居場所がないと悩んで、答えを見つけるまで
コロナ以降、遠出を控えていましたが、先日、あるイベントに招待されたので、思い切って出かけてきました。
慣れない場所での緊張と、久々の長距離移動で、帰宅後はグッタリ……。
「ヤレヤレ、やっぱり家がいちばん」と思いました。
何の気兼ねもいらず、ありのままに振る舞える所こそ、私の「居場所」といえるのではないでしょうか。
ところが今、そんな「居場所」がない、と悩んでいる人が非常に多いのです。
居場所がないって、結構みんな悩んでる
インターネットを調べると、特に中高生の女子が多く悩んでいるのが分かります。
ほんの一例を紹介すると、
◎中学生女子。自分の居場所がなくて毎日孤独で、寂しくて、ひとりぼっち。自分の性格も容姿も何もかも大嫌い。
◎中学2年生。不登校になりたい。グループには一応入ってるものの教室移動や昼休みは、私を無視して2人でどこかに行ってしまう。しょうがなく、違うグループに無理やりくっついているけれど、その人たちからも迷惑そうな顔されます。
◎どこにも自分の居場所がないことに気付いてしまいました。ここから私がいなくなったとしても、誰かが代わって穴を埋めるだけ。誰からも必要とされてない。でも、そんなこと考えるのは甘えてるだけと言われそうで、誰にも話せなくて苦しいです。
居場所を作ろうと努力しても……
しかも、ただ嘆いているだけでなく、居場所を作ろうと懸命に努力している人たちもたくさんいるのです。
◎高校生。「居場所は自分で作るものだ」と聞き、私もいろんな人に、ありのままに話しかけていきました。でも、だめなんです。どこにいっても、何をしても、私の隣には誰もいません。取り繕うわけでもなく素直にありのままでいられる居場所が欲しいだけなのに。
◎幼い頃から、どこか寂しく、孤立を感じて、充たされない自分がいました。今は、子供はいませんが、主人と、少ないながら友達もいます。でも、ふと行って、お茶して、たわいも無い話をして、昼寝して……という、そんな居場所がない。サークルにも参加してみるものの、なかなか打ち解けられず、結局、長続きしません。
また、中には、
父や兄弟から暴言を吐かれたり、無視されたり。母も見て見ぬふりです。最近はすごく死にたい気持ちでいっぱいです。この心のもやもや、できればなくしたい。もう死にたいと思いたくないし、家にまで居場所を失いたくない。
このような深刻な悩みもありました。
「居場所」とは、何なのでしょう?
どこかにあるものか?自分で作るものなのか?
かつて同じように悩み、本当の「居場所」を探し続けた女性を紹介しましょう。
居場所がないと悩んできた高橋さんの場合
これから紹介するのは、石川県の高橋小春さん(仮名、30代)です。
現在は、事務員として働き、ステキなパートナーにもめぐり会って幸せな日々を送っています。
しかし、かつては「家にも学校にも居場所がない」と悩み、死にたいとさえ考えていた時期があったそうです。
「私の居場所とは?」
高橋さんが、答えを見つけるまでの心の旅路を、語ってくれました。
まぶしすぎた外の世界
最初の記憶は、5歳の幼稚園の時です。
それまでずっと家中心で過ごしてきた私にとって、初めて触れる外の世界でした。
同じ年代の子たちと、最初はとても楽しく遊んでいました。
しかし、友達が近くでコソコソと話していたりすると「自分の悪口を言われているのではないか」という思いにとらわれたり、先生や友達の、表情の変化やしぐさ、言葉がとても気になるようになったのです。
傷つくことも、また、人を傷つけてしまうことも怖くなり、次第に幼稚園で自分から話すことができなくなってしまいました。
目の前で友達が楽しそうに遊んでいて、本当は仲間に入りたいのに、隅で固まっている毎日。私には外の世界は刺激が強すぎて、怖いという思いしかありませんでした。
家では親の顔色をうかがってばかり
幼稚園に行きたくない。
けれど、両親は働いているし、自分が幼稚園に行かないと両親が困るだろう。
家でも親の顔色をうかがい、この世のどこにも居場所がない、と感じるようになりました。
それは小学校に入学しても続きました。そんな私についたあだ名は「野口さん」。アニメの『ちびまる子ちゃん』に出てくる、無口で大人しく、地味で暗い女の子のことです。
ほんの些細なことで傷ついてしまう自分。他の子とは何か違う。
なぜ他の子はあんなに楽しそうにできるの?
私もみんなと同じようにしゃべったり、遊んだりしたいのに、なぜ私は普通にできないの?
