コラム

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人生うまくいかないと感じているあなたへ|悩みが解決するブッダの教え

こんにちは。齋藤勇磨です。

私たちの人生は、時に、思いも寄らない苦難に襲われることがあります。

「子供が学業に失敗し、引きこもりになってしまった」

「家族も自分も、面倒な病を次々に抱えてしまった」

「仕事がうまくいかず、事業をたたむことになってしまった」

「突然の交通事故で、大ケガを負った」

こんなことがあると、心配で夜も眠れません。

苦しみに沈むと、「ずっとこの状態が続くのでは」と暗い気持ちになり、悶々とした日々を送ることになります。

また、「自分ばっかり、なんでこんな目に」と不満が募り、やる気をなくしてしまう、という人もあるかもしれません。

「何をやってもうまくいかない」。そんな時、どうすればよいのでしょうか。

そんなあなたに、ぜひお届けしたいのが、ブッダの説かれた教え、仏教です。

人生うまくいかないならお経に耳を傾けよう

「えっ!ブッキョー?」とびっくりされた方もあるかもしれません。

しかし、考えてみれば、「駆け込み寺」という言葉もあるように、昔から、仏教は、いろいろな人生の悩みに答えてきた歴史があります。

人間の悩み苦しみは、本質的にはいつの時代、どこの国でも変わりません。

仏教は「抜苦与楽」の教えと言われ、私たちの苦しみ悩みを取り除き、幸せに導くために説かれたもの。

ですから、仏教は、私たちの悩みに答えられた叡智の宝庫といえるのです。

その、ブッダの説かれた仏教は、すべて、お経に書き残されています。

ひとくちにお経といっても、七千余巻といわれるほど、おびただしい数の経典が残されています。

子供から大人まで、男も女も、思いどおりにならぬ毎日を過ごしています。

ブッダが教えを説く時は、相手の悩みや理解に応じた話をされ、徐々に深い教えに導いてゆかれました。

これを「対機説法」といいます。

様々な悩みを抱きながら生きている私たちを、”生きている今”、本当の幸せに導くために、どう例えれば、どんな面から話せば、少しでも分からせることができるか。

そのご苦労が、大変な数の経典となったのです。

そのお経に、人生うまくいかない理由と、その解決の道を探してみましょう。

人生うまくいかない!そんな時に気をつけたい3つの間違い

お経には、人生うまくいかない時に、つい陥りやすい3つの間違いが教えられています。

ここではまず、その3つの気をつけたい考え方を紹介したいと思います。

1.根拠のない迷信や占いにすがってしまう

人生がうまくいかない時に、よくあるのが、

「難病にかかったのは先祖の祟り」

「悪霊が憑いているから」

「毎週のように占いの館に行ってみてもらう」

と、根拠のない迷信や占いにすがってしまうタイプです。

普段は信じていない人も、不幸や災難が立て続けに起こると、「一応、みてもらおうか」「念のためにお祓いに行っておこうか」などと言います。

苦しい時やつらい時、なかなか人に言えない悩み事がある時、誰かに助けを求めたくなります。

ところが、「溺れる者はワラをもつかむ」で、苦しい時や、つらい時、悩んでいる時ほど、いいかげんなもの、安易なものにすがり、ますます苦しんでしまいます。

「ほら、気休めだよ、気休め」と言っていますが、気休めを求めるのは、心に光がなく気が休まらないから。

私たちの運命は、何によって決まるのかがハッキリしていないから、うまくいかないと何となく不安で、迷ってしまいます。

これだけ科学が進歩しても、根拠のないものを当てにする人が多いのは、当たるからではなくて、不安だからなのです。

ブッダは、有名な『涅槃経』というお経の中に「如来の法の中に吉日良辰をえらぶことなし」と教えられています。

これは「仏教には日の善悪は一切教えられていない」ということです。

この日は良い日だとか、悪い日だとか、あるいは、ある特定の人(例:星座が○座の人/血液型が△型の人)は、こんな日になるとか、そういったことは一切教えられていないということになります。

