞬きもしないのです。

しばらく歩くと、闇にも目が慣れ、薄ぼんやりとした大草原が浮かんできました。動いているのは私だけ。地球上に私だけ、たった一人、という感覚でした。風が止むと、一切の音の絶えた『無』の世界。時間さえも止まり、怖いような無限大の空間がありました。

その時です。眼前の草原が、無数の人々が、現れては消えていった壮大な墓場に見えたのです。音もない、すさまじい風が、全身を吹き抜けていきました。

ホストマザーとの予期せぬ出来事

草原で遊牧民と1週間ほど過ごしたあと、私はウランバートルの町へ戻りました。

そこで、予期せぬ出来事に遭遇しました。お世話になっていた家のホストマザーが重い病気にかかり、入院していたのです。

お見舞いに行くと、自分の体が大変なはずなのに、草原から戻ってきた私をあたたかく迎えてくれ、帰りには、食べ物や飲み物を持たせてくれました。まるで本当の母親のように、優しく愛情を注いでくれたのです。

しかし、それから数日後、治療の甲斐なく、あっという間に亡くなってしまいました。まだ50代でした。

モンゴルと日本は、生活様式も、食べ物も、言語も、価値観も、違うものばかりです。しかし、そんなものを超えていくことがあったんです。

それは、〈出会った人とは、必ず別れる時が来る。人は皆、必ず死んでいく〉。

この現実は、民族も習慣も文化も、そんなもの、かるがると超えていきました。


私は、かつて親戚の葬儀に参列した時に耳にした言葉を思い出していました。

「それ、人間の浮生なる相(すがた)をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期(いちご)なり」

「朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて、夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり」

「すでに無常の風、来たりぬれば、すなわち二つの眼(まなこ)たちまちに閉じ」

言葉の意味が気になってインターネットで調べると、蓮如上人の書かれた「白骨の御文章」の一節と分かりました。その全文を1行1行読んでいくと、日本にもモンゴルにも全て通じることばかりでした。

〈出遇った人とは必ず別れる時が来る。人は皆、必ず死んでいく〉

大草原の遊牧民であろうと、高層ビルの並ぶ文明社会で暮らす人々であろうと、全く変わらない人間の真実でした。

遊牧民も高層ビルで暮らす人も変わらない「なぜ生きる」の答え

日本に帰国した私は、仏教の話が聞いてみたくなり、講座に足を運ぶようになりました。

仏教には「人は必ず死ぬ」ことがハッキリと説かれています。しかし、それだけではありませんでした。「人は、必ず死ぬのに、なぜ生きるのか?」の答え、生きる意味、人生の目的が明かされていることが分かったのです。

あの夜、モンゴルの大草原の風は、私に「どんな人も、無常の風に吹かれて死ぬ時が必ず来る。古今東西、いつの時代どこに生きる人にも通じる、これが普遍的な真実なんだ」ということを教えてくれたのでしょうか。

私は今、大草原の遊牧民も、高層ビルで暮らす人々も変わらない、「人は、必ず死ぬのに、なぜ生きるのか?」の答えを、仏教に学んでいます。

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