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AKB48『恋愛無間地獄』の歌詞の意味が深い!

AKB48『恋愛無間地獄』の歌詞が人気!

AKB48の9thアルバム『僕たちは、あの日の夜明けを知っている』が、2018年1月24日に発売され、さっそくオリコン・週間CDアルバムランキングで1位となりました(2月1日)。このアルバムには、新曲『恋愛無間地獄』(作曲:前嶋康明、作詞:秋元康)が収録されています。

HKT48の指原莉乃(25)が1月18日、東京ドームシティホールの初ソロコンサート、アンコールではじめて披露しました。本来は、指原とNGT48の荻野由佳(18)、AKB48の込山榛香(19)との3人組ユニットで歌う曲ですが、この日は、同郷・大分出身の大御所歌手、南こうせつ(68)がサプライズ登場。みごとなデュエットとなりました。

失恋の切なさ、苦しさがにじみ出た歌詞が、さっそく人気のようです。ネット上には、次のようなつぶやきがあふれています。

・『恋愛無間地獄』は切なくて良曲
・『恋愛無間地獄』とっても良きでした
・『恋愛無間地獄』苦しさや辛さがあるけど、でも愛してるって感じ沁みるなぁ
・『恋愛無間地獄』好きな世界観だな
・『恋愛無間地獄』なんかねー、好きになる予感。今までにない莉乃ちゃんの感じだもん。鬼リピートして聴こうっと。

AKB48『恋愛無間地獄』の歌詞から変化を読み解く

さて、この『恋愛無間地獄』では、何度も失恋を繰り返し、抜け出せない女性心理が切々と歌詞につづられています。主に、20~30代女性の恋愛心理を歌っており、今までの「“僕”“君”ソング」ではないという点が特徴的です。

「“僕”“君”ソング」とは、秋元康作詞の歌詞の特徴をあらわしたもので、一人称が“僕”で二人称が“君”の歌詞が多いところからこのように名づけられています。

たとえば、AKB48の代表曲『フライングゲット』、『ポニーテールとシュシュ』などは、主人公の“僕”が、“君”に恋をする内容の歌詞となっています。他にも、『ヘビーローテーション』『Everyday、カチューシャ』『ギンガムチェック』『真夏のSounds good!』など、多くの曲に登場するパターンです。

いわば、“僕”が中高生男子で、“君”はその同級生の女子という設定で、“僕”をファンに、“君”をアイドルに置きかえ、「好きなアイドルが自分の気持ちを歌ってくれている!」と、ファンが共感できる歌詞になっているのです。

しかし、AKB48が誕生して13年。当初のターゲットからファン層が広がり、今やAKB48は国民的アイドルグループとなっています。最新の調査では、30代から50代の大人ファンが多めになりました。こうしたファン層の成長、変化にあわせて、歌詞も変化してきているといえます。

AKB48『恋愛無間地獄』の歌詞、正しい読み方と意味は?

永年、アイドルグループをヒットさせ続けてきた秋元康の歌詞は、大衆の声を代弁している、といってもよいでしょう。

その秋元康が作詞したAKB48の新曲、『恋愛無間地獄』には、タイトルを見ても分かるとおり、仏教の言葉が使われています。不確定な時代を生きる私たち、指針を求めて仏教の言葉に関心を持ち始めている世相を、敏感に感じ取ってのことかもしれません。ただ、一般には耳慣れない言葉のため、ネット上には、こんなつぶやきがありました。

・『恋愛無間地獄』ってどうして無限地獄って書かないの?
・そういえばアルバム曲『恋愛無間地獄』無限じゃなくて無間だからググった。勉強になった。

まず、正しい読み方は「むけんじごく」。無限(むげん)ではなくて、無間(むけん)です。苦しみの休まる間の無い地獄と書きます。死んだあとの苦しみの世界です。人は、死ねばどうなるのか。遅かれ早かれ、必ずぶち当たる未来です。

「無間地獄」は、インドの言葉で「阿鼻地獄」といいます。新聞などに、悲惨な事故現場を「阿鼻叫喚地獄」と報じられることがありますが、苦しみが絶え間なく続き、「苦しい、苦しい」と、叫ぶジゴクです。絶えず苦しみがやってくる最悪の世界と説かれています。

木の葉が「落ちる」のと違って、地獄へは「堕ちる」の字を使います。苦しい状態におちいって、抜け出せない状態のことです。現代の言葉でいえば、「ハマる」に、ニュアンスが近いかもしれません。

ですから、歌詞の中にも、

恋愛無間地獄
途切れることないこの苦しみ
堕ちてく無間地獄

と書かれているわけですね。

AKB48『恋愛無間地獄』中の「カルマ」の意味は?