私たちの運命は、先祖のタタリや、手相や、星座、生まれた月日や、名前で決まるのではないのですよ、と教えられているのです。

では、私たちの人生、また、日々の生活が幸せに過ごせるか、はたまた不幸や災難に見舞われるか、それらの運命は、何によって決まるのでしょうか。

仏教では、自分の運命を生み出している原因は自分の行いなのですよ、と教えられています。

それを一言で表したのが、「自業自得」という仏教の言葉です。

自業自得の「業」とは、卒業の「業」の字を書いて、仏教では「ごう」と読みます。

「業」とは「行い」「行為」という意味ですから、「自業」とは「自分の行為」。

「自得」は「自分が結果(運命)を得る」という意味です。

つまり自業自得とは、自分の行為が、自分の運命を生み出すということであり、私に現れる運命の全ては、私の行為が生み出した結果であるということです。

この自業自得という言葉は、一般には悪い結果の時だけに使われていますが、仏教では、善いのも悪いのも、全ての運命が例外なく、自業自得と説かれます。

難関の試験に合格するのも、オリンピックで金メダルを取るのも、自業自得なのです。

ブッダは、運命の全てが自業自得なのだよと、教えられているのです。

2.「どうせ私は何をやってもうまくいかない」とアキラメてしまう

私たちは頑張ってもうまくいかないことが続くと「これも生まれついての運命か」と、つい投げやりな気持ちになることがあります。

困難や、挫折に直面して、アキラメてはいけないと思っても、つらいことや苦しいことが重なると、元気も希望も失って投げ出してしまいたくなるものです。

ですが、ブッダはこのような「運命は決まってしまっている」という考えを、強く排斥されました。

もし運命がすでに決まっているとしたら、私たちが努力したり、頑張ったりすることは全て無意味になってしまいます。

これでは、「努力しよう」「頑張ろう」という意欲が出てくるはずがありません。

だから「全ては生まれた時に決まっている」という考えは、人間を無気力でダメにする、と教えられるのです。

この、「アキラメる」という言葉は、「もう希望や見込みがないと思ってやめる。断念する」という意味で使われています。

しかし、「アキラメる」という言葉の、本来の意味を知ると、うまくいかない困難な時でも、元気と希望を持って頑張って乗り越えられるようになるのです。

「アキラメる」は、仏教の「諦観」からできた言葉です。「諦観」とは、「諦らかに観る」という意味です。

ブッダが、「あきらかに見なさい」と言われているのは、先ほど紹介した、「自業自得」の道理をあきらかに見なさいということです。

「私たちの運命は、自分の行いによって変えることができる」と教えられるのが仏教です。

実際、「運命はどうせ決まっているよ」とうそぶく人でも、試験前には勉強するでしょう。

勉強という行為が、試験の結果を変えると信じているからです。

病気にならない方法を聞けば実践します。日頃のタネまきが予防につながると思うからです。

本当に運命が全て決まっているなら、やるだけ無意味ですが、誰もそうは思わず、皆、自分の行いが自分の明日を変えていくと信じて生きています。

そしてそれは間違いのないことなのです。

反省がなければまた同じ失敗を繰り返すでしょう。

しかし原因をあきらかに見て、同じ失敗を繰り返さないように対策を立て努力すれば、幾らでも向上できます。

仏教で教える「諦観」は、このように無限の努力向上を促す前向きで積極的なものなのです。

3.自暴自棄になってヤケを起こしてしまう

人生うまくいかないと、「あとはどうにでもなれ」と、周りに八つ当たりしたり、やけ酒を飲んだり、衝動買いしたりと、自分でもコントロールできなくなってしまうこともあります。

しかし、この迷ったり、イライラしたりした時こそ要注意で、頭を冷やして、心を落ち着かせなければならないのです。

なぜならば、ちょっとしたことがキッカケとなって、想像もしていなかったような、苦しい状態に陥ってしまうことがあるからです。

仏教では、私たちの苦しみが深まっていく過程を、「惑業苦」と教えられます。

  • 「惑」……惑いということで、イライラして心が乱れたり、うまくいかなくて迷ったり、失敗して焦ったりしている心の状態です。
  • 「業」……悪い行いのことです。迷って焦っていると、ほとんどの場合、間違った行動をとってしまいます。
  • 「苦」……迷いや焦りのためにやってしまった悪い行いによって、生み出された苦しみです。

最初は小さな惑いが原因となって、悪い行い(業)をしてしまいます。

その結果、受ける苦しみが原因となって、さらに大きな惑いが生じます。

今度は、その惑いが原因となって、もっと大きな悪い行い(業)をしてしまうのです。

車輪が回るように、惑→業→苦を繰り返して、どんどん苦しみの輪が大きくなっていくのです。

こんな歌があります。

「ままにならぬとおひつを投げりゃ そこらあたりは ままだらけ」

人生うまくいかない、思うままにならないからといって、ヤケを起こしておひつを投げつければ、そこらじゅうがご飯だらけになる。

余計に後始末に苦しむのは自分です。

今の結果は、全て自分の行いの引き起こしたものです。

過去を変えることはできませんが、過去の行いを反省し、正しい教えに従って、ただ今から根気よく善い行いをすれば、必ず人生は好転するのだよと、ブッダは励ましてくださいます。

それでも人生うまくいかないという人へ

しかし実は、ブッダは、「人生は苦なり」と説かれています。

私たちは、自分の人生を思いどおりにしたいと願っていますが、

「世の中は 一つかなえばまた二つ 三つ四つ五つ 六つかしの世や」

と古歌にあるとおり、一つ自分の思いどおりになると、もっと願望をかなえたい、もっと満足したい、安心したいと、際限がありません。

思いどおりにならないと、邪魔したと思われる相手に腹が立ちます。

うまくいっている時は、もっともっとと欲が膨れ上がり、うまくいかなければ、怒り・恨みを晴らそうと思う。どちらにしても幸福ではなさそうです。

たとえ思うままの人生でも、この世は長くて100年そこそこ、長いようで短い夢・幻の一生。

やがて必ず私たちは、生涯かけて手にした全てを手離し、たった独りで後生(来世)へと旅立っていかねばなりません。

だから、どれだけ時代が進んでも、どんな世の中になっても、私たちの苦しみはなくならないのだよ、とブッダは教えられました。

問題の本質は、「どうすれば、災難や事故にあわず、人生うまくやっていけるか」ではありません。「どんな目にあっても変わらぬ幸せになるにはどうすればよいか」なのです。

では、人生の苦しみが変わらぬままで、どうすれば「人間に生まれてよかった」という本当の幸せが獲られるのでしょうか。

私たちの最も知りたいこの問いに、答えられているのが、仏教です。

もっと知りたい方は、ぜひ、お近くの仏教セミナーや講座に参加してみることをおすすめします。

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この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨



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