目次
- 苦しいのにやめられない!心の声に駆り立てられる「ドライバー」
- ドライバーは、気づけばもう8割がた解決したようなもの
- ドライバーをゆるめる裏ワザ
- ドライバーを消す「アロワー」とは
- 「喜んでもらいたい・傷つきたくない」そんな心でいっぱいなのが人間
はじめに

私は「相手を喜ばせろ」というドライバーが強いと感じています。
ドライバーとは、日本語で言うと「過剰に駆り立てるもの」。
ドライバーについては、以前、記事を書いていますので、こちらもどうぞ。
・人生、なんだか苦しい
・私ばっかり
こんな気持ちが起きるなら、あなたも「ドライバー」に振り回されているかもしれません。
今回は「相手を喜ばせろ」というドライバーについて、考えてみましょう。
苦しいのにやめられない!心の声に駆り立てられる「ドライバー」
「喜ばせなければならない」
こういう心の声に駆り立てられて、
・嫌なことでも断ることができない
・必要以上に相手を喜ばせようと必死になる
これが「ドライバー」です。
日本語では「過剰に駆り立てるもの」のことですが、自分では無意識にやっていることで、「過剰」とは思っていません。
むしろ「やらねばならない」と強烈に思い込んでいるので、苦しいのに、やめられないのです。
苦しくなった時こそ、ドライバーに気づくチャンスです。
ドライバーは、気づけばもう8割がた解決したようなもの
ドライバーは、気づけばもう8割がた解決したようなものです。
HSPさん(人いちばい敏感な人)は特に、ミラーニューロンが発達しているので、そうなりやすい傾向があります。
相手がガッカリしていると、自分もガッカリする。
だから「相手に悲しまないでほしい、ガッカリしないでほしい」と望むのです。
本音を言えば、
なのです。
だから、必死に相手の喜ぶことをやったのに、思ったほど相手が喜ばないと、
・怒りの気持ちが起きる
・無気力になる
・なにもかも無駄だったと感じる
こういう結果になりやすいのです。
このことに無自覚だと、じつは「感情の押しつけ」や「境界線侵入」になってしまいます。
思うように相手が喜ばなかったから、怒る
それだけ相手のためを思って、一生懸命に行動したんですね。
でも、相手の自然な感情を否定しているため、境界線侵入になっています。
怒るのは、「喜んで当然でしょ」という、“感情の押しつけ”です。

想像していたように相手が喜ばなかったから、無気力になる
無気力になってしまうくらい、全力で相手に喜んでもらおうとしたんですね。
相手を喜ばせることができなかった。
それで一時的にガッカリするのは、自然なことですが、無気力になるほどなら、過剰に駆り立てられています。

相手が喜ばなかったから、なにもかも無駄だったと感じる
なにもかも無駄だったと感じるほど、相手に喜んでもらいたかったのですね。
あなたは無意識ですが、「相手の感情をコントロールできる」と強く思いすぎています。
相手の感情は、コントロールできるものではありません。

決して無駄なことはありませんよ。
ドライバーをゆるめる裏ワザ
「相手を喜ばせろ」という「強力な呪縛的メッセージ」に駆り立てられて、あなたは苦しい思いをしています。
どうすれば、あなたの苦しみを減らすことができるでしょうか。
ひとつ、ドライバーをゆるめる裏ワザを伝授しましょう。
「相手に喜んでもらいたい」と、そこまで強く思える「相手思い」のあなたなら、きっとできます。
ドライバー「相手を喜ばせろ」をゆるめる裏ワザ
相手に、「どんな感情を持ってもいい権利」を差しあげましょう。
「ガッカリしてもいいよ」
相手思いのあなたは、そういう優しさも持っています。
ところが、「自分の責任かも?」という気持ちが強いために、自分が関与していると、途端にできなくなります。
だから、
「私の態度に、ガッカリしてもいいよ」
相手に「不快な感情をもつ権利」もプレゼントする意識をもちましょう。
これまでは「相手に【喜び】をプレゼント」するだけだったのを、加えて「相手に【不快な感情をもつ権利】もプレゼント」するのです。
相手思いのあなたなら、少し練習すれば、できるようになりますよ。
ドライバーを消す「アロワー」とは
ドライバーをゆるめるためには、「アロワー」を繰り返し与えることが有効です。
ドライバーは専門的には「拮抗禁止令」の一部であり、その禁止を解くものがアロワー「許可」です。
単に「相手にガッカリされてもいいや」と諦めるより、もっといい方法があります。
そして、
この2つのアロワーを使うほうが、うまくいく可能性が高まります。
せっかく他人から何かしてもらったのに、正直、喜べなかった。
そんなとき、自分にも「ガッカリしていい」と許可するのです。
「喜んでもらいたい・傷つきたくない」そんな心でいっぱいなのが人間
嫌われたくない
ガッカリしたくない
褒められたい
認められたい
喜んでもらいたい
どの気持ちも、あなたを煩わせ悩ませる「煩悩」です。
「煩悩でいっぱいなのが人間なのだよ」と仏教では言われます。
「相手にガッカリされたくない」
という“欲”がうまく満たされないと、
「なんで喜んでくれないの!」
「せっかくやったのに」
という“怒り”になります。
怒りを出せない人に対しては、
「こんなことしても無駄だった」
「どうせ」
という“愚痴”になります。
「あーあ、私は煩悩いっぱいだ。」と思われるでしょうか。
あなただけではありません。人はみんな、煩悩いっぱいなのです。
こんな言葉があります。
欲もおおく、瞋り腹立ち、そねみねたむ心多く、間なくして、
臨終の一念に至るまで、止まらず消えず絶えず(親鸞聖人)
「凡夫」とは人間のことです。
「人間とは、こんなものだよ」と、あなただけじゃない、誰もが「欲・怒り・愚痴」で悩んでいると断言されています。
その「煩悩」がそのまま、幸せの元になる「煩悩即菩提」ということがあります。
煩悩即菩提とは、
あるままで(即)
本当の幸せ(菩提)
になれる、ということ。
「煩悩即菩提」は、心の幸せなので、能力やスキルに関係なく、だれもがなれる幸せです。
ぜひあなたにも知ってもらいたいと思っています。
ここで説明すると長くなってしまいますので、15通のメルマガにまとめました。
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