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ありがとうの語源と本当の意味が感動的!【決定版】ありがとうの「すべて」

ありがとうの語源(由来)と本当の意味をご存じでしょうか?

こんにちは、オサジマです。
「ありがとう」の語源をご存じでしょうか? 実は、「ありがとう」の語源と本当の意味には、あたなにとってとても大切な意味が込められているのです。いったいどんな意味なのでしょう?

「ありがとう」は人気ナンバー1の言葉

「ありがとう」という言葉は色んなランキングで1位に選ばれています! 例えば……

  • 21世紀に残したい言葉ランキング 1位
  • 彼氏に求めている言葉ランキング 1位
  • 子供が大人からいわれてうれしい言葉ランキング 1位

「ありがとう」の5文字には、とても魅力的で強いパワーが秘められているのですね。
実際、「ありがとう」の言葉をもらうと嬉しくなりますし、他人に「ありがとう」というと幸せが深まります。
心が疲れてしまった人に対しても「ありがとう」が一番いいのですね。
老若男女問わず、みんな大好きな言葉が「ありがとう」です。

さて、そんな「ありがとう」という言葉ですが、その語源をご存じでしょうか?
語源を知ると、もっと「ありがとう」の素晴らしさを知ることができます。

ありがとうの日

「ありがとうの日」も存在します。

いつかご存じでしょうか? 「ありがとうの日」は3月9日。サンキュー(ありがとう)で3月9日なのです。

では、日本語の「ありがとう」の語源の前に、いろいろな国の「ありがとう」の語源について、簡単に紹介いたしましょう。比較すると、日本語の「ありがとう」の意味の深さを、より感じていただけると思います。

世界の「ありがとう」の語源(由来)

ポルトガル語の「ありがとう」の語源(由来)

ポルトガル語で「ありがとう」は「オブリガード (obrigado)」。
なんとなく響きが似てますよね。

「おぶりがど」⇒「あぶりがと」⇒「ありがと」⇒「ありがとう」

おおっ! 「オブリガード 」が「ありがとう」になりました。
ここから「オブリガード 」が「ありがとう」の語源ではないかという、まことしやかな説があるのですが。ポルトガル語が日本に伝わったのは16世紀ですから、それ以前にあった「ありがとう」の語源にはなりえないですね。

「オブリガード (obrigado)」は、動詞「obrigar(義務づける)」の過去分詞が語源だそうです。
ですから「恩義を受けている」という意味になります。恩を受けている相手に「ありがとう」という気持ちを伝える「ありがとう」といった心でしょうか。

英語の「ありがとう」の語源(由来)

英語の「ありがとう」は、「サンキュー(ThankYou)」ですね。

サンキューはサンク・ユーで、ユー(you)は「あなた」ですが、サンク(Thank)の語源はご存じでしょうか?。
ここでちょっと重々しいですが、哲学者ハイデッガーさんにご登場いただきましょう。
語源にこだわる哲学者ハイデッガーさんによりますと「think」の古英語のthencan「思考する」と「thank」の古英語のthancian「感謝する」の語源のルーツは同じだと言っています。(『思惟とは何の謂いか』 創文社『ハイデッガー全集』第8巻)

つまり、サンク(thank)はシンク「think」(考える、思う)に通じ「サンキュー(ThankYou)」は、「あなたのことを思ってますよ」ということであり、「あなたからのご恩(親切)を忘れていませんよ」といった心なのでしょう。

ドイツ語の「ありがとう」の語源(由来)

ドイツ語の「ありがとう」は「ダンケ(Danke)」。
ドイツ語は、英語と同じゲルマン語派で、ありがとうの語源も英語と同じ関係です。
つまり、「ありがとう」を意味する「ダンケン(danken)」も、「デンケン(denken:考える)」と語源が同じなのです。

フランス語の「ありがとう」の語源(由来)

フランス語の「ありがとうは」メルシー(merci)。
メルシーは英語の「慈悲」を意味する「マーシー(mercy)」と同じ語源で、ラテン語の「メルセデス(merces,edis)」。
そう、あの「メルセデス・ベンツ」の「メルセデス」ですね。「恩恵」という意味です。
やはりご恩を受けて「ありがとう」という心のようです。

イタリア語の「ありがとう」の語源(由来)

