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エジソンと思いやりのこころ|多くの発明を残せた秘訣

こんにちは、齋藤勇磨です。

トーマス・エジソン(1847-1931)といえば、アメリカの発明王として、知らない人はいないでしょう。

幼い頃、彼の伝記を読んだ方も多いのではないでしょうか。

彼は、84年の生涯で、白熱電球や蓄音機など、1,000件を超える特許を取得し、数々の発明品を世に送り出しました。

これだけ多くの発明を残せた背景には、エジソン自身の「アイデアを出すスタンス」が影響していると言われています。

異なる視点から新たな気づきを導き出す

とっぴなアイデアを思いつく独創性と、それを形にする、血のにじむような努力。

「天才とは1パーセントのひらめきと99パーセントの努力である」*1の言葉は、あまりにも有名です。

そう聞くと、「きっと、研究所に閉じこもり、たった一人で試行錯誤していたのだろう」と思うかもしれません。

実は、エジソンは孤高の発明家ではありませんでした。

彼は、技術者や機械工、物理学者など、たくさんの才能ある人たちを集め、チームで多くの発明を生み出していたといわれます。

エジソンは1つのプロジェクトで議論を交わし、アイデアが尽きると異なるプロジェクトに顔を出し議論を交わすことを繰り返していました。

つまり、目の前の1つの研究だけに没頭するのではなく、複数の異分野の研究にかかわることで、脳を刺激し相乗効果を得ていたのです。

また、エジソンは”メモ魔”でもありました。

何か思いついたことがあると、すぐに手元の紙に書き留めていたそうです。

生涯にわたって書き残したメモやデータは何と500万枚以上。

自分の頭の中にある複数のテーマを脳の外に吐き出し、同時に並べることで新しいアイデアを得ていたのでしょう。

得意な人に任せるのが得意

彼には、新たなひらめきを得る卓越した才能がありましたが、細かな作業は苦手だったようです。

そこでエジソンは、自分に足りないところは、仲間を信頼し、助けてもらっていました。

例えば、彼が新しい発明を思いつき、さっとスケッチを描くと、図面の得意な技師が、イラストを基に工夫を加えて製図します。

その設計図を見ながら、手先の器用な技師がスピーディーに試作品を作成。

別の研究者ができ上がったものをチェックし、改善点をアドバイスする、といったように、それぞれが、得意分野を発明に生かしていました。

エジソンは、「自分は工場の管理は苦手だが、自分の代わりに管理してくれる人間を探してくるのは得意だ」*2と言っています。

仲間の長所を見抜き、信頼し、力を発揮させることに長けていたのです。

また一つ前進したと思えばよい

そんなエジソンは、皆を励ますことに、いつも心を砕いていました。

白熱電球の発明時のエピソードは、そのよい例でしょう。

今から130年も前、家庭の照明器具といえば、まだロウソクかランプが主流でした。

ガス灯も一部で使われていましたが、値段が高いうえに、爆発する危険性がありました。

「電気を使って、明るくて、安全で、経済的な照明器具を開発できないだろうか」。

そう考えたエジソンたちは、白熱電球の実用化に取り組んだのです。

いちばんの難関は、光を放つフィラメント部分の耐久性でした。

適した素材が見つからず、開発当初は、あっという間に熱で溶けてしまい、1分ももたなかったのです。

トウモロコシの繊維から研究助手のヒゲまで、あらゆる素材を試しましたが、ことごとくうまくいかず、実験は難航しました。

失敗の数が1万回を超えた時、若手の助手が、耐えかねてエジソンに尋ねました。

「これだけ失敗しても、まだ続けるのですか? もう無理かもしれませんね」

「失敗だって? とんでもない。うまくいかない方法を見つけただけだ。一つ前進したと思えばよい。途中で、あきらめることが失敗なんだ」*3。

そう言うと、彼は実験の結果をすべて細かく記録し、そこから教訓を引き出して、同じ間違いをすることのないよう、次の実験に応用したといいます。

明るい未来を語り、皆を励まし続けたエジソン

エジソンは、どんな時も前向きでした。

彼は、仲間たちの先頭に立って、昼夜を問わず、開発に没頭しました。

みんながしおれていても、ほがらかな少年のように喜びにあふれて同じ実験を繰り返し、みんなの元気を奮い立たせたといいます。

また、夜遅くまで働く仲間のために、食事を振る舞いねぎらいながら、「数百時間、いや1,000時間でも輝くランプを作れる」*4と、将来の明るい未来を熱っぽく語り続けました。

彼の率先垂範の姿と力強い励ましに、研究所は、ますます活気にあふれました。

世界中から素材を集めて実験に打ち込んだ結果、ついに、最適な素材を見つけ、白熱灯実用化への活路が開かれたのです。

仲間を信頼し、思いやる心

エジソンの人生は、決して順風満帆ではありませんでした。

成人になる前には聴力をほとんど失っていますが、「雑音が聞こえないので集中力が増すんだ」とポジティブに捉えています。

やがて、彼は蓄音機を発明したのも、「耳が聴こえないから、もっとはっきりした音を聴きたかった」と動機を語っていました。

67歳で研究所が火事になり、多くのものを失った時も、エジソンは、「またやり直せばいいじゃないか」と、あっけらかんとしていたそうです。

つらくても、皆を励まし、信頼し続けたエジソン。

発明の才能もさることながら、彼が誰よりも持ち合わせていたのは、つらい経験から学んだ、仲間を信頼し、思いやる心だったといえるかもしれません。

[出典]
*1 ロバート・アープ(責任編集) 大野晶子・高橋知子・寺尾まち子(訳)『世界の名言名句1001』 三省堂
*3 木村耕一(著)『まっすぐな生き方』 1万年堂出版
*2、4 桑原晃弥(著)『トーマス・エジソン 神の仕事力』 電波社

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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