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■非認知能力とは?―学力よりも、まずは「幸せになる5つの方法」を知ろう
■日本人の非認知能力の現状
今回はこんなお悩みについてです。
勉強や仕事に、一生懸命、取り組んでこられたんですね。
それなのに、幸せな気持ちが少ない気がする。
その気持ち、よくわかります。
私も昔はずっとそうでした。
勉強や仕事をがんばることは、素晴らしいことです。
ただ、頑張るほど「学力や能力=幸せ」ではないかもしれないと感じて、苦しむ人がいるのも事実。
こういうアドバイスが巷にあふれていますが、そう簡単ではありません。
このアドバイスによって、よけいに苦しむ人もいるからです。
ほどほどにして、休養を取るのも大切です。
そういう一面もありますが、幸せを感じられない根本的な原因は、もっと別のところにあります。
「幸せに必要なもの」を知れば、これまで一生懸命やってきた努力は、すべて幸せのために活かされます。
今回は、学力よりも、幸せに大きく関わる「非認知能力」について、学びましょう。
まず、私たちが「これが幸せ」と勘違いしやすい、
認知能力(cognitive skills)とはなんでしょう。
点数化できる能力のことですね。
必要がないとか、無駄だということではなく、
「点数が高い=幸せ」とは限らないということです。
事実、優秀な人が若くして自殺することもあります。
それだけ苦しんでいたからでしょう。
非認知能力(non-cognitive skills)とは、認知能力ではないもの。
ざっくりいうと、点数化できない、さまざまな能力を非認知能力といいます。
非認知能力は、2000年にノーベル経済学賞を受賞した、ジェームズ・ヘックマン氏が提唱しました。
非認知能力とは、「学力よりも大きく幸せや成功に関わる能力」です。
アメリカの公立校では、すでに非認知能力の教育がすすんでいます。
社会情緒的教育(SEL:Social Emotional Learning)といわれ、次の5つの能力に主力が置かれています。
いまの日本では、学校教育で習わないものが多いですね。
習わないどころか、むしろ逆に学習してしまっている部分はありませんか。
あなたは今のままで幸せになれるのか?
1つずつ検証してみましょう。
日本人の非認知能力は、どれくらいあるでしょう。
現状はこんな感じではないでしょうか?
他人に合わせすぎて、自分の感情がわからない。
モヤモヤしても、どうしていいかわかない。
与えられた仕事・課題をコツコツやるのは得意だが、自分で目標を設定できない。
やりたいことがわからない。目標は本来、楽しいものなのに、課されるもの・窮屈なものだと感じる。
人の気持ちに共感すると、問題に巻き込まれるので、あまり他人の問題に踏み込まないように、黙って見ている。
もしくは共感しすぎて問題に巻き込まれる。
仕事の人間関係以外とつきあいがない。
どうやって友達をつくったらいいかもわからない。
人間関係に溝ができたらそのまま疎遠になって修復できない。
自分ではなかなか決められない。
責任ある決定はできるだけ避ける。
誰かがやってくれるのを待ち、頼まれたら仕方なくやる。
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これでは幸せから遠く感じますね。
大人も子どもも、非認知能力は幸せを決定する大切な要素です。
非認知能力は、じつは日本人になじみの深い、仏教にたくさん教えられています。
仏教のことばを交えながら、一緒に学んでいきましょう。
今の日本人に多いのは、
モヤモヤとした感情が出たときが、自己認知の能力を鍛えるチャンスです。
そのモヤモヤに、どう対処するのか。
自分で「そのままにする」と決断したのなら、そのままにする選択肢もあります。
なにも考えずにそのままにするのはやめましょう。
伝えるのも、1つの選択肢です。
最初から「私は言えない」「どうせわかってもらえない」と思うのではなく、伝える選択肢があることを意識しましょう。
どんな伝え方をするかが問題になってきます。
怒りは、相手を傷つけてしまう可能性が高く、嫌われて自分も傷つくので、できるだけ怒らない伝え方を学びましょう。
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自己認知能力とは、自分の感情を認識し、うまく調整する能力ですが、仏教では「私とは何か」を教えられています。
「仏教は“法鏡”なり」とも言われ、ありのままの私を映し出す、鏡のような教えが仏教だということです。
人間はみな108の煩悩があると、仏教では言われます。
煩悩の代表3つは、「欲」「怒り」「愚痴」。
とくに私たちを苦しませるので、「三毒の煩悩」と言われます。
「欲」「怒り」「愚痴」を、よく知ることが、「私とは何か」を知ることにつながります。
今の日本人に多いのは、
目標とは、本来、楽しいものです。
そうですね。
小学生の頃から「勉強の目標をたてましょう!」と押し付けられ、
会社に入ると「目標達成のために、必死に働け!」と強いられる。
目標を達成できないと、「なんで目標を達成できなかったのか、反省しろ」と責められる。
これでは、目標と聞いただけで、プレッシャーを感じるのも当然です。
本来は、まず、自分が得たいもの、こうなりたい未来を思い浮かべます。
「自分が心から欲しい結果」がゴールです。
だけど、ゴールをどれだけ思い浮かべても、そこに向かって現実を変えなければ、理想と現実のギャップがあるまま、ゴールには近づきません。
あなたが「心から欲しい結果」を得るために、目標があるのです。
ゴールを明確にしないまま、目標だけを設定しようとするから、つまらない、やる気の起きない、プレッシャーを感じるだけのものになります。
