毎日の通勤電車や、休日の混雑したショッピングモール。たくさんの人が集まる場所で過ごしていると、ふと息苦しさを感じることはありませんか?
忙しい毎日の中では、ついつい心に余裕がなくなりがちです。
「前の車に割り込まれたくない」と車間距離をギリギリまで詰めてしまったり、台風や地震などのニュースを聞いた途端、スーパーの棚からあっという間に水や食料が消えてしまったり……。
「誰かに先を越されたら、自分が損をしてしまう」「確保しなければ生きていけない」といった、焦りや不安がそこには見え隠れしています。
確かに、現代社会は競争の連続かもしれません。
ですが、少しだけ立ち止まって、過去の歴史やさまざまな国の人々の暮らしを覗いてみると、ちょっと違う景色が見えてきます。
それは、「自分の場所や順番を、あえて誰かに譲る」という行動が、結果的に自分自身の心をホッとさせ、さらには社会全体をスムーズに動かしているという事実です。
今回は、海外のちょっと素敵な交通ルールや、昔から伝わる教訓、そして私たちの身近なエピソードをヒントに、「譲る」というちょっとした善行がもたらす、素晴らしい効果について考えてみたいと思います。
「アフター・ユー(お先にどうぞ)」でスムーズに

誰かに順番や場所を譲ることが、社会の仕組みとして見事に機能している国があります。それはイギリスです。
イギリスには「ラウンドアバウト」と呼ばれる、信号機のない円形の交差点があちこちにあります。
何本もの道路から次々と車が集まってくるのですが、なぜか、日本の複雑な交差点のように渋滞したり、事故が頻発したりすることはありません。
その秘密は、ドライバーたちの間に「アフター・ユー(お先にどうぞ)」という精神が根付いているからです。
この交差点では、すでに円の中を走っている車が優先。新しく入ろうとする車は、少しだけブレーキを踏んで、前の車が通り過ぎるのを静かに待ちます。
信号機に「止まれ」と命令されなくても、お互いが自発的に待つことで、イライラしてクラクションを鳴らすこともなく、車はスムーズに流れていくのです。
「ほんの少し待つ」という選択が、結果的にみんなを早く目的地へ送り届けているなんて、なんだか素敵ですね。
この「お先にどうぞ」の心は、東洋にも見つけることができます。
日本でも江戸時代からよく読まれている、中国の古典『菜根譚(さいこんたん)』には、「径路(けいろ)の窄(せま)き処(ところ)は、一歩を留(とど)めて人の行くに与えよ」という言葉があります。
細い道で誰かとすれ違うときは、自分が一歩立ち止まって、相手を先に通してあげなさい、という意味です。
これも単なるマナーのお話ではなく、お互いがぶつからずに、一番早く安全にすれ違うための、とても理にかなった知恵なのです。
仏教には、「無財の七施」という教えがあります。
これは、「お金や物がなくても、誰かを幸せにするためにできる7つの贈り物」のことです。
その中の一つに、「床座施(しょうざせ)」というものがあります。
自分が座っている場所や席を、必要としている人に譲るという心遣いです。
たとえば、夜遅くまで残業して、へとへとになって乗り込んだ帰り道の電車。
運良く目の前の席が空いて、「やっと座れる!」と腰を下ろそうとした瞬間、杖をついたおばあさんが乗ってきたとします。
ここで気づかないふりをして座ってしまえば、確かに体は楽になります。
でも、心のどこかで「悪いことをしたな」というモヤモヤが残ってしまいませんか?
逆に、疲れた体にムチ打って「どうぞ」と席を譲ったならどうでしょう。
おばあさんはホッと笑顔になり、あなた自身も「よいことができた」と、曇っていた心がパッと晴れやかになるはずです。
体は少し疲れても、それ以上に心が満たされる。
場所を譲ることは、自分も相手も笑顔になれる、素晴らしい「幸せのタネまき」なのです。
「会話の主役」という座席を譲る

