宇垣アナ「私には私の地獄がある」に広がる共感

味のある発言で「闇キャラ」人気を呼び、注目を集めた元TBSの宇垣美里アナウンサー。
2018年8月5日放送の「サンデージャポン」のVTR出演では<最近あった嫌なこと>を聞かれ、自身の発言について、ネット上で「いやいや、生きててすみませんとか思ったことないでしょう」「むしろ、どんな幸せな人生生きてんだよ」といった書き込みを目にしたことに触れ、こうコメントされていました。
その人それぞれに地獄があると思うんですよ。私には私の地獄があるし、あなたにはあなたの人生の地獄があるのだから「他の人には幸せなことしかない」なんて、そういう風に思わないでよ、と思いますよね
地獄と聞くとちょっとびっくりしますが、日本語に訳せば「苦しみの世界」の意味ですから、「私には私の苦しみがあるし、あなたにはあなたの苦しみがある」ということですよね。私は素直に共感しました。
ネット上でも
「サンジャポの宇垣アナの発言は、すごい深かった」
「自分には自分の地獄があって、人には人の地獄がある、その人の地獄がどんなものなのか、他人には分からないよね」
と共感の声が広がりました。
今回はこの言葉から、理想の幸せのカタチを考えてみたいと思います。
宇垣アナの言葉は万国共通~人それぞれに地獄がある
時代劇でおなじみの水戸黄門・光圀は、
という歌を残しています。
「水のうえをすべる水鳥は、スイスイ気持ちよさそうに見えるが、 水面下では、絶え間なく足を動かしている。私も人知れず、心の休まることはない」
裕福な家に生まれ、人もうらやむ立場にあれば人生、楽ばかり……とはいかず、持てる人は持てる人で、さまざまな憂苦を抱えているのが、ほんとうではないでしょうか。
事実、はたからは「何の苦もなき」ように見える人が「足にひまなき思い」に苦んでいることを、私たちは幾度となく見聞きしています。
2003年、フランスの三ツ星レストランのシェフで、世界的に知られたベルナール・ロワゾー氏が自ら命を絶つという悲しい出来事がありました。
ロワゾー氏は、常連ではない客が店に訪れるたびに、一般客を装って調査にきたミシュランガイドの調査員ではないかと恐れ、不安発作に襲われていたそうです。
世界的に最も権威あるミシュランガイドで星がつけば、たちまち人気店となり、お客さんは殺到します。まして最高の3つ星を獲得すれば、何ヵ月先まで予約が埋まり、世界中の国の要人や芸能人も訪れる人気店になるでしょう。
ミシュランの星は、シェフにとっての目標、あこがれであり、いつかミシュランに認められるような味を、と日々研究を重ねているはずです。
ところが一方、ミシュランの星がつくことで、精神的に追い詰められるシェフが少なくないといわれ、「ミシュランの呪い」という言葉があるそうです。
ロワゾー氏も、生前から「もし星を失うようなことがあれば、自殺する」と口にし、ミシュランの星を失うことへの恐怖感で、年々精神的に追い詰められていったようです。
ミシュランに限らず、こんな「呪い」は、そこかしこにあるのではないでしょうか。
という宇垣アナウンサーの言葉は、万国で通じそうです。
宇垣アナの言葉から考える、なぜ有っても無くても地獄になるのか?
