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「自分はこの世の中で必要とされているのかな?」と悩んだこと、皆さんにはありませんか?
〝今まさに悩んでます。こんなことを考える私はおかしいですか?〟という人もあるかもしれませんが、いいえ、決してあなただけではありません。インターネットにも、同様の声があふれています。
この中の1つでも、あなたの気持ちと当てはまったなら、ぜひ、この続きを読んでいただきたいと思います。
〈オレの存在意義なんてないよ〉
そんな声を聞くと親友の高校時代を思い出す、と語るのは、東京の銀行員・佐野元紀さんです。
佐野さんは広島県の出身で、今も故郷にいる親友・神田さんについて、
「彼は、学校の成績はわりと優秀なほうだったと思いますが、いつもどこか無気力でした。でも、高校を卒業してから1年ぶりに再会した時は、別人みたいにエネルギッシュになってて驚いたんですよ」
と語っています。友人の神田さんに、一体何があったのでしょうか。詳しく取材すると、「生きてる意味はあるのか?」と悩みを抱える私たちが、幸せになれるヒントがありました。まずは、佐野さんに話を聞いてみましょう。
神田とは、中学時代からの友人です。違う中学でしたが、同じ学習塾に通っていました。たまたま同じ高校に進学して、仲良くなりました。
彼は、勉強はまあまあできるんです。でも、何かに一生懸命取り組む感じではなかった。
部活動も、適当に入っておくかーという感じでバドミントン部に誘われて、私にも深い考えはなかったので、一緒に入りました。練習はそれなりに、ゆるーくやっていました。
神田が、みんなとワイワイ騒いでいた記憶もないですね。むしろ、他人と距離を置いている感じでした。とにかく、いつも無気力に見えました。
私は言われたことはなかったのですが、何人かの友人から聞いたのは、テスト勉強していたり、体育祭の準備に張り切っていたりすると、「そんなに一生懸命やって、何になるんや?」みたいなことを神田から言われたそうです。頑張っている人を見ると冷やかしたくなったんでしょうね。
高校を卒業して、2人とも県外の大学に行きました。神田は大阪、私は東京でした。
1年くらい経った頃、彼から「明日、用事で東京に行くけー」と電話があったので、翌日、久々に会いました。
するとまあ、しゃべるしゃべる。顔中を口にして、イキイキと。
〈あれ?神田ってこんなキャラじゃったっけ?〉と戸惑いながらも聞いていると、
「最近、仏教を聞いとるんじゃ。人生には目的があるんよ。それを教えているのが仏教なんや!」。
〈オレの存在意義なんてないし、一生懸命生きてどうする〉と無気力だった男が、人生を熱く語っている!?
「実は明日、仏教セミナーが開かれるけー。それで東京に来たんよ。佐野君も一緒に行こう」
突然、仏教のセミナーに誘われたので驚きましたが、私の広島の実家は寺町にあり、幼い頃から寺が身近な存在だったので、仏教に悪いイメージはありませんでした。〈神田を変えたなんて、どんな話なんかな?〉と気になったので、半日だけでも行ってみることにしたのです。
高校までは「人生に目的は無い」と思っていました。分からないから「無い」としか思えなかっただけなんですが、そう思うようになったきっかけは、3歳までさかのぼります。
3歳の時、脳腫瘍を患っていた兄が、わずか8歳でこの世を去りました。私は幼すぎて、「死ぬ」ということがよく分かりませんでしたが、両親や親戚が泣いて悲しむ姿に驚いたことは覚えてます。
それからも、兄のことが時々思い出されました。何度も手術して「頭が痛い」と苦しむ姿。だんだん衰弱していく姿。死んでいく姿――。
〈どうして悲しいのだろう?〉
その意味を考え続け、5、6歳くらいになって分かってきたのは、「やがては自分も兄と同じように死んでいかねばならん」ということでした。
「君の未来をズバリ当ててやろう。君、死ぬよ」
クラスメイトを捕まえては、そんなことを言って驚かせてみるものの、本当は自分が一番、死を恐れていました。
〈人は必ず死んでいかねばならない。この限られた命で、何をすれば満足できるのか?〉
答えを探すべく、周囲の大人たちを観察するようになったのですが、すぐに「当てにならんな」と悟りました。毎日必死に働く両親は、いつも疲れていて、ケンカが絶えませんでした。祖父母は寄る年波に勝てず、体の自由がきかなくなって嘆いてばかり。大人たちに聞いても、答えは無さそうでした。
やがて、「頑張ったところで、死んでしまえば意味もなくなるのだから」といろんな苦労をあきらめてしまったのです。中学生の頃には、『ギネスブック』を愛読していたのですが、世界一の大記録に憧れたわけではありません。「そんな世界一になったところで、死んだら意味なんかないのに」と確認したくて読んでいたようなものです。
高校は進学校でしたが、勉強にも価値を見いだせず、効率よく済ませて、まあまあの成績を取ればいいと思っていました。学校行事も面倒で、体育祭などもサボりました。受験勉強に励む人、体育祭にやたら張り切る人などを見ると、