イタリア語のありがとうは「グラーツィエ(grazie)」。
語源はラテン語のgratia。これも「恩恵」の意味。英語の恩恵「グレイス・grace」の語源でもありますね。有名な歌「アメイジンググレイス」のグレイスです。

スペイン語の「ありがとう」の語源

スペイン語の「ありがとう」は「グラシアス(gracias)」。これもイタリア語と同じで語源はラテン語のgratia。

韓国語(ハングル)の「ありがとう」の語源(由来)

韓国語(ハングル)の「ありがとう」は、「カムサ(感謝)ハムニダ(します)」。
「カンシャ」と「カムサ」、すごく似てます。
実際、カムサ(감사)は「感謝」という漢字をハングル書きした言葉です。(これを「漢字語」と言います)。漢字語はハングル文字が開発される前から中国大陸から伝わり、使われていたそうです。

中国語の「ありがとう」の語源(由来)

中国語の「ありがとう」は、「シエシエ(謝謝)」。
この「シエシエ(謝謝)」には、「すみません」という意味でも使われるようです。
何かしてもらった後なら「ありがとう」。前なら「すみません」。
日本語でも「謝」は「感謝」の「謝」でもあり、「謝(あやま)る」の「謝」でもありますよね。

「謝」は「言」と「射」の二つによってできています。「言」は文字どおり、言葉に出して「言う」ことであり、「射る」は張り詰めた弓から矢が放たれて緩(ゆる)んだ状態を表すそうです。つまり「謝」とは、言葉に出すことによって心の緊張が緩んだ状態をいうのです。
感謝したい気持ち、謝りたい気持ちを「ありがとう」「すみません」と言葉に出すと、心が緩みます。それで「謝」には「ありがとう」と「すみません」の二つの意味があるようです。

では、お待たせいたしました。次に日本語の「ありがとう」の語源(由来)です。

ありがとうの語源(由来)は仏教にある?

実は「ありがとう」の語源は、仏教に由来するといわれます。
お釈迦様が説かれた「盲亀浮木(もうきふぼく)の譬え」に「ありがとう」の語源があるのです。
それは、お釈迦様が、阿難というお弟子になされた、こんなたとえ話です。


「そなたは人間に生まれたことをどう思っているか」

「大変喜んでおります」

「では、どれくらい喜んでいるか」

「どれくらいと申しましても……」

「では、人間に生まれることはどれほど有難いか、たとえをもって教えよう」

そう仰られ、お話しされたのが盲亀浮木の譬えです。

「果てしなくひろがる大海原を思い浮かべるがよい。その底深くに、目の見えいない一匹の亀(盲亀)がいる。その亀は100年に一度、海面に顔を出す。
一方、海面には一本の丸太棒が浮いている(浮木)。その丸太の真ん中に拳くらいの大きさの穴が空いている。丸太は波のまにまに風のまにまに波間をただよっているのだ。阿難よ、この眼の見えない亀が、浮かび上がったとき浮木の穴に、ひょいと頭を入れることがあるだろうか」

「さようなことはとても考えられません」

当然でしょう。太平洋のような広い海ですから、亀は日本の近くにいて、丸太はアメリカ近辺に浮いているかもしれません。
風呂の底からピンポン玉を浮かび上がらせて、浮かばせている小さなおもちゃに狙いを定めても、簡単には当たってくれません。
まして、この亀は目が見えませんので、丸太の穴どころか丸太自体を目指すこともできないのです。しかし、お釈迦様はなおも尋ねられます。

「絶対にないと言いきれるか」

絶対にないか、といわれれば、一応、亀の頭が入る穴は開いているのですから「絶対ない」とは言いきれません。

「確かにないとはいいきれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」

「ところが阿難よ、人間に生を受けることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなのだよ


「有り難い」とは「有ることが難しい」ということで、めったにないことをいいます。
人間に生まれることは、それほど喜ばねばならないことだと、お釈迦様は教えさとされているのです。
これが「ありがとう」の語源です。
では、人間に生まれることがどれほど難しいか、他の生き物と比較して考えてみましょう。

「ありがとう」の語源(本当の意味)に見る、人間に生まれた“有り難さ”

人口が爆発的に増えたといっても70億を超えた程度ですが、他の生き物の数は比べものにならないくらいの数です。例えば……

マンボウが一度に産む卵の数

3億

これだけで日本の人口の二倍以上ですね。

アリの数

約一京(一兆の一万倍)で、すべてのアリの重さを計算すると、全人類の総重量に匹敵する
『蟻の自然誌』バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン共著