宇垣アナウンサーの言葉から連想するのが、仏教の「有無同然」という四字熟語です。
「有っても無くても苦しみは変わらない」という意味で、金や物、美貌や才能などが、無い人は無いことで苦しみ、有れば有ることで苦しむ。ちょうど無い人は鉄の鎖で縛られ、ある人は金の鎖で縛られているようなものだ、と説かれています。
金や物、美貌や才能などが、ある人も無い人も、ともに苦しんでいる、というのがブッダの視線なんですね。
でも、これって私たちの常識に反していますよね。金や物、才能や美貌があれば幸せになれる、というのが、私たちの幸福観の常識だからです。
それなのに、「有っても無くても苦しみは変わらない」とは、なぜ、そんなことになってしまうのでしょうか。
4つの視点から考察してみましょう。
1、夢見られた幸せと、手にした幸せには落差がある
仕事で成功したり、何かの頂点を極めれば、幸せや喜びにあふれるにちがいない、と私たちは知らず知らず信じていますが、その思い自体が幻想かもしれません。
例えばジョン・レノンの次の言葉は有名です。
「ビートルズは、ほしいだけの金を儲け、好きなだけの名声を得て、何も無いことを知った」
あるジュニアバンタム級世界王者のボクサーは、子供の頃、世界チャンピオンはスーパーマンのような存在で、そんな凄い場所に辿りついたら一体どんな凄い幸せになれるだろうと、それ1つを励みに厳しいトレーニングに耐えてきたといいます。ところが、チャンピオンになってみたら、あるはずのものが何もない。「エッ、何なのこれ? なんで、何もないんや?」と、そのことを表現していました。
あなたも似たような幻滅の深い傷を負った経験は、ないでしょうか。
2.「有る」ことはすぐに当たり前になって、喜びは続かない
たとえ夢見たとおり、「今まで生きてきた中でいちばん幸せ」という幸福感を味わうことがあっても、その喜びは、手にした瞬間から風化し始めるさだめにあります。
欲しかったグッズを手にいれた喜びも、志望校に合格した喜びも、優勝や金メダルの喜びも、何カ月も何年も、「ずっと続いている」ということはありませんよね。しばらく時間がたてば、「過去の喜び」になり、それが「当たり前」になって、今を楽しくさせる力を失います。
3.本当にほしいものは手に入っていない
持たない人からは、うらやましいものを持っている人も、もっと上と比べれば、喜ぶ気にはなれないでしょうし、「たまたま一あれば、また一を欠く」で、すべてが思いどおりにそろうことは考えられません。
しかも、人がうらやむようなものを持っている人にかぎって、そのことにあまり価値をおいておらず、むしろ、その人が持ちあわせていないものに価値をおいていたりすることは、よくあるのではないでしょうか。
4.無いときには知りえなかった、有ることで背負う重荷がある
そして何より、幸せや成功を手にした人は、無いときには知りえなかった、有ることの苦しみや重荷を背負うということです。
憧れの業界に入ったものの、入ってみたら、こんな大変な現場だったのかと、現実を知らされ苦しんでいるという方も現にいらっしゃるでしょう。
また、先の「ミシュランの呪い」もその一例ですが、横綱・稀勢の里の引退に「横綱は頂点だけど崖っぷち」といわれる理由をみた人も多いのではないでしょうか。
横綱になるまでは、挑戦者の苦しみはあるでしょうが、同時に頂点を目指す夢や希望もあります。けれど横綱になれば、あとは優勝か引退しかありません。だから、頂点だけど崖っぷちの重圧と闘うことになる、といわれます。その苦しみは、その立場になってみないと、うかがいしれませんが、横綱には横綱の地獄があるにちがいありません。
古代メソポタミアにも、
麦をたくさん持っている者はうれしいだろう。
だが、何も持っていないものは眠れるだろう」
という格言があったといいます。いにしえから人は「有ることの苦しみ」も味わってきたのでしょう。
このような、有る人も無い人も苦しんでいることに変わりはない事実を「私には私の地獄がある。あなたにはあなたの地獄がある」と表現した宇垣アナウンサーの言葉は、じつに、幸せの本質をついた一言だと思います。
そして、私たちの知る幸せが「有無同然」の性質をもっているということは、無から有への努力では、いっとき幸福感は得られても、心から満足する幸せは得られない可能性が高いことも示しているのではないでしょうか。
宇垣アナの言葉から考える。では理想の幸せはどこにある?
ならば、私たちの幸せの常識を「有無同然」という一言で破る仏教は、私たちが幸せになる方法を、どのように示しているのでしょうか。気になるところです。
それには人生を苦しみの色に染める元凶を正しく診断することが必要でしょう。それによって、治療のあり方も決まってくるからです。
じつは、私たちが幸せになれない「ほんとうの原因」は、お金や物などの有る無しとは、別のところにある、と仏教は診断しています。それは何でしょうか。
人生を苦に染める元凶、それは「己の暗い心にある」というのが、仏教の答えです。
例えば熱病の人は、どんな山海の珍味も味わえないように、心の暗い人は、どんな幸福も味わえないと、ブッダはいいます。
どんな幸せを得ても、有無同然で苦しみから離れ切れない原因は、己の「暗い心」にある。この「暗い心」はもちろん、特定の人だけ抱えるものではなく、私もあなたも、例外なく、すべての人間が抱えている「闇」のこころです。
その闇が破れたとき、人間に生まれたことを心から喜べる、本当の幸せになれると教えてくれるのが仏教なんですね。
それはどんな幸せなのか、どうしたらその闇が破れるのか、などについて、もっと知りたい方は、ぜひ、お近くの仏教セミナーや講座に参加してみることをおすすめします。いま、幸せについて勉強するなら、仏教がいちばんです。
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