幸せとは

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ダ・ヴィンチ×仏教 AI時代に求められる本当の幸せにいたる道(第1回)

こんにちは、齋藤勇磨です。

今回は、年末特集として、今話題の、2名の著者との対談を企画しました。

1人は、レオナルド・ダ・ヴィンチの研究者である「桜川Daヴィんち」さん。ダ・ヴィンチ没後500年の今年、ルーヴル美術館をはじめ、様々な美術館でダ・ヴィンチの特別展が組まれました。そんな中、桜川さんは今年9月に『超訳 ダ・ヴィンチ・ノート』(飛鳥新社)を出版し、ラジオやネット記事でも、最近ダ・ヴィンチと桜川さんの名前をよく見かけるようになりました。

もう1人は、アマゾン30部門で1位・人気度ランキング1位のベストセラーとなった『人生を変える 第3の幸せ』の著者、筬島正夫(おさじま・まさお)さん。「本当の幸せ」で検索1位の記事を書き、人呼んで「幸福の専門家」と言われています。

AI時代に向けて加速した今年、改めて「人間とは」「幸せとは」と問われる機会が多くなりました。

また、AI時代には、専門分野を極めたスペシャリストが淘汰されやすく、ダ・ヴィンチのようにマルチな才能を持ち合わせ、様々なジャンルのものを創造できる人間が求められるといわれます。

そんな今年を締めくくる特集にふさわしい、2人の対談。一体、どんな内容になったのでしょうか?3回連続の特集、第1回は、ダ・ヴィンチの活躍を支える「自尊力」の謎に迫ってみたいと思います。

桜川さんがダ・ヴィンチに関心を持ったきっかけとは?

齋藤:まずはじめに、お二人のプロフィールを紹介します。

■桜川 Daヴィんち さん
100冊を越える資料を分析して、ダ・ヴィンチの思考を解明し、自ら実践するのみならず、仕事に活かすコンサルなども行う、生粋のダ・ヴィンチ・マニアにしてダ・ヴィンチ研究家。イタリアにある6つのダ・ヴィンチ博物館を訪れたり、定価数十万円もするダ・ヴィンチの手稿のファクシミリ版を所有するなど、ダ・ヴィンチにまつわる経験やコレクションも豊富。

■筬島 正夫(おさじま まさお)さん
1970年 長崎県生まれ。キリスト教の大学(関西学院大学)を卒業後、浄土真宗の講師になる。高校時代、後輩の死をきっかけに、「あってもなくてもいい1日を積み重ねたら、あってもなくてもいい一生に終わってしまう」と気づき、「本当の幸せ」をテーマに文学、哲学、心理学、宗教を徹底的に学ぶ。大学では宗教社会学を専攻し、迷信の怖さや新興宗教のデタラメさを痛感。同大学で、アインシュタインなど多くの科学者が絶賛する仏教の素晴らしさに触れ、本当の幸せにたどり着く。拝金主義、物質過剰主義が蔓延している世界に疑問を抱き、「人間に生まれてよかった」という本当の幸せを伝える日々を送っている。ネコをこよなく愛する平和主義者。

おさじま:そもそも、桜川さんがダ・ヴィンチに興味を持ち始めたのは、何がきっかけだったのですか。

桜川:今から8年前、ルーヴル美術館に行ったことがきっかけです。ルーヴルには、35000点を超える美術品が展示されていますが、私の足を唯一止めさせた絵、それがダ・ヴィンチの人物画でした。その人物画の目力や手の仕草にとても魅了されたのです。その絵の中に、何か不思議なメッセージが秘められているのではないかと思い、研究を始めました。手稿と呼ばれるダ・ヴィンチの書き残したノートと絵画の暗号を中心に考察をしています。

おさじま:そこから桜川さんは、レオナルド・ダ・ヴィンチの生き様や考え方、行動習慣を徹底的に分析していった、ということですね。

桜川:その中で、私たち現代人がAI時代を生き抜く上で大切なエッセンスを凝縮させ、一冊にまとめました。

ダ・ヴィンチ力の根底をなす「自尊力」とは?

齋藤:著書の中では、レオナルド・ダ・ヴィンチが成功した要因を「ダ・ヴィンチ力」として、7つに体系化しておられます。

桜川:はい。自尊力、没頭力、洞察力、創造力、対人力、実践力、幸福力の7つの力です。

おさじま:中でも、「ダ・ヴィンチ力のうち、根底をなす力が自尊力」と書かれていますね。自尊力とは聞き慣れない言葉ですが、どんな意味ですか?もう少し詳しく教えてください。

桜川:自尊力とは私の造語で、「自分の尊厳を高めていく力」と定義しています。よく聞く言葉に自己肯定感という言葉がありますが、ありのままを受容する守りの姿勢を一歩超えて、自分の価値を積極的に発揮できるようになるベースの力をいいます。

齋藤:この自尊力、字だけ見ると、なんだか「オレだけが偉いと思える力」というように思えてくるんですが……。例えば、「自信をもちたい!」と考えて行動していると、私はどうしても「あの人より成績が上になった」「平均より上だから大丈夫」と他人と比較してしまいます。そうやっていると、気がつけば「上から目線」になりがちで、かえって「オレってなんて駄目なんだろう」と自信を見失うなぁ、と感じるのです。これってどうなんですか?