昆虫の総数

百京にも上るといわれる

人間の人口を上乗せして百億にしても、昆虫の数(百京)は、一億倍になります。単純計算すると、人間に生まれる確率は昆虫の一億分の一です。

もちろん昆虫以外にもたくさんの動物がいます。

動物の種類

名前がついているだけで120万種。未発見のものを含めると、870万種に上るという説もある
(海洋生物学者ボリス・ワーム氏らの研究)

全生命の総数ともなると、もはや計り知れません。
もし、自分が、あのアリの行列の一匹、ハエ、蚊だったら……。
そう思うと、人間に生まれることが、いかに困難で有り難いか、お分かりでしょう。

では「ありがとう」の反対語は何でしょう? 次に「ありがとう」の反対語についてお話ししましょう。

ありがとうの反対語は?

「ありがとう」の反対語は何か。
答えの1つが「あたりまえ」です。

「有り難い」の逆だから「あたりまえ」。

夫なんだからそれくらいしてくれてあたりまえ。
親なんだから子供を養ってあたりまえ。
子供なんだから親のいうことを聞いてあたりまえ。

「あたりまえ」という心から「ありがとう」の感謝は生まれませんね。
出てくるのは不平不満ばかり……。
これでは幸せも逃げていってしまいます。

何より、人間に生まれたことは、あたりまえどころの話ではありません。
しかし、そこまで考えが及ばず、人間に生まれたことを、あたりまえに思い、恨み呪いがち。
人間に生まれたことを有り難く感じ、親に心から「生んで育ててくれて、ありがとう」といえる身になりたいものです。
次に、心から「ありがとう」と言えない理由について考えてみましょう。

「ありがとう」が心から言えない理由

「産声を聞いた時、
 赤ちゃんが生まれた喜びで
 体中が熱くなり、
 涙があふれて止まりませんでした」

ある母親の言葉です。
誰もが祝福されてこの世に生を受けました。人間に生まれたことを、みんなが「おめでとう」と歓迎したのです。
ところが歓迎された当の”主人公”は、成長するにつれて、人生の荒波にもまれ、「何で生まれてきたのだろう」と生まれたことを後悔し、「なぜ俺を生んだ!」と、親を恨む人さえあります。
人生を「ハズレくじ」のように思っているのでしょう。
本当は、誰もが、人間に生まれたことを心の底から喜びたいはず。
作家・太宰治は小説の中で、登場人物にこう言わせています。

幸福の足音が、廊下に聞えるのを今か今かと胸のつぶれる思いで待って、からっぽ。ああ、人間の生活って、あんまりみじめ。生れて来ないほうがよかったとみんなが考えているこの現実。そうして毎日、朝から晩まで、はかなく何かを待っている。
みじめすぎます。生れて来てよかったと、ああ、いのちを、人間を、世の中を、よろこんでみとうございます。

太宰治『斜陽』

なぜ生まれ難い人間に生まれたことを喜べないのか。
それは「人生の目的」を知らないからだ、と仏教で教えられます。
何のために生まれてきたのか。
何のために生きているのか。
なぜ苦しくても生きねばならないのか。
この人生の根本問題に真正面から答えたのが仏教なのです。

人身(じんしん)受け難し、今すでに受く
仏法聞き難し 今すでに聞く
この身 今生(こんじょう)に向って度(ど)せずんば
さらにいずれの生に向ってかこの身を度せん (お釈迦様)
(意訳)
生まれ難い人間に生まれることができてよかった。
生まれてきた意味が説かれている仏法をよくぞ聞くことができた。
何が何でも今生で本当の幸せにならなかったら、一体いずれの生で救われようか。永遠のチャンスは今しかないのだ。

人身とは人間のこと、今生とは、生きている時、現在のことです。「人身受け難し、今すでに受く」とは、「生まれ難い人間に生まれることができてよかった」「よくぞ人間に生まれたものぞ」という生命の大歓喜です。
人間に生まれることが、いかに有り難く、喜ばねばならぬことか。
そう、お釈迦様は教えられているのです。

本当の「ありがとう」は人生の目的を達成してこそ……

「人間に生まれたのはこれ一つのためであった」と人生の目的が果たせた時にこそ、
「人身受け難し、今すでに受く」
「人間に生まれてよかった!」
という幸せに満ちた心があふれでます。

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