この「床座施」の心、つまり「場所を譲る」ということは、電車の座席や狭い道だけのお話ではありません。
目に見えない「会話の主役」という座席を譲り渡すときにも、同じことが言えるのです。
たとえば、友人や同僚との会話中。
相手が悩みを打ち明けてくれたり、楽しかった出来事を話し始めたりしたとき、ついつい「私も同じことがあってね!」と自分の話にすり替えてしまうことはありませんか?
良かれと思ってアドバイスをしているつもりでも、相手からすると「自分の話を取られてしまった」と少し寂しい気持ちになるものです。
私たちは無意識のうちに、会話の中でも「主役の座席」を奪い合ってしまうことがあります。
そんなとき、グッとこらえて「それで、どうなったの?」「もっと聞かせて」と相槌を打ち、相手に会話の主役という「座席」を譲ってみましょう。
相手は「自分の気持ちをしっかり受け止めてもらえた」と安心し、心を開いてくれるはずです。
無理に自分が前に出なくても、聞き役に徹して「話す席」を譲ることで、お互いの信頼関係はグッと深まります。
これもまた、日常の中でできる立派な「床座施」の実践ではないでしょうか。
毎日の生活の中でも、「譲ったら負け」と頑なになっている人を見かけることがあります。
車で絶対に道を譲らない人、意見がぶつかったときに絶対に自分の主張を曲げない人。
でも、少しだけ「お先にどうぞ」の心があれば、世の中はもっと生きやすくなるはずです。
意見がぶつかって身動きが取れなくなったときは、「一人しか渡れない丸太橋」を想像してみてください。
深い谷にかかった細い丸太橋。右から来た人と左から来た人が、お互いに「自分が先だ!」と主張して同時に渡り始めたら、橋の真ん中でぶつかってしまい、どちらも一歩も動けなくなってしまいますよね。
そんなとき、フッと力を抜いて「お先にどうぞ」と道を譲った人は、決して負けたわけではありません。
無駄な争いで時間やエネルギーをすり減らすことを避け、相手よりも先に「平穏な心」を手に入れた、とても幸せな人です。
そして譲ってもらった相手も、「ありがとう」と感謝の気持ちを持って橋を渡ることができれば、きっと幸せな気持ちになれるでしょう。
譲ることは、弱さでも敗北でもない

最後に、「お先にどうぞ」の心をとても美しく表現した和歌をご紹介します。
「花を持つ 人から避ける 山路かな」
ようやく一人だけが通れるような、草木の生い茂る細い山道でのこと。道の向こうから歩いてきた人と、バッタリ鉢合わせをしてしまいました。
一人の人は、両手いっぱいに、摘んだばかりのきれいな花を抱えています。
こんなとき、「お先にどうぞ」とサッと道を譲ることができるのは、どちらの人だと思いますか?
それは、両手いっぱいに花を抱えているほうの人なのです。
もしここで、「どけ!私が先だ!」「いや、俺が先だ!」と肩をぶつけ合って意地を張ってしまったらどうなるでしょう。
せっかく大切に摘んできた美しい花は、ポロポロと地面にこぼれ落ちて散ってしまいます。
花を持っている人は、その「自分が持っている大切なもの」を傷つけないために、自分からスッと脇に避ける賢さを持っているのです。
私たちはつい、「自分が先に進むこと」ばかりを優先しがちです。
それが生き残るための強さだと思い込んでいるのかもしれません。
ですが、意地を張って誰かとぶつかることは、結局のところ、自分の心の中にある「ゆとり」や「優しさ」という大切な花を散らしてしまうことと同じです。
道を譲ることは、決して弱さでも敗北でもありません。
自分の大切なものを守りながら、物事を一番スムーズに運ぶための、優しくて賢い選択なのです。
イギリスの交差点でのちょっとした気遣いから、誰かに席を譲る勇気、そして会話の主役を譲る思いやりまで。
「お先にどうぞ」という一歩引く行動は、ギスギスしがちな世の中を、ふんわりと温かく包み込んでくれる魔法の言葉です。
今日から少しだけ、心の中で「お先にどうぞ」とつぶやいて、譲ってみませんか。
その小さな優しさは、巡り巡って、きっとあなたの毎日を豊かなものにしてくれるはずです。
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