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シェイクスピアと『リア王』|道化ばかりの人生舞台

こんにちは、齋藤勇磨です。

「劇というものは、いわば、自然に向って鏡をかかげ、善は善なるままに、悪は悪なるままに、その真の姿を抉りだし、時代の様相を浮びあがらせる」(『ハムレット』3幕2場)

世界を代表する劇作家といえば、シェイクスピアでしょう。

脚本執筆の目的を彼は、有名な『ハムレット』で、このようにハムレットに言わせています。

いつの時代にも通じる赤裸々な人間の姿を、演劇を通して提示しようとしたのが、うかがえます。

シェイクスピアのかざした鏡には、どんな人間の姿が映し出されているのでしょうか。

権力者の悲劇を描いた『リア王』から、探ってみたいと思います。

【ネタバレ注意!】『リア王』のあらすじ

ブリテン王・リアには、3人の娘がいた。

長女ゴリネル、次女リーガン、末娘コーディリアである。

年老いた彼は、領土や権力を、娘や婿たちに譲り、彼らの世話になって、安らかな隠遁生活を送ろうと考えた。

そこで、公平に領土を分配するために、娘たちに、自分に対する愛情や、感謝の気持ちを、家臣の前で公言させた。

長女と次女は、領土を得るために、あらん限りの言葉で父への孝心を飾った。 

しかし、リアが最も愛していた、末娘のコーディリアは、言葉を飾る不誠実を嫌った。

父への孝心を尋ねられ、愛情と感謝は言葉で表せぬほど深いが、父だけを特別に愛することはできない、と語る。

リアは、驚きあきれ、その場で、最愛の娘を勘当してしまう。

愛情が深かっただけに、裏切られたショックも大きかったのだ。

やがて、傷心のリアは、100人の騎士を引き連れて、長女のゴネリルの城を訪ねる。

しかし長女は、城内で、わがまま勝手に振る舞うリアの存在が、疎ましかった。

冷たくあしらい、家臣にも冷ややかに接するように命じた。

不当な扱いに耐え切れなくなったリアは、長女の不孝を呪いながら城を出る。

次女の孝心を頼りにしたが、次女のリーガンは、父を城内にも入れず、姉のもとに帰るように、冷徹に言い放つ。

行き場のなくなったリアは、忍びがたきを忍んで、なおも、その城に留まろうとする。

そんな父にリーガンは、とどめをさすように、1つの条件を出した。

リアの家来は1人も城に入れない、というのだ。

張り裂けんばかりの苦しみに打ちのめされ、リアは発狂し、道化1人を従え、ボロボロの姿で、嵐の荒野をさまよう。

末娘・コーディリアが、窮地のリアを救い出そうと、夫のフランス王と共に立ち上がるが、姉の軍勢に捕らえられ、殺されてしまう。

最愛の娘を失い、絶望とともに、とうとうリアも息絶えるのだった。

老いと孤独に悩むリア王

『リア王』は老いと孤独に悩む人の物語です。

「わしは今や、統治の大権も、国土の領有も、政務の繁雑も脱ぎ捨てるつもりだ」

年老いた王はそう引退を宣言し、3人の娘に財産を分け与えようとします。

ところが、思い望んだ安寧な老後生活はかないません。

いつの世も、誰にとっても、老いをいかに生きるかは難題のようです。

日々の報道を見ても、社会保障の破綻や老々介護など、独り暮らしの気楽さは、加齢とともに心細さにすり替わります。

数ある老後問題の中で、筆頭に挙げられるのが「孤独」です。

近年も、イギリスで「孤独担当大臣」が新設されました。

900万人以上が孤独を感じているというイギリスでは、月に1度も友人や家族と会話をしない高齢者が20万人に上ります。

そんな孤独は心と体の健康をむしばみますから、問題解決のために設けられた役職なのでしょう。

日本でも「孤独死」が社会問題化しているように、内外を問わず、”孤独”は大きな問題です。

種々の対策を施せば、癒やされる孤独もあるでしょう。

しかし”一人じゃ孤独を感じられない”。物質に囲まれ、肉親や友人に恵まれていても、”寂しい”と深く感ずる人があります。

社会的政策だけでは、どうにも埋められぬ心の空洞が、私たちにはあることを、『リア王』は浮き彫りにしてくれます。

総理、大臣、会長、社長と言われても、地位を去れば勝手が違うことは、当時のイギリスも、令和の日本も変わりません。

悲劇は、なぜ起きた

思えば王の悲劇は、娘たちの虚言を信じた愚かさから始まりました。

まことでないものを信じれば、必ず裏切られる時が来ます。

信じるとは、あて力にする、心の支え、明かりにすることです。

支えを失った時、人は倒れます。

深く頼っているほど、裏切られた時の苦しみは大きいのです。

娘たちの孝心を信じ、裏切られたリアは、その耐えがたき苦しみを、こう叫ぶ。

子が親に背く! わしの口が、食物を持ってきたわれとわが手を、嚙み千切るようなものではないか。(3幕4場)

苦悩が、リアの胸を引き裂きました。

大切にしていたものから、次々と裏切られてゆく、世の不条理を体験し、リアは声を限りに嘆きます。

この世に生まれ落ちた時、わしらは泣いた。はじめてこの世の空気を嗅いで、わしらは泣いた。説教してやる。よく聞けよ。わしらはみんな、この世に生まれて、道化ばかりの、この、世界という、 巨きな舞台に放り出されて、泣いたのじゃ。(4幕7場)

人間はみな道化であるといいます。

崩れゆく無常のものを信じて、裏切られて苦しむ。また何かにすがっては、裏切られて苦しむ。そんなことを生涯、繰り返しながら死んでゆく。

それが人生とすれば、人間は、皆、確かに道化に違いありません。

リア王のお供には道化がつきますが、リアもまた、愚かな道化の一人なのです。

金や財もみな借り物

金や地位や権力で囲まれている人は、強い人間に見えますが、『リア王』を読むと、それらも、すべて無常であり、裏切られる悲しみを知らされます。

人間のつけた一切の虚飾を、ふるい落とされたそこにあるものは、かよわき葦のような自己でしかありません。

地位も名誉もすべて、束の間の装飾にすぎないことを知ったリアは、家来を諭します。

文明の皮を剝ぎ取れば、人間、たったこれだけの、素裸の、哀れな、二本脚の動物にすぎぬのか。捨てろ、捨てろ、こんな借り物。(3幕5場)

「タライより、タライに移る五十年」と、一休は、人の一生を喝破しました。

生まれてくると、タライの産湯につけられ、死んでゆく時には、一生涯、集めたものをすべて置いて、棺おけのタライに入ります。

結局人間は、一生かかって何も得られずに死んでゆく。受け入れ難いこの現実を、シェイクスピアの掲げた鏡は、容赦なく映し出しています。

すべてが、移り変わってゆく無常の世界に生まれながら、私たちは、何かを信じなければ、生きてはゆけません。

『リア王』は、時代や国を超え、今日まで読み継がれてきました。

どれだけ世の中が変化しても、その都度、人間は、身にまとう衣装を変えているにすぎないからだと思わずにいられません。

シェイクスピアが掲げる鏡に映った人間劇は、色を変え品を変え、現代も繰り返されています。

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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