普通にできない自分なんて生きていてもしょうがない。早く大人になって早く死にたい。そんな思いで、毎晩、布団に入って、独り泣いていました。
ようやくできた居場所、でも……
でも自分で死ぬのは怖いし、生きていくしかない。
生きていくためにはもっと強くならないといけない、と思いました。
もっとおおらかになろう。鈍感力を鍛えなくては! とにかく「気にしない」「大丈夫」「成るようになるさ」といつも自分に言い聞かせていました。
幸い、小学1年から中学3年までクラス替えがなく、同じメンバーと過ごすことができました。小学校高学年になると、スポーツ少年団のバレー部にも入りました。
こんな私にも友達ができ、その安心感がプラスに働いてか、家でも学校でも、だんだんと明るく振る舞えるようになっていきました。
ようやく居場所ができた気がしました。
ところが、新たな悩みに直面することになったのです。
居場所がないと悩み続けて分かった意外なこと
居場所がないと悩んできて、ついに見つけた答え
転機が訪れたのは、大学生の時でした。ある日、「なぜ生きる」というテーマの講演会があるので聞きにきませんかと声をかけてくれる人があったのです。
「人は、なぜ生きるのか」
ずっと考えてきたことだったので、ぜひ知りたいと思い、大学近くの会場に足を運びました。それなりに広い会場で、ちょうど用意されたイスが埋まるくらいの人がいました。年配の方の姿もありましたが、同年代の若者が多かったのが意外でした。
間もなく、40代後半くらいの男性が前に立って話し始めました。
この時聞いたのは、だいたいこんな話です。
すべての人は、幸福を求めて生きています。
これに異を唱える人はないでしょう。
だから、「何のために生きていますか?」と聞かれれば、「幸せになるため」といえるでしょう。
実は「幸福」に2つあるのをご存じでしょうか?
「相対的幸福」といわれるものと、「絶対の幸福」といわれるものの2つです。
相対的幸福とは、例えば、好きな人と結婚できた喜びとか、永年望んでいたマイホームを新築できた満足など、日々、私たちが求めている生き甲斐や喜びといわれるものです。
「相対」とは、比べて分かる、という意味があります。重い軽い、高い低い、優劣、美醜、貧富など、他のものと比べて初めて評価がハッキリします。
そんな相対的な知恵しか持たない私たちは、自分の幸せについても、常に誰かと比較しないと、幸・不幸を実感できないのです。
しかし、たとえ他人より優れた幸せを手に入れても、やがては色あせ、崩壊し、悲しみや苦しみに転じてしまいます。
どんなに素晴らしい人と結婚しても、相手がいつ病に倒れるやら、死ぬやら分かりません。
心変わりして不仲になり、破鏡の憂き目にあい、骨肉相食む争いをしなければならないかもしれません。
また、一生、汗と膏で築きあげたマイホーム。平屋の隣家より、2階建てのわが家のほうが立派だと胸張っていたのが、一夜のうちに灰になり、悲泣している人もあります。
今日あって明日なき無常の幸福には、常に壊れはしないかという不安がつきまとっていますから、真の幸福とはいえないのです。
かりにしばらく続いたとしても、全て失う時が必ず来ます。
それは、人生の終末です。
私たちは、死の運命から逃れることはできませんから、相対的幸福で心からの安心や満足が得られるはずがないのです。
〈確かに……人と比べて喜んでいる幸福ばかりだなあ〉
小さい頃は、他人と比べて、自分はみんなと同じようにできないと苦しんでいましたが、友達と同じようにできるようになったらなったで、せっかくできた居場所を失いたくなくて、無理して明るく振る舞っていた。そんなかつての自分を思い出しながら、お話を聞いていました。
居場所がなければ、不安になって居場所を求める。
居場所ができたら、失いはしないかとまた不安になる。
居場所があってもなくても、結局、安心や満足がないのは同じだと気づいたのです。
これから就職して、結婚して、子供ができて、と一般的に幸せと思える人生を歩めたとしても、たぶん心から満足はできないんだろうなあ、と思いました。
じゃあ、どうしたら幸せになれるの?と思っていると、講師の男性が続けてこんな話をしたのです。
相対的な幸福に対して、「絶対の幸福」とは、どんな事態が起きても、絶対に変わらない、決して壊れない安心・満足・喜びをいいます。
なぜ生きるのか?
それは「絶対の幸福になるため」と教えるのが仏教です。
〈続く幸福なんて、本当にあるのかなあ?〉
疑問に思いながらも、話の続きが気になり、続けて講演会に参加することにしたのです。
本当の居場所がここにあった
しばらくして、こんな仏教の言葉を知りました。
「無碍(むげ)の光明は、無明の闇を破する慧日(えにち)なり」
私たちは皆、「無明の闇」という真っ暗な心を抱えている。仏さまの智慧によって、その闇が晴れ、明るい心にガラッと変わる、と教えられた言葉です。
必死に抵抗していた、奥底にある真っ暗な心。そんな心を抱えている私なんて普通じゃないと思っていたけれど……。分かってもらえる所がここにあった! 独り泣いた日々も無駄ではなかった、と感動しました。
仏教に出会う前は、真っ暗な迷路を独りさまよっているような感覚がいつもあって、不安で何かに怯えていたような気がします。でも今は、自分の進むべき方角をハッキリ指し示してもらい、また、同じ目的に向かってともに学ぶたくさんの友達がそばにいて、不思議な安心感に包まれています。
「家にも居場所がない」と思っていた時期もありましたが、今は両親にも心から感謝できるようになりました。
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