コラム

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拝啓、イーロン・マスク様 吉野弘の詩集を読みませんか?

「仕事が楽しければ幸せな人生」VS「ワークライフバランス」

こんにちは、齋藤勇磨です。

学校は数年で卒業します。人生の中でいちばん長いのが、仕事をしている時間です。

「だから、仕事が楽しければ人生は幸せ」という意見には、共感する人が多いと思います。

ここで言わんとしている仕事は、つまらない、「同じ作業の繰り返し」ではないでしょう。

最近は、ワークライフバランスという言葉が、声高に強調されています。

過労死ラインに達する過重労働防止のため、必要な考え方だ、の意見には、もちろん、同意します。

一方で、世間の目を気にするあまり、形だけ、ワークライフバランスを守らせようとするのは、ちょっと変な気がします。

仕事(ワーク)は、人の苦労を肩代わりして「はたをらくにする」ことなのだから、苦しくて当たり前だ。

生活(ライフ)の糧を得る手段として、仕方なくやるものだ。

生活(ライフ)を充実させるためには、仕事(ワーク)一辺倒ではならない。

こういう主張から、サービス残業を防ぐために、仕事用パソコンの操作時間の履歴を計測する会社もあるようです。

仕事が、単に衣食住を整えるためだけの苦役ならば、それこそ、AIに代替されるでしょうし、人生を労働の苦しみから解放する福音にもなり得るでしょう。

ただ、ここで言われている「楽しい仕事」とは、そんな苦役の作業ではなく、自己を表現できる仕事ではないでしょうか。

「おもしろきこともなき世をおもしろく 住みなすものは心なりけり」――。

高杉晋作の歌を引き、苦しい仕事を面白くできるかどうかは工夫次第、仕事は「与えられる」ものではなく「創る」ものであり、創った仕事は面白くなる。

この言葉が、創造的に仕事に打ち込んだ人ならではの、体験から出たなら、重みがあり、心動かされます。

「生きる意味」がAIに脅かされる?

2023年11月に英国で開催された、世界初の「AI安全サミット」。

スナク英首相によるインタビューで、イーロン・マスク氏は、話しました。

AIは将来的に人々から仕事を奪い、「(人々の)生きる意味を再考させるだろう」と。

*:Elon Musk tells Rishi Sunak at summit: AI ‘will eliminate jobs’(英タイムズ)

人間よりも賢いAIの登場で、「ある時点で、仕事はもはや必要とされなくなるだろう。個人的な満足のための仕事を得ることはできるかもしれないが、AIが全てのことをできるようになる」。

「将来的な課題としては、(人々が)どのようにして人生の意味を見いだすかということだ」などと答えたのです。

事実、米国のエンターテインメント業界では、すでにリアルな脅威として捉えられています。

全米映画俳優組合が43年ぶりに行ったストライキで焦点の一つとなったのが、映画会社やテレビ局などの企業側が行った、制作現場におけるAIの活用に関する提案です。

問題となったのは、企業側がエキストラの俳優の顔をスキャンし、1日分の料金を支払った後は、その素材の肖像権は企業が取得し、その後永久に自由に使えるようになる、という部分についてだったといいます。

俳優の表現は、表情と不可分でしょう。

俳優にとってAIが演じることを取って代わることは、単に、生活の糧を得る職を失うのみならず、マスク氏の言わんとする「生きる意味」を奪うことにも通じるのではないでしょうか。

この問題の前提には「楽しい仕事=生きる意味」「仕事が楽しければ幸せな人生」という、暗黙の方程式があると思います。

人生は働くためにある?

