1912年、タイタニック号は冷たい大西洋の底に姿を消しました。
不沈の船と呼ばれていた豪華船タイタニック号の沈没は歴史に深く刻まれました。
事故をもとに製作された映画が、1997年公開の『タイタニック』です。
この悲劇は、船の安全性だけでなく、人生においても重要な教訓を残しています。
悲劇の背後に隠された、私たちの人生にも通じる教訓に迫ってみましょう。
タイタニック号沈没事故とは
全長268メートル、全幅28メートルのタイタニック号は、3年がかりで建造された、当時世界最大規模の豪華客船です。
船体は、当時としては珍しい二重船底です。
船体も多数区画構造で、一部の区画が浸水しても隔離することによって浮力を維持する仕組みになっていました。
そのため、「絶対に沈まない船」と呼ばれていたのです。
そのタイタニック号が、イギリスのサウサンプトンから、ニューヨークへの初航海に出発したのは、1912年4月10日のことでした。
ところが、よく知られているとおり、航海を始めて数日後、1912年4月14日の深夜、北大西洋中央部で、タイタニック号は氷山に衝突してしまいます。
事故は船の右舷(右側)で発生し、船の船首から機関室にかけて大きな破損が生じました。
氷山との衝突からわずか2時間40分後に、タイタニック号は完全に沈没します。
乗船していたのは合計2,224人でしたが、事故発生から最終的な沈没までの時間が非常に短く、事故により、1,517人が犠牲となり、生存者はわずか706人でした。
沈没の理由1:豪華な外見に隠れた欠陥
タイタニック号の建造費用は現在の価値で約244億円といわれます。
およそサッカー場3面分、高さ17階建てのビルに匹敵する壮大なスケールは、誰もがうらやむ存在だったに違いありません。
しかし、タイタニック号の欠陥は、外見の豪華さに隠れていました。
船体の鉄板の継ぎ目は、リベットという鉄製の部品でつなぎ合わされていました。
その数、約300万個。
このリベットが破損して、船体のすき間から海水が入り込んで沈没したという説が有力です。
当時は知られていませんでしたが、破損したリベットは、現在の鉄鋼よりも硫黄などの不純物が多く、低温に弱かったのです。
氷山の浮かぶような海水の低温では、もろくなっていたといわれています。
私たちの人生においても、教訓といえる点でしょう。
見栄や外面ばかりに気を遣い、内面や弱点を見過ごしていないだろうか、と反省させられます。
人からは見えない部分にこそ、目を向け、適切に向き合うことが重要です。
沈没の理由2:スピードと焦り
事故の際、船のスピードは過度でした。
この高速の理由は「大西洋横断の新記録樹立のため」と説明されていましたが、タイタニック号はもともと「スピードよりも豪華さ」を売りにした客船です。
高速航行には、実は、別の理由がありました。
航海に出発する時点で、船内の燃料貯蔵庫(石炭庫)で火災が起きていたのです。
火災の原因は、加熱した石炭が自然発火したことによる「くすぶり火災」と考えられています。
ところが、タイタニックを所有するホワイト・スター・ライン社は出港を延期させることなく、そのままタイタニックを出発させました。
背景には、当時、ライバル会社と熾烈な競争を繰り広げていたことが挙げられます。
この競争に何が何でも勝たねばならないとの決意で、「究極の船」の建造を決めたこともあり、経営難で、一刻も早くタイタニック号の処女航海を成功させたかったのです。
火災を食い止めるには、燃えている石炭をボイラーに投げ込んで燃やしてしまう以外に方法がありません。
そこで、担当メンバーはありったけの勢いで石炭をボイラーにくべ、船は23.5ノットという高速に到達し、氷山帯に突き進みました。
大西洋横断にギリギリの石炭しか積んでおらず、減速させると再加速に余分な石炭を消費するため、燃料切れになる恐れがあったからだといいます。
火災を起こした石炭庫は、氷山と衝突した右舷前方と、ピタリと一致する場所にありました。
実験によると、1000度の高熱にさらされた隔壁は、強度が4分の1にまで低下したそうです。
火災は燃料庫の外に燃え広がることはありませんでしたが、船体の外板と船内の防水隔壁を1000度もの高温にさらし続け、強度を低下させました。
そこに、氷山との衝突。外板を横長に引っかくような衝突で強度が低下していた外板は裂け、海水が流入しました。
強度低下のため、想定より早く、水圧で隔壁が崩壊し、浸水が一気に進んで沈没に至ったのだといいます。
私たちの人生でも、焦りや急ぎすぎる行動が、後に痛い結果を招くことがあります。
「急がば回れ」。計画を立て、急がずに確実に進むことが、より良い結果を生む大切なステップです。
沈没の理由3:警告の無視
タイタニック号では数々の警告が無視されました。
出航後、流氷原が行く手の海域に存在するという警告を、他船から無線で受信していましたが、船長はそれほど深刻には受け止めていませんでした。
航海中も、流氷原があるという警告をさらに受けますが、速力を減速することなく高速(20.5ノット)で航行を続けています。
エドワード・スミス船長は、ホワイト・スター・ライン社で最も経験豊富な船長であり、北大西洋航路は何度も航海していました。
「今までは大丈夫だった」「