【百億光年の孤独】早稲田美桜の世界(三月十一日)
吾輩は、龍一郎の腰にしがみつき、振動とエンジン音に身を任せていた。曲がりくねった道を、重心低く登り続ける。景色がドンドン後ろに飛んでいく。夜道を照らすヘッドライトと飛び飛びに立っている街灯以外ほとんど明かりらしきものは見当たらない。たまに光る小動物の目と夜景が見える程度だ。
やがて速度が下がり、開けた場所でバイクは止まった。エンジンが切られると同時に静寂な世界が訪れた。
眼下に、壮大な夜景のイルミネーションが広がっている。天上にはパノラマに展開する星の煌(きらめ)き。天と地の光の共演に魅了される。
童心に返り、二人で草原に寝っころがる。まるで地球を寝床にし、大宇宙を見ているようだ。異世界に迷いこみ、二人きりで銀河に漂っている錯覚に陥る。
いつまでもこうしていられたら……。
その願いは、《これが最後かも》との切なさに醜く歪められた。それは、心の奥をたまらなくさせる。せめて今夜だけはずっと一緒にいたいという気持ちと、早く帰った方がいいという気持ちが複雑に入り乱れた。
突然、「スギヤマアキラを知ってるか」と龍一郎が夜空を見ながら訊いてきた。
「ふむ、スギヤマアキラ、知らんな」
「百億光年の孤独という詩を書いた人だ」
「谷川俊太郎の二十億光年の孤独なら知っているが」
「まあ、百億光年でも二十億光年でもいいんだが、孤独っていうのは心の状態によって全く意味が変わるよな」
ねっころがったまま龍一郎がこちらに身体を向ける。
「〝一人〟いて、寂しい人もあるし、〝一人〟が心地よい人もある。
恋人に振られたアイドルは、東京ドームいっぱいのファンから愛されても孤独だったりする。だから〝独り〟というのは本来、心の問題だよな。〝独り〟を著す言葉も色々ある」
「うむ、寂寞とか、孤高とか」
「ああ、
寂寞
寂寥
悄然
こういうのはどっちかというとマイナスの意味の〝 独り〟だな。
それに対してプラスの意味の〝 独り〟は
孤高
超然
寂静」
「ふむ」
「英語でもそうだ。
lonely(ロンリー)とsolitude(ソリチュード)は違う。lonelyは心が満たされない独りぼっちの淋しさ。solitudeは、だれにわずらわされることなく独りになること。
周り中、友人に囲まれていても、lonelyな人は淋しいし、一人いても solitudeなら淋しくない。
ちょうど音楽でも、ソロ演奏(solo)っていうのがあるが、あの〝ソロ〟にマイナスイメージはないだろ。そんなsoloの状態を solitude(ソリチュード)っていうんだ。それはいってみれば誰の力も借りずに一人でやれるってことだ。
だからlonelyとsolitudeは同じ〝独り〟でも、意味が全く違う」
「孤独論をひたすら語る龍一郎はまさに〝 SOLO(独演)〟だな」
二人の顔に小さな笑みが浮かんだ。
「でもな、難しいのは、一人で感ずるときの孤独じゃなくて、二人いて感ずる孤独の方だ。これは龍男じっさまがよく言ってたことなんだが、実際、そう思う」
そこで言葉が途切れた。
龍一郎の言葉は吾輩に向かって語られたようでもあったし、自分自身に言い聞かせたようでもあった。
〝二人いて感ずる孤独〟
それは一人の男性を愛して初めて知る心。
一人で感ずるのとは異質の〝淋しさ〟。
いつも一緒にいたいのに、一緒にいれない〝淋しさ〟。ぎゅうと抱きしめてもらいたいのに叶わない〝淋しさ〟。一緒にいても自分のことをどう感じてくれているのか分からず、どうしようもなく不安に感じる〝淋しさ〟。そして……。
アトリエで言えなかったことを思い出し、胸がギュッとなる。
すぐ隣にいるはずの龍一郎が、何億光年の星よりも遠くに感じられた。
龍一郎は夜空を見上げたままだ。
永遠を思わせる夜空の下、二人いて感ずる孤独……。
切なさに全身が浸され、身体が冷たくなった。
二人で、何億光年とも知れぬ彼処から届けられた輝きを静かに眺めていた。
「ミオ」
何か決意した響きを持つ声が聞こえた。
じっと龍一郎がこちらを見ていた。
暗くて表情がよく分からない。
ただ、真剣なものを感じた。
「しばらく、ニューヨークに行くことになる。ハズキの母親がかなりやり手でな、絶好の場が与えられそうなんだ。秘密にしてて悪かったんだが、ニューヨークで個展が開けるかもしれない。それで、この数カ月は鬼のように忙しかったんだ」
「長くなるのか」
「おそらく。ただ一時的に帰ることはあると思う。その時は土産を買ってきてやるよ」
「土産はいい。帰ったら、ショパンを弾いてくれ」
「ハハッ。よほど気に入ってくれたんだな。今年のイヤリングや口紅のプレゼントは不評だったようだったが」
「悪いがそういうのは性に合わない」
「たまにはおめかししてみろよ」
「考えておく」
龍一郎は小さく笑い、しばらくこちらを眺めていた。
「向こうからは絵葉書を書いてやるよ。メールも送るが、古風なやり方もいいだろ」
「いや」
自分でもおかしな返事だった。混乱し、眩暈を感じた。顔を天の方角に戻し、そっと目を閉じる。
『ノクターン二番』が耳の奥で聴こえてきた。それは異世界から聴こえる哀しい響き。払っても払っても、そのメロディーは繰り返された。
どれくらいの時間が経ったのだろう。ぼんやりと瞼を開けた。
「なあ」と声をかけ、再び龍一郎の方を向いたとき、夜空がガラスとなって割れた。そこには、胎児のように身体を丸め、うずくまっている龍一郎の姿があった。
「龍一郎!」
「だいじょうぶ、だいじょうぶだ」
聞いたこともない龍一郎の弱々しい声。
「どこが痛むのだ?」
「たいしたことない。わるいもんでもたべたんだろ」
龍一郎はかすれ声でやっとやっと言葉にした。直後、激しく咳き込み、ゴボリと嫌な音とともに何かを吐き出した。風にのって鉄臭い匂いが漂う。
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