幸せとは

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【余命】早稲田美桜の世界(三月十二日)『フライザイン~死に対して自由な心を求めた僕と彼女と妹の物語』

【余命】早稲田美桜の世界(三月十二日)

 風が、やるせなさを爆発させたように吹き荒れている。ポートライナーを降りると強風に飛ばされそうになり、踏ん張った左足から「あの日」の古傷が電気となって背中を伝い、後頭部を襲った。奥歯をかみ締め、痛みを散らす。左足を引きづり引きづり風に逆らうが歩みは進まない。

 やっとたどり着いた病院は、いつものようなアルコール臭がした。すれ違う老若男女の患者と看護師。
 気づけば面会謝絶の札のついたドアの前に立っていた。
 中から言い争うような声が聞こえる。ドアを開けるに開けられず、指をかんだ。

 すると、突然ドアが開き、巨体が現れた。ハズキの父上、虎之介殿だ。会うたびに、「何をどうしたらこんなに身体が大きくなるのか」という疑問を起こさせる人だ。巨漢は、無愛想に軽く頭を下げ、身体を揺らしながら去っていった。その後ろ姿をしばし見ていたが、ドアの方へ振り返ると、イスに座っている龍一郎の背中が見えた。ジッとキャンバスを見ているようだ。部屋には暴風の音がうるさく響いている。
 後ろ手でドアを閉めると、龍一郎は、ゆっくりと振り向いた。軽く笑いかけ、柔らかく唇を開いた。

「ミオ」
 その後、電線が鳴く音や、木がざわめく音が凄いはずなのに沈黙という言葉が一番ピタリとくる状態が続いた。
 龍一郎がベッドの端に腰掛けなおす。吾輩はゆっくり近づき、一人分の距離を開けて横に浅く腰掛けた。
 二人はまだ長い間黙っていた。

「さっき、川上の親父さんが来てな」
 龍一郎はちょっと間をあけ、息を吐き、「婚約は破棄されたよ」と言った。
「なんだと?」思わず声が突いて出た。
 龍一郎はベッドに寝っころがった。

「親父さん、小切手を持ってきてな。まあ、いわゆる、手切れ金ってやつだな。当然、突き返したんだが、かなり強情というか、強引でな」
 龍一郎はまた静かに笑った。

「これ、お前にやるよ」
「なぜ、ここで吾輩が出てくる」
「どこかのドラマみたいに、おやじさんの目の前でビリビリ破るってのもあったんだが、それはやめにして、出来れば顔の見える知った人物に渡そうと思ってね。それでお前が一番いいと思ったんだ。お前のお母さんとの約束もあるし」
「吾輩がもらうわけにはいかない」
「じゃあ、ここで破り捨てるか?」
 ため息が漏れた。

「何に使ってもいいのか」
「もちろんだ、お前のものなんだから」
「分かった。では預かっておく」
 目にした小切手の額はたいそうなものだった。
 龍一郎は、勢いをつけてベッドに身体を倒したがそのまま動かなかった。
 やがて龍一郎は、他人事のように
「ステージ4bだった」
と言った。

 静かに透明な瞳がこちらに向けられた。まるで「お前なら、どういう意味か分かるだろ?」と語るように。

 時が止まり、
 世界が歪み、
 空気が毒された。
 眩暈と吐き気が全身を巡る。
 嵐の音が、耳から聞こえるのか、心から響くのか区別がつかない。
 異世界から落ちてきた龍一郎の言葉に、希望の出口が音を立てて閉ざされ、絶望という看板がぶら下げられた。
 龍一郎は言った。
「余命一カ月らしい」

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