人間関係

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職場に苦手な先輩。注意され落ち込んだ時どうすれば?(悩み相談・20代女性)

職場で苦手な先輩がいます。どうしたらいいでしょうか

こんにちは、仏教講師の明石誠です。今回は、人間関係の悩みにお答えしたセミナーの内容を、まとめてみました。この記事が、同じ悩みを抱える方のヒントになれば幸いです。
【悩み相談】
 職場で苦手な先輩がいます。注意や指摘ばかりで委縮してしまい、いつもできていることまで、できなくなってしまいます。負のスパイラルから抜け出せません。どうしたらいいでしょうか。(20代会社員・Aさん)

自分のすべてを否定する人も、否定されたように思うのも間違い

自分の欠点を指摘されたり、過ちを注意されたりして、よい感情を抱く人はないでしょう。特に自分の気にしている点を言われら、一生忘れないほどの不快感を持つかもしれません。

まず、注意や指摘をする側として、心得ておかねばならないことがあるといわれます。
お釈迦様の「与奪の論法(よだつのろんぽう)」です。

相手の気持ちに寄り添って伝える「与奪の論法」とは?

「与」は与える、「奪」は奪うという字ですが、どんな意味でしょうか。

家庭でも職場でも、どうしても相手に注意しなければならないときがありますが、いきなり頭ごなしに叱るのではなく、まず相手を認め、相手の良いところを褒める=「与」。そうしてから、正すべきところを言う=「奪」。

まずは相手に与え、そのうえで言いたいことを伝える話し方を「与奪の論法」といいます。

太平洋戦争の連合艦隊司令長官であった山本五十六は、このような言葉を残しています。

やって見せ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ

どんな環境下に置かれても、人の心を忘れ無視しては、うまくいかない。

長官の指示は絶対服従というトップダウンの組織で、最高司令官が、このような言葉を残していることに、深く考えさせられるではありませんか。

また、相手に対して注意する場合でも、相手の人格を否定するようなことは言ってはいけません。「バカ」「死ね」「あっちへ行け」など、相手自身を否定するようなことを言うのは禁句です。

学校などでも、担任の厳しい指導がきっかけで、生徒が自殺してしまう悲しい事件が起きています。

注意されて全部ダメだと思う必要はありません

私たちは、上の立場の人から強い叱責を受けると、「どうせ自分はダメな人間なんだ」と思ってしまいがちですが、「自分なんて、この仕事、向いていない」と思うべきではありません。

何か指摘を受けたら、ただその点が悪いのであって、自分のすべてが悪いわけではないからです。だからその1点を受け止めて、正せばいいのです。

仏教では仏の慈悲は、すべての人にかかっており、みな尊い命を持っていると教えられます。自分自身のすべてを否定する人も、否定されたように思うのも、また間違いなのです。

叱られて落ち込んでしまう本当の原因とは?

さてそこで、職場の上司が自分に対して注意や叱責をするということは、自分自身に正してもらいたい点があるからでしょう。

ただあてつけで他人を叱りつけるようなことをする人はそうそうありません。

注意を受けたということには、必ず原因があります。

その原因、問題点がはっきりしていないところが、実は今回の質問の要(かなめ)です。その要がはっきりしていないからこそ、

叱られた→自分は駄目なんだ→落ち込む

という構図になります。

叱られて落ち込み、臆病になってしまう原因は、その叱責の本質が分からないところにあります。

何が問題の本質か分かれば、恐れなくて大丈夫

職場で注意や叱責を受けることは、誰にでもあるでしょう。

しかし、上司の指摘するのは1つのことが問題なのだと受け止めたならば、どうでしょう。

叱られた→これは駄目なのか→今後はこうしよう

と、前向きに取り組むことができます。

そのように受け止めたならば、上司も、

「彼は叱りがいがある」
「任せやすい」

と、叱られたあとの反応を見て、かえって信頼を厚くするでしょう。

周りを見ても分かりますが、往々にして、叱られる人は出世するものです。叱りやすい人、言いやすい人は、長い目で見れば、それだけ失敗した人であり、結果的に、そのまま安心して任せられる人になっていくからです。

注意されたとき大切な忍耐。どんな心で耐えればいい?

では注意を受けるとき、どんな心がけが大切でしょうか。

仏教に「忍辱(にんにく)」という言葉があります。

意味は「忍耐」(耐え忍ぶ)ということで、仏教で6つの善い行い(善行)の1つに数えられます。

今日の質問者の方は、すでに「忍耐」されています。これは善い行いであり、大変勧められていることです。

怒り散らして、組織も人間関係もめちゃめちゃにしては、自損損他(自分も他人も損をする)。それは子供のすることです。

ただ、忍耐するとき、どんな心で耐えるか。
ここが今回の大事なポイントです。

「この恨み、必ず晴らす・・・」という心ではなく(笑)

「何か一つでも学びを得る」という心がけが大事です。

私が得る運命のすべては、私の行いが生み出したものであり、善い運命も悪い運命も、自らの行いにより現れたものであると仏教では教えられます。

誰に何を言われても、そこには必ず自身の学び、向上があります。

「声が小さい」
「字が汚い」
「動作が遅い」

などと言われたときには、カチンときますが、何か学び取れないかな、と学び取ることが大事です。

もちろん、叱る相手の中には反面教師と言われるような、悪い見本もありますが、

「こういうことをすると相手が嫌な気持ちになるんだな」
「これぐらいよかろうと思うことでも言ってはいけないな」
「自分だったらこうしよう」

と、必ず何か学ぶことがあります。

注意を受けたことを縁に、「昨日よりは今日、今日よりも明日、少しでも前進しよう、向上しよう」という心がけで臨めば、叱責を受けた時は、それを改善点としてより努力向上し、褒められたならば、それを糧に、より前向きに生きることができます。

自分自身を否定しているのは「他人」ではなく、ほかならぬ「自分自身」です。

誰もが、かけがえのない目的をもって、この世に生まれてきた一人なのですから、その目的を果たすところまで、ともに前向きに生きていきましょう。


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この記事を書いた人

仏教講師:明石 誠



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