「仕事が楽しければ人生は幸せ」の主張を聞いて、思い出す、詩があります。

山形県出身の詩人、吉野弘(よしの・ひろし)さんの、「仕事」と題する詩です。

少し長いですが、引用します。

停年で仕事をやめたひとが
――ちょっと遊びに
といって僕の職場に顔を出した。
――退屈でしてねえ
――いいご身分じゃないか
――それが、一人きりだと落ち着かないんですよ
元同僚の傍の椅子に坐ったその頬はこけ
頭に白いものがふえている。
 
そのひとが慰められて帰ったあと
友人の一人がいう。
――驚いたな、仕事をしないと
  ああも老けこむかね
向い側の同僚が断言する。
――人間は矢張り、働くように出来ているのさ
聞いていた僕の中の
一人は肯き他の一人は拒む。
 
そのひとが、別の日
にこにこしてあらわれた。
――仕事が見つかりましたよ
  小さな町工場ですがね
 
これが現代の幸福というものかもしれないが
なぜかしら僕は
ひところの彼のげっそりやせた顔がなつかしく
いまだに僕の心の壁に掛けている。
 
仕事にありついて若返った彼
あれは、何かを失ったあとの彼のような気がして。
ほんとうの彼ではないような気がして。

(詩集『生命は』)

この詩に出てくる「彼」は、お金に困って、生活の糧を得るために働いているか。

私は、違うと思います。

おそらく、働かなくても余生を送れるだけの蓄えはあったはずです。

じっとしているのがたまらなくつらい。何か、やることを見つけたい。生きている意味を感じたい。

そんな渇望ともいえる思いから、町工場の職を探し出したはずです。

ならばふつうは、仕事を得て生き生きしているほうが、やることもなく老け込んでいるより、ずっといい、と思うのではないか。

なぜ、「人間は矢張り、働くように出来ているのさ」の同僚の言葉に、〈聞いていた僕の中の一人は拒む〉のか。

なぜ、〈ひところの彼のげっそりやせた顔がなつかしく〉思えるのか。

仕事にありついて若返った「彼」は、何を失い、どこに、〈ほんとうの彼ではないような気が〉したのでしょうか。

仕事が楽しければ人生は幸せ?

吉野さんの違和感の答えは、哲学者・パスカルの言葉にあるような気がします。

パスカルは、「個々の仕事を全部調べなくとも、それはみな『気を紛らす』ということでまとめてしまえば十分である」といいます。

仕事も、気晴らし。パスカルの言葉は、簡明にして強烈です。

では、仕事をすることで、いったい何から気を紛らしているのか。

(気晴らしがなければ)ついには避けえない病や死など、彼を脅かす物思いに必然的に陥るだろう。

(『パンセ』)

やりがいのある仕事が、人生を豊かなものにするのは確かです。

しかし、人生の終幕に広がる深淵に目を向けたなら、仕事は、多くの場合、もしかしたら大半の場合、根本的な幸福の源ではなくて、老病死という避けられぬ現実からの逃避になっているのではないでしょうか。

吉野さんの言葉を、私なりに翻訳すれば、こうなるでしょう。

「仕事をするために人間に生まれてきた、のではないだろう。

どんなに楽しかろうが、その仕事も、人生においては”気晴らし”なのではないか。

老病死の現実に向き合ってこそ、真の人間たりえるのではないか。

『彼』は仕事に“逃げた”ことで、ほんとうの人間になる機会を失ったのではないか」

私には、この詩が、仕事=人生、の方程式に対する、真正面からの問題提起のように思えるのです。

人生の苦役を幸せに転ずるには

「好きな仕事をしていれば幸せ」と言う人の、見落としているものは何でしょう。

明日、また明日、そしてまた明日が、時の階を滑り落ち、「最後の幕は血で汚され」ています。どんなに美しい生涯も例外でないと、パスカルは言いました。

2600年前、すでにブッダが説いているように、老い、病み、死んでいく私にとって、本質的に人生は苦役です。

その苦役の人生そのものを、どうすれば、幸せに転ずることができるのか。

拝啓、イーロン・マスク様。これこそ、問題の核心ではないでしょうか。

関心があれば、ぜひ、こちらの記事もごらんください。

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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