「大学に入るためだけの勉強に、そんなやる気を出して何になるの?」
「どうせ死ぬのに、楽しいか?」
とつい言ってしまう。たいがいは「やる気無くすようなこと言うなやー」と笑われましたが、別に冗談のつもりじゃなかった。やがて死んでしまえば、受験勉強も体育祭も意味なんてない。17、8歳の一番いい時期に、そんな意味のないことやっててどうすんの?って疑問を投げかけたかっただけです。
友達も、やがて失うなら最初から持たないほうがいいと思って、深く付き合おうとしなかったのですが、中学時代から知っている佐野君とは、比較的よく話をしていました。彼は、言われたことをコツコツと地道にこなすタイプですが、どこか冷めていて、そういうところが厭世的な自分とは合ったのかもしれません。
親元を離れたい思いから、卒業後は大阪の大学に行きました。そこで知り合った先輩から、ある日、セミナーに誘われて、軽い気持ちで参加したのが仏教との出会いでした。
「最近、仏教を聞いとるんじゃ。人生には目的があるんよ。明日、一緒に聞きに行こう!」
神田さんの勢いに押されて、セミナーに参加することになった佐野さん。親友を変えた仏教の話とはどんなものだったのでしょうか。
再び、佐野さんに語ってもらいました。
翌日、神田に教わった会場に行くと、セミナーは既に始まっていました。テーマは、日本の有名な古典『歎異抄(たんにしょう)』だったと思います。
生きることが楽しく、幸せなことならば、誰も「なぜ生きねばならないの?」と思いません。生きること自体が大変で、苦しいから、
「私は何のために生まれてきたのか」
「何のために生きているのか」
「どんなに苦しくとも、なぜ自殺してはいけないのか」
と問わずにいられないのです。
私たちは決して苦しむために生まれてきたのではありません。生きているのでもありません。すべての人は、幸福を求めて生きている。これに異論はないでしょう。
仏教では、幸福と言われるものを2つに分けます。相対的幸福といわるべきものと、絶対の幸福といわれるものです。
相対的幸福とは、一時的な喜びや満足をいい、続かない、やがては必ず、悲しみや苦しみに転化する幸福をいいます。日々、私たちが求めている生きがいや喜びです。
これらの幸福は、今日あって明日なき無常の幸福です。常に壊れはしないかという不安がつきまとっていますから、本質的にいっても、真の幸福とはいえないのです。
たとえ大禍なく続いたとしても、死に直面すれば、総崩れになること必定です。しかも私たちは、死の運命から逃れることはできませんから、このような幸福で、心からの安心満足が得られるはずがないのです。
もう一つの「絶対の幸福」とは何か。
有名な古典『歎異抄』では、「無碍の一道」といわれ、一切が障りにならない幸福をいいます。仏教を聞き、この絶対不壊の幸福になることこそが、すべての人の生きる目的である、と明らかにされたのが、仏教を説かれたお釈迦様なのです。
「絶対の幸福は死に直面しても崩れない幸福じゃけえ。初めて聞いた時、オレが今まで求めてきた答えが仏教にあったんや!とうれしかったなあ」
セミナーの後、神田はまた熱っぽく語っていました。
私は、生きがいは一時的な喜びや満足、という話が特に心に残りました。大学のサークルでもバドミントンを続けていましたが、やっている時は楽しいのですが、後は何も残らない。満足感がないなー、とうすうす感じていたからです。
その後も、たびたび神田と会って話を聞きました。というか、彼が一方的に話していることが多かったのですが……。会うたびにますます活動的になっていると感じていました。
しかし、私が銀行に就職してからは、毎日仕事に追われるあまり、神田と会う時間もなくなってしまいました。
「今度、近くでセミナーが開かれるけど、久々にどう?」
神田から再び誘いの電話があったのは、30代半ば、職場でも中堅になり、生活にも少し余裕が出てきた頃でした。当時は転勤で兵庫県にいました。
広島から会いに来た神田は、さらにエネルギッシュになっていました。今は家業を継ぎ、営業の仕事で人と話すのが楽しくてしょうがない、と言っていました。〈オレの存在意義なんてない〉と他人と距離を置いていた高校時代からは想像もつかない、自信に満ちあふれた姿でした。
その彼が、10年以上変わらずに聞いている話なら信頼できると思いました。神田の姿と論理的な話に引かれて、もっと仏教を知りたくなったのです。
「今も神田と会うと、『今度、同級生の○○を誘って、一緒にセミナーに行こうと思うんや』などと話が盛り上がります。私も、彼が声をかけてくれたおかげで仏教に遇えたので、感謝してもし切れないなと思っているんですよ」
「オレにも存在意義がある」と心晴れる仏教セミナー。東京だけでなく、全国各地で開催されています。
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