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自己管理能力とは、前向きな目標を自ら設定し、達成に向かう能力ですが、仏教には「人生の目的」が教えられています。
「地獄」や「極楽」という言葉を耳にすると思いますが、これは、仏教の言葉です。
「あー、借金地獄だ」
「温泉に入って、極楽、極楽」
地獄とは、ものすごく苦しい状態のこと。
極楽とは、ものすごく楽しい状態のこと。
仏教では、なぜ、地獄になるかというと、自分が生み出したもの、と断言されています。
地獄(じごく)とは、自業苦(じごく)が生み出すものです。
自分の業(ごう)=行いが、生み出した苦しみです。
その業苦を、楽に転じて「業苦楽(ごくらく)」としたいですよね。
地獄の結果にならないために、自分の行いを変える目標をもつ。
極楽の結果を得るために、自分の行いを変える目標をもつ。
目的(ゴール)がまず先にあって、そのための目標です。
じゃあ、人生の目的という、大きなゴールは何か。
それをわかりやすく教えられているのが、仏教です。
今の日本人に多いのは、
誰かから共感されるとき、人は安心感を得ます。
誰からも共感されないとき、人は孤独を感じます。
共感は、幸せに大きく関わる要素ですが、厄介な面もあります。
「この人は共感してくれる」と深く信じているほど、わかってもらえなかったときに、深い悲しみや怒りへと変質します。
共感しすぎると、面倒な問題に巻き込まれることが多いのは、このためです。
共感は、シャボン玉と同じで、だんだんと大きくなって、いつか、はじけるものなのです。
自分を理解しない相手には、怒りが生じます。
自分の宗教を理解しない者同士で戦争が起こり、
自分の気持ちを理解してくれない親子・夫婦で喧嘩が起きます。
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社会認知能力とは、人の気持ちを理解し、共感し、適切な対応をする能力ですが、仏教では「世々生々の父母兄弟」と教えられています。
世々生々とは、無限にくり返す生死のなかで、いつの世か、すべての人は父母兄弟だったことがある、ということです。
どんなに理解し合えないことがあっても、父母兄弟であったであろうと思うと、懐かしく偲ばれてきます。
共感とは、仲が良い間柄だけで起きるものではなく、誰彼を問わず、「相手を思いやる」ことではないでしょうか。
今の日本人に多いのは、
「悩みの9割は、人間関係」とも言われます。
友達がほしい。
だけど、面倒なつき合いはイヤ。
結局、ひとりでいるほうがラクで、仕事以外の新しい出会いには、一歩ふみだせない。
今いる友達も、ちょっと迷惑だと感じることが多いが、孤独になるのも嫌なので、なんとなく付き合い続けている。
こういうことが、多いのではないでしょうか。
人は、他者から大きな影響を受けます。
誰とつき合うかによって、人生が変わる、といっても過言ではないでしょう。
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対人関係能力とは、良好な人間関係を築き、維持し、修復する能力ですが、仏教では「和顔愛語」「心施」などが教えられています。
笑顔でいると、まわりにも笑顔の人が集まってきます。
良好な人間関係を築くいちばんの方法は、笑顔と感謝。
関係を維持する秘訣も、笑顔と感謝。
すれ違ったとき、誤解が生じたときに、修復する方法も、笑顔と感謝。
なにも持たない人でも、心がけ一つでできる「施し」を7つ、仏教では教えられています。
そのうちの2つが、笑顔と感謝です。
今の日本人に多いのは、
ハーバード大学の心理学教授、ダニエル・ギルバート博士は、こう言っています。
コントロールによって手に入る未来ではなく、コントロールすること自体が心地よい。これは、人間の脳に生まれつき備わった基本的な欲求の一つだ
人は、生まれつき誰でも、コントロール感を欲します。
自分で意思決定をすることが、幸福と関係しているのです。
ところが、
コントロールを得ることは、健康や幸福にプラスに働くが、コントロールを無くすのは、はじめから持っていないよりも深刻な事態を招きうる
一時的に、コントロールできると思ったのに、やっぱり無理たっだ。
コントロールを失ったときの深刻なリスクを、なんとなく知っているから、だんだんと自分で意思決定するのをやめて、諦めてしまうのかもしれません。
生まれてから去るまでの間にコントロールする能力を失うと、惨めな気分になり、途方に暮れ、絶望し、陰鬱になることがわかっている。死んでしまうことさえある。
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意思決定能力とは、責任ある決断をすることですが、仏教では「自業自得」と教えられます。
いい結果も、悪い結果も、すべては自分の行いによって作られたものです。
例外はありません。
「これだけは、自分の行い以外によってもたらされた結果だ」という例外は1つもないと、仏教では言われます。
コントロールを得るというと、ふつう、いい結果だけを思い浮かべるかもしれません。
だから、悪い結果がきたときは「コントロールを失った」ように感じるのでしょう。
ところが、
悪い結果になったときも「自分の行いによるものだった」と反省してこそ、これからは自分の行いを変えることで、未来を変えられるという自信も出てくるのです。
本を読んだり、ネットで名言まとめを読んだりすると、良いことは書いてあるかもしれませんが、人生の指針となる「人生の目的」や、いつでもどこでも変わらない「因縁果の道理」、「私とは何か」ということを体系的に学ぶことはできません。
簡単な「たし算」を1万回、解いても、微分積分には辿り着けないように、あなたが幸せに辿り着くには、ステップアップして思考を深める必要があります。
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