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知ってる?ライト兄弟が飛行機を開発した理由

こんにちは、齋藤勇磨です。

人を乗せて空を飛ぶ「飛行機」の発明は、古代から人類の夢でした。

ギリシャ神話には、羽根の翼で大空を飛ぶイカロスの話が出てきますし、15世紀末、名画「モナ・リザ」で知られるイタリアのレオナルド・ダビンチは、羽ばたいて空を飛ぶ絵を描いています。

その夢を、初めて実現したのが、アメリカの発明家、ライト兄弟です。

1903年12月17日、米国東部・ノースカロライナ州で、兄ウィルバーと弟オーヴィルの2人が開発した「ライト・フライヤー1号」が、史上初の有人動力飛行に成功したのです。

記録は時間にしてわずか12秒、飛行距離は36メートルでしたが、人類が初めて空を飛んだ、記念すべき瞬間でした。

彼らの第一歩は、その後の航空時代の幕を切って落とします。

改良を重ね、5年後には、2時間以上も飛び続けました。

今日、飛行機がめざましい発達を遂げ、一般的な交通手段として利用できるようになったのは、先駆者である2人の功績でしょう。

初飛行にいたるまでの、ライト兄弟の情熱と努力は、すさまじいものでした。

「できるはずがない」は本当か

子どものころから機械に強い関心があったライト兄弟は、青年時代、自転車屋を始めます。

冬になると、仕事がなくなるため、飛行機の開発もめざすようになりました。

ライト兄弟が飛行機の研究を始めた時、2人は全くの無名でした。

同時代には、すでに指折りの技術者や研究家が何十年も研究していましたが、皆、失敗に終わっていました。

実験中に墜落して命を落とす人も多く、人間が空を飛ぶなど夢物語だと思われていたのです。

当時の米国科学界は、「空気より重い飛行機が飛ぶことは原理的にあり得ない」と言っていました。

ライト兄弟にとって、一番身近な空への挑戦者は、19世紀末のドイツの技師リリエンタールでした。

彼は2千回以上もグライダーで空を飛ぶ実験を繰り返しています。

このグライダーは、体で操縦する、いわゆるハンググライダーでしたが、リリエンタールは、バランスをくずし墜落してしまいました。

当時の「ニューヨーク・タイムズ」には、「実際に空を飛ぶ機械が、数学者と機械工の協力と不断の努力によって発明されるまでには、百万年から一千万年かかるだろう」*1と揶揄したほどです。

まして、一介の民間研究者にすぎなかった彼らの理解者は、ほとんどありませんでした。

賢者は他人の失敗に学ぶ

そんな彼らが、前人未踏の快挙を成し遂げられた秘訣は、失敗から徹底的に学ぶ姿勢でした。

確かにそれまで、飛行機の発明に成功した人はいませんでしたが、「過去の失敗を分析することで、学べることがあるはずだ」と考えたからです。

同じ過ちを繰り返しては、進歩がないどころか、墜落して命を落とす危険があります。

皆、必死に取り組んだのに、これらの人たちは、なぜ失敗したのか。

予想される失敗に関する知識を得て、それを念頭に置きながら行動することで、不必要な失敗を避けようと考えたのです。

ライト兄弟は、当時最先端の資料を、集められるだけ取り寄せました。

専門的なことを知っている団体に手紙を書き、飛行に関する資料を送ってもらいます。

実験用の機体を飛ばす場所探しでも、ワシントンの気象局から取り寄せた風のデータなどを検討し、自宅から遠く離れた大西洋岸のキティホークを選んでいます。

飛行機づくりに立ち向かう兄弟の態度は、実に科学的でした。

この過去の失敗の徹底分析が、ライト兄弟を成功へと導いたのです。

「変化への対応」が最も大事

空を飛ぶには、飛行機を空中に浮かばせる「翼」、飛行機を動かす「動力」、機体を意のままに動かす「操縦」の3つが必要です。

翼と動力については研究が進んでいました。

しかし、今では考えられないことですが、当時の飛行機には、方向を制御するための仕組みがついていなかったのです。

そのため、操縦に失敗して命を落とす悲劇が繰り返されていることに、2人は気づきました。

何も支えてくれるものがない大空を安全に飛ぶには、急な風向きの変化にも対応できることが不可欠です。

鳥の観察などから、翼の働きを分析し、操縦が鍵だと見抜いたライト兄弟は、バランスを崩した時に体勢を立て直す方法に力を入れて設計と研究を繰り返しました。

こうして先人の失敗から改善の糸口をつかんだことが、彼らの成功の最大の要因だったのです。

賢者は、他人の失敗に学びますが、愚者は、自分の失敗にも学ぼうとしない、と言われます。

教訓とは、「失敗から、いかに学ぶか」です。

人の失敗を他山の石として学ぶ大切さを、ライト兄弟は教えてくれています。

飛行機開発は平和のためだったのに……

ライト兄弟が飛行機を発明したのには、崇高な目的がありました。

それは、戦争の終結です。

飛行機ができれば、偵察の範囲も広がるので奇襲も不可能になり、戦争の抑止につながるだろうと彼らは考えたのです。

しかし、ライト兄弟が民間人であったことが、裏目に出てしまいました。

航空機の開発が軍主導で進められていたことや、ライバルの妨害工作もあって、ライト兄弟の技術は盗まれてしまいます。

飛行機は第1次、第2次世界大戦では、兵器となって空中を飛び交いました。

飛行機の性能は、戦争とともに発展したともいえます。

飛行機は、ジェットエンジンの開発などでめざましい発展をとげ、便利な乗り物となりました。

そして、飛行機は、爆弾投下や枯葉剤散布など、人類史にも例を見ない残虐行為に用いられることになってしまったのです。

あまり知られていないのですが、ライト兄弟は、次のように述べ、最終的に飛行機を発明したことを悔いています。

「世界に永遠の平和をもたらすものをどうしても発明してみたかった。しかし、私たちはまちがっていた。(略) 私は誰よりも飛行機がもたらした破滅を嘆いている」*2

飛行機開発のすさまじい努力と情熱は、交通手段に大きな進歩をもたらしましたが、果たして、「人類の幸福」という目的地に、つながったのでしょうか。

ライト兄弟の成功と後悔を見ると、深く、考えさせられます。

[出典]
*1 佐藤航陽(著) 『未来に先回りする思考法』 ディスカヴァー・トゥエンティワン
*2 デヴィッド・マカルー(著) 『ライト兄弟 イノベーション・マインドの力』 草思社

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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