桜川:頑張れば頑張るほど、そのような心が出てくるのが人間なんだと思います。ですので、ダ・ヴィンチは謙虚な姿勢を持ち続けるように努力をしていました。しかし、矛盾するようですが、人を容赦なく批判していたのもダ・ヴィンチの一面です。ただし、単なる批判ではありません。

おさじま:どういうことですか?

桜川:万能の天才と評価されるダ・ヴィンチですが、若い頃は落ちこぼれの劣等生でした。ダ・ヴィンチには3つの欠点があることは本でも紹介しました。①遅筆 ②未完成作品が多い ③指示を無視する の3つです。

絵を依頼する側からすると、これほどやっかいなことはありません。自分だったら他の人に注文すると思います。また、ダ・ヴィンチは教育を十分に受けていませんでしたので、自分のことを「無学な人」と言っています。自分の「できない側面」や「ない側面」に目を向けると自信がなくなり、自分の価値も感じられなくなってしまいます。そこでダ・ヴィンチがしたことは、自分の強みに目を向け、人よりも自分ができることをものさしにしてライバルを批判していました。

しかし、これは人を貶めるための批判ではなく、あくまで自分の尊厳を高めるための批判です。学問がない自分を「経験の弟子」と定義することで、自分のポジションを確立しようとしていました。

また、ダ・ヴィンチは、文字を書くときには、文字を反転させた鏡文字を使って書いています。左利きにとって描きやすかったから、アイディアを隠蔽するためという説もありますが、人のやらないことに挑戦することで自分の存在意義が実感でき、自尊力の底上げ向上に役立っていたのではないかと思います。

聾唖者を先生にしたダ・ヴィンチ

桜川:ダ・ヴィンチが、すべての人を尊重して、フラットに接していたと感じるエピソードがあります。ダ・ヴィンチは絵を描く時、聾唖者、つまりしゃべれない人を教師にしたと言っています。

おさじま:どういうことですか?気になります。

桜川:聾唖者と聞くと、一般に、障害者と見られがちですが、ダ・ヴィンチは、聾唖者を「身振り手振りの達人」だと言っているんです。

ほら、絵の中にいる人も、私たちに向かって直接、語りかけることはできないでしょう?その点で、言葉を話すことのできない聾唖者と、絵の中の登場人物の間には、共通点があるんです。2人ともしゃべることができないという。

おさじまなるほど!

桜川:だから、身振り手振りの達人である聾唖者を先生にすれば、そのボディランゲージを通して、メッセージを、絵の中の人物も伝えることができると考えたんです。かの名作『最後の晩餐』も、身振り手振りが多い絵になっているんですけれども、あの作品も、実は、聾唖者を先生にして描かれているのですね。

おさじま:ダ・ヴィンチぐらいの有名人でも、謙虚に、素直にいろんな人から吸収していた、ということなのですね。

桜川:そこは偉いところだったと思います。誰からでも優れたところを学ぶ、フラットな精神の持ち主だったのかなと思います。

おさじま:だからこそ晩年まで、精力的な活動を続けられたのかもしれませんね。

天上天下唯我独尊

おさじま:今の話を聞いていて思い出したのが、お釈迦さまの「天上天下 唯我独尊」というお言葉です。これは、お釈迦さまの有名なお言葉です。

齋藤:あ、暴走族とかがガードレールの下に落書きしていたりする、あれですね!

おさじま:(笑)そうです。でもあれは、もとはお釈迦さまのお言葉なのですよ。

「天上天下」とは、広い大宇宙を指します。その次の「唯我独尊」を、お釈迦さまが「自分独りが尊い」と威張られた言葉と誤解している人が、少なくありません。

齋藤:え!違うんですか?

おさじま:この「我」は、お釈迦さまだけでなく、「我々人間」のことなんです。ほら、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言われるように、立派な、徳のある方ほど、腰が低くなり、謙虚になるものです。世界の三大聖人に挙げられるお釈迦さまが、そんな「オレが偉いぞ」なんて言われるはず、ないでしょう?

齋藤:確かに、言われてみればそうですね!