また、

きっと 私気づかないうち
カルマ 背負ってたのね

という歌詞もあります。

カルマとはもともと仏教の言葉で、業と訳されています。仏教では「ごう」と読みます。インドの言葉でカルマといい、「行為」のことです。

ゴウという言葉の響きからか、「あの人は業な人(運の悪い人)だ」「私ほど業な者(不幸な者)はない」などと、悪い意味で使われていることが多いようです。

しかし、業とは、悪い行為だけをいうのではありません。善い行いは「善業」、悪い行いは「悪業」といいます。

「行為」と聞くと私たちは、身体の行いだけをいうと思いがちですが、仏教の「業」は三方面から教えられています。これを身・口・意(心)の「三業」といいます。

三業の中で最も重く見られるのは何でしょう。一般には身や口で他人に分かるような悪事をしなければ誰もとがめませんが、仏教では「心(意業)」を重視します。心の思うことに従って口が言い、身が行うのですから、最も重いのは心です。口や身は心の命令に従って動くのであり、心こそが私そのものなのです。

仏教の根幹・因果の道理では、私たちの身口意の行為(業)が、目に見えない不滅の力(業力)となって残り、その業力が「因」となって、種々の「縁」と結びついて、私たちの運命(結果)を生み出す、と説かれています。

AKB48『恋愛無間地獄』の歌詞から思い出す仏典に説かれた地獄

AKB48『恋愛無間地獄』の歌詞から思い出したのが、「刀葉林(とうようりん)地獄」という名前の地獄です。仏典に説かれる「刀葉林地獄」には、愛欲に溺れる人間の裸形が露出されています。

この地獄へ堕ちた人がふと見ると、天を摩すような大樹がある。葉は刃のごとく鋭く、焔を噴いている。樹上には好みの異性が、満面笑みを浮かべて、自分を手招きしている。罪人のかつての恋人ではないか。
恋しさのあまり、いても立ってもおれず、その人は我を忘れて木に登っていく。
すると刀葉が降ってきて、罪人の肉を割き、骨を刺し、全身血だるまになるが、情欲は一層激しさを増す。
やっとの思いで近づいて、満身の力で抱きつこうとすると、相手は忽然と消えうせて、今度は樹の下から誘う。
愛恋の情ますます燃え盛り、樹を下りようとすると、地上に落下した刀葉が、今度は逆に上に向かって牙をむき、ズタズタに肉を刻み、骨を削る。絶叫する痛みだ。
ようやく地上に下りると、想い人の姿はそこにはない。樹上からまたも呼んでいる……。

かくて限りなく登り下りを繰り返す地獄であると説かれています。別れては恋しく、会えば敵同士となって傷つけ合う。満たされなければ渇き、満たせば二倍の度を増して渇く。恋愛の実態を表して余すところがありません。仏教の意味からいえば、曲名を『恋愛刀葉林地獄』としたほうが正確かもしれませんね。

AKB48『恋愛無間地獄』の歌詞の意味が深い!のまとめ

ここまで、AKB48の新曲、『恋愛無間地獄』の歌詞を見てきましたが、いかがだったでしょうか?

失恋の苦い経験は、誰でも持ち合わせているもの。そこから抜け出せずに、苦しんでいる人が少なくないからこそ、失恋をテーマにした曲が共感を呼び、多くの人に受け入れられるのでしょう。まさに、愛とは巨大な矛盾であり、それがなくては生きられず、それによって傷つくもの。恋は甘い花ですが、それをつむには、おそろしい断崖のはしまで行く勇気がなければなりません。

では、この傷、苦しみから抜け出すには、どうすればよいのか?

地獄の苦しみを教えたのが仏教なら、その解決を教えたのも仏教。
こちらの記事が、そのヒントになるかもしれません。

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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