コラム

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絶望を希望に変えた、チャーチルの言葉の力

こんにちは、齋藤勇磨です。

演説の名手として知られるのが、第2次世界大戦時の英国の首相、ウィンストン・チャーチル(1874-1965)です。

1953年には、著作活動に加え、彼の輝かしい弁舌に、ノーベル文学賞が授与されました。

言葉を武器にヒトラーと対抗し、イギリスを勝利へと導いた様子は、今に伝えられています。

孤立無援のイギリス、迫りくるナチスの影

第2次大戦時、ナチス・ドイツの侵攻で、ヨーロッパは深刻な危機に陥りました。

その時、イギリスは孤立無援でした。

イタリアとは敵対関係、ベルギー、オランダは降伏、フランスの戦況も絶望的、アメリカは参戦をしぶるなど、イギリスの敗色がますます濃くなっていたのです。

イギリス内閣には、ヒトラーに負けを認め、和平交渉を望む声すらあったといいます。

その時、反撃の転換点となったのが、「ダンケルクの撤退戦」といわれる史上最大級の救出劇でした。

1940年5月、海峡に面したフランスの港町・ダンケルクにドイツ軍が迫りました。

強大な敵に包囲され、約40万人の英仏連合軍が、袋のネズミとなったのです。

海岸から船に乗せて救うより、道はありません。

当初、救出できるのは、4万5千人ほどと目されていました。

十分な数の船を持たなかったイギリスは、全国民にラジオ放送で、救出に不可欠な船の提供を呼びかけました。

「我々は決して降伏しない」不屈の闘志を鼓舞

この時、全国民を鼓舞したのが、チャーチルの演説です。

イギリスが今、いかに危機にあるか、多くの国民の団結を必要としているか……。

語りかけるような彼の演説に心を動かされた大衆は、仲間を救おうと、危険な戦地に乗り込んだのです。

民間船で戦場に赴けば、どうなるか分かりませんでしたが、作戦には800隻以上の船が参加しました。

その中には、商船や漁船、小型ボートやヨット、遊覧船まであったといいます。

ドイツ空軍の猛攻をくぐり抜け、助けに向かったこれらの船のおかげで、予想を遥かに上回る、約34万名の命が救われました。

ダンケルク撤退作戦が完了した次の日、イギリス首相チャーチルは議会で演説しました。

……すべての国民が義務を果たし、最善を尽くせば、何年かかろうと、孤立無援となろうとも、我々は故郷を守り、戦いを勝ち抜き、暴政の脅威から生き延びることができる。

大英帝国とフランス共和国は大義のため一丸となり、命をかけて祖国を守ろうとしている。

ヨーロッパの広大な土地と伝統ある国家がゲシュタポやナチスの手に落ち、落ちようとしているが、我々は怯むことも止まることもない。

我々は最後まで戦う。フランスで戦い、海で戦う。空で戦う。我々はいかなる代償を払おうとも、国土を守る。

海岸で戦い、上陸地点で戦い、野で、街で、丘で戦う。

我々は決して降伏することはない。

万が一、このイギリス本土が征服され、飢えることがあろうとも、海の向こうに広がる国々がイギリス艦隊と共に戦いを続け、解放をもたらしてくれるはずだ。

チャーチルの演説により、イギリス国民は徹底抗戦の意志を固めたとされます。

この戦いに象徴される不屈の精神は、のちに「ダンケルクの精神」と呼ばれるようになり、イギリス国民に広く共有されています。

歴史に残る名演説、その秘密とは?

チャーチルの演説を見ると、事実や数字を盛り込み、誰にでも分かる言葉で語りかけているのが分かります。

一方で、先人の名演説にヒントを得て、たびたび引用していました。

イメージの湧く例えのセンスも卓越しています。

歴史上有名な「鉄のカーテン」という比喩は、彼の造語です。

加えて、暗い世相を明るくしようと演説にジョークも交えるなど、彼の演説には常に工夫が凝らされていました。

加えて、演説は、聞き手に強い印象を残す言葉で結ばれました。例えば、次のように。

「覚悟を固めて使命を遂行し、堂々と振る舞おうではないか。大英帝国と英連邦が千年先まで続いたとしても、その時代の人々にこう言われるように。このときこそイギリスの最も立派なときだった、と」*1

大戦中、チャーチルが首相として行ったラジオ演説は計49回で、そのうち約半分は、英国が単独の戦いを余儀なくされていた期間に集中しています。

国民は彼の言葉で笑い、元気づけられ、鳥肌を立て、目に涙を浮かべました。

彼の演説が勝利への原動力となった、といってもよいかもしれません。

風呂の中でも演説!?チャーチルの情熱

英国民の胸を打つチャーチルの名演説は、いかにして生まれたのでしょうか。

彼は、草稿を入念に準備し、一語一句、そのまま暗記するスタイルを取りました。

他の政治家が、官僚の代筆したものを読むだけの中、彼はすべての原稿を、自分で用意していました。

専任の秘書を椅子に座らせ、部屋の中をうろうろしながら、口述で文章をひねり出していきます。

チャーチルの思考を邪魔しないように、秘書は消音型のタイプライターで打ち直します。

草稿がいったん完成すると、余白に書き込み推敲しました。

彼は常々、「私は、さっさと作文をしたりしない。文章のスタイルと構文には最大限の手間をかける。(中略)私は、(文章が)光り出すまで磨きをかける」*2と話していたそうです。

原稿ができると、徹底的に暗記し、何回もリハーサルを行います。

ある時、入浴中のチャーチルが何かぶつぶつ言っているのを、使用人が耳にしました。

「何かお話になりましたか」と使用人が尋ねると、チャーチルは「今、私は下院の議場で話しているのだ」と答えたそうです。

風呂の中だろうが、四六時中、予行演習を行っていたのでしょう。

彼の言葉の力は、徹底した努力や準備の賜物だったのです。

[出典]
*1 サイモン・マイヤー/ジェレミー・コウルディ(著) 池村千秋(訳)『達人に学ぶ人を動かす話し方 スピーチの天才100人』 CCCメディアハウス

*2 冨田浩司(著)『危機の指導者チャーチル』 新潮社

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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