おさじま:「独尊」は、「たった一つの尊い使命」の意味ですから、「天上天下 唯我独尊」とは、「宇宙広しといえども、我々人間にしか果たせぬ、たった一つの尊い目的がある」という、お釈迦さまのメッセージなのです。

桜川:では、その尊厳な人生の目的とは何でしょう。

おさじま:生きる目的を、一言でいえば、幸せになることです。

幸福を求めてライフスタイルを考え、仕事を決めたり、結婚相手を選んだりしています。一家団欒を大事にするのも、健康維持に努めるのも、老後に備えて貯金するのも、幸多き人生にしたいからでしょう。それらは、生きていく時に、とても大事です。

ところが現実は、思いどおりにならないことの連続ではないでしょうか。大企業に入ってもリストラに遭ったり、意中の人と一緒になっても、心変わりもあれば死に別れもあります。

汗と涙で築いた財産を地震や台風で奪われることもあるでしょう。健診でレントゲンに影が見つかって緊急手術するとなれば、幸せは、いとも簡単に崩れてしまう。「こんなはずではなかったのに」と天を仰いで頬をぬらすことが何度あったでしょうか。

しばらく続いても、この世を旅立つ時には、手に入れたあらゆる幸せが私から離れてしまいます。

そのように、いつ失うか分からぬ不安定な幸福では、心からの満足は得られないのです。

桜川:確かにそうですね……。

おさじま:お釈迦さまは、「本当の人生の目的は、何が起きても変わらない絶対の幸福になることですよ」と教えられています。

お釈迦さまが仏教を説かれたのは、この本当の幸福を私たちに伝えるためでした。

仏教に説かれる絶対の幸福に生かされた時、「人間に生まれてよかった。この身になるための人生だったのか」とハッキリします。生まれ難い人間に生まれたのは、この尊い使命を果たすためなのですから、すべての人の命が尊い、と教えられているのですよ。

桜川:そうだったのですね!

東洋を知っているダ・ヴィンチ

桜川:哲学者のニーチェは、ダ・ヴィンチについて、「レオナルドは東洋を知っている。彼は、超キリスト教的な視線を持っていた」と言っています。ダ・ヴィンチといえば、「万能の天才」というキャッチコピーが有名ですが、研究者たちは、もう一つのキャッチコピー「異教徒 レオナルド・ダ・ヴィンチ」に注目しています。この異教徒というのは、もし他に置き換えるのであれば、仏教徒というのが私的には一番しっくりきます。

おさじま:え!どういうことですか?

桜川『東方見聞録』というマルコ・ポーロが世界を旅した記録がまとめられた本がありますが、マルコ・ポーロはイタリア人で、ダ・ヴィンチより100年以上前の人です。その『東方見聞録』には、お釈迦様のエピソードも書かれているんです。ダ・ヴィンチは年を重ねるごとに蔵書量を増やしていますし、夢想して書いた旅行記も残っていますので、『東方見聞録』を読んでいたのではないかと言われています。

おさじま:へえ~、それは知りませんでした。

桜川:ダ・ヴィンチは、科学者でもありましたので、非科学的な現象である奇跡に対しては、否定的な態度を取っています。特に、当時大衆を惑わしていた降神術師や魔術師に対しては、“最大のバカ”と言い放ち、手相などの占いも迷信であると言い切っています。

さらに、キリスト教の聖書に書かれているノアの洪水についても否定しています。ダ・ヴィンチは、地層を調べて、貝殻の化石を考察し、地質学・生物学的な観点からノアの洪水はあり得ないと論破してしまったのですね。これはキリスト教が絶対の時代では、かなり危険な行為でした。

齋藤:ダ・ヴィンチ、恐るべしです。

桜川:ダ・ヴィンチ・ノートにある言葉を知ると、その背景には、東洋的な思想があったのではないかと思うほどです。それは、彼の言動が、仏教でいう因果の道理や、無常観、罪悪観とも見事に当てはまるからです。現代のレオナルド・ダ・ヴィンチと孫正義さんが評価するスティーブ・ジョブズも、仏教に影響を受けていますし、物事を深く追求した人はやがて仏教にたどりつくのかもしれませんね。

齋藤:なるほど!

第1回のまとめ

さて、第1回はいかがでしたか?

第2回は、ダ・ヴィンチ力の中の没頭力、洞察力に迫ります。

また、仏教に教えられている「本当の幸せ」がハッキリ分かる、15通のメールと小冊子(PDF)を用意しました。お釈迦さまの説かれた人生の目的について、誰でも分かるような文章で、丁寧に解きほぐして解説されています。ただいま無料で配布しております。人生の目的をハッキリさせたい、と思われる方は、こちらからお受け取りください。
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次回も、乞うご期待!

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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