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ベートーヴェン|運命は自らの手で切り開くもの

こんにちは、齋藤勇磨です。

ドイツ出身の作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)。

不動の人気を誇り、クラシック音楽の雑誌では、好きな作曲家のランキングで常に上位にあがるといいます。

その名を聞けば、学校の音楽室に貼られていた、あのいかめしい表情を思い出す人もあるでしょう。

数々の偉人伝で取り上げられている彼は、音楽家の命ともいえる耳が聞こえなくなる苦境にめげず、多くの名作を残し、「楽聖」と呼ばれました。

難聴と闘い名曲を創作

ベートーヴェンに難聴の兆しが見えたのは、20代後半の頃です。

今日は、作曲家として名声を得ているベートーヴェンですが、最初、彼が喝采を受けたのは、ピアノの名手としてでした。

即興演奏の腕前は「当代随一」と言われ、たちまちにして名声を博します。

音楽の都ウィーンで並ぶ者のないピアニストとして成功し、着実に地位を築きつつありました。

同時代のピアニスト、ヨーゼフ・ゲリネクは、「ああ、彼は人間じゃない。彼は悪魔だ。彼は私や私たち皆をとことんまいらせてしまう。それに彼の即興演奏は何てすごいんだ!」と羨望の眼差しを向けています。

「ピアニストの中の巨人」と評され、まさに順風満帆の時期でしたが、次第に衰える聴力は、音楽活動だけでなく、日常生活にも影響するレベルになり、ピアノ演奏を断念せざるをえなくなったのです。

31歳の時、療養中だったベートーヴェンが、弟のカールに宛てた「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる手紙には、次のように苦しい胸中が書かれています。

すべての障害を突破して振舞おうとしてみても、私は自分の耳が聴こえないことの悲しさを二倍にも感じさせられて、何と苛酷に押し戻されねばならなかったことか!
(『ベートーヴェンの生涯』ロマン・ロラン著・岩波書店)

絶望から、一時は自殺も考えたベートーヴェンでしたが、難聴を乗り越え、作曲に打ち込んでいきました。

「ジャ・ジャ・ジャ・ジャーン」が冒頭で二度繰り返される交響曲第五番の「運命」や、年末によく演奏される「第九」など、誰しも耳にしたことのある作品のほとんどは、難聴の始まったあとに書かれています。

「運命」を作曲し始めた頃の親友への手紙には、「運命の喉っ首をとっつかまえてやろう。へたばってなんかしまうものか」*1とあります。

この決意に象徴されるように、彼は生涯、過酷な運命に挑み続けました。

理想を目指し、たゆまず努力

ベートーヴェンの音楽は、血のにじむような努力から生み出されていきました。

彼は一年を通じて、毎朝、日の出とともに起き、すぐに自分の机に向かい、昼過ぎまで構想を練りました。

彼の創作を知るうえで欠かせないのが、膨大なメモの存在です。

現存するだけでも、数千枚にも達する楽譜のメモが残されています。

友人たちの証言によると、ベートーヴェンは、常に小さなノートを持ち歩き、立ち止まっては何かを書き留めていました。

ベートーヴェン自身が、手紙の中でこのように述べています。

私はいつもノートを携えています。楽想が思い浮かぶと、すぐさまそれをノートに書き付けます。何かたまたま思い浮かぶ場合は、夜中でも起き上がります。そうでないと、その楽想を忘れてしまうからです。

散歩中の、ほんのちょっとした思いつきも書き留めておき、美しいメロディがメモ帳の中で育てられていきました。

「一行なりといえど書かざる日なし」*2が、彼のモットーです。

加えて彼は、自身を鼓舞する言葉を常に書き留めていました。

「この世でなすべきことは、たくさんある。すぐになせ!」*3

「おまえの生活を無為にすごすな」*4

などの叱咤激励が、彼の手記には多く並んでいます。

構想を練ったあとは、譜面に起こしていきます。

彼の楽譜を見ると、余白がなくなるほどに推敲を重ねた跡が見られます。

変更が多すぎて紙を差し替えなくてはならなくなった形跡も残っていますし、時には、丸ごと新しく書き直さなくてはならなくなることもありました。

どんなに優れた作品にも改善の余地はあり、時間の許す限り、より良い音楽を目指すべきだと考えていたのでしょう。

驚くばかりの推敲の跡には、理想の音楽を目指し、たゆまず努力を重ねるベートーヴェンの姿が映し出されているようです。

不屈の信念で運命と戦う

努力の塊、ベートーヴェンには、こんなエピソードも残されています。

ある時、ベートーヴェンは、自分の作曲したオペラを演奏するピアノ奏者が、楽譜の片隅に「神の助けによって、つつがなく演奏が終わるように」と書き込んでいるのを目にしました。

ベートーヴェンは、すぐにペンを執ると、その下に「神に頼るとはなんたることだ。自らの力で自らを助けたまえ」*5と書き足したといわれます。

運命は、自らの手で切り開くものだ――。

そんな彼の不屈の信念から生み出された音楽だからこそ、私たちは、強く心を揺さぶられるのでしょう。

1827年3月26日、ベートーヴェンは、ウィーンで世を去りました。

葬儀には、ウィーン内外に住む多くの音楽家が参列し、墓地への葬列の参加者は数千人にものぼったと言われています。

[出典]
*1、2 ベートーヴェン(著) 小松雄一郎(訳)『ベートーヴェン書簡集』 岩波書店
*3、4 ベートーヴェン(著) 小松雄一郎(訳・編)『ベートーヴェン音楽ノート』 岩波書店
*5 サミュエル・スマイルズ(著) 竹内均(訳)『自助論』 三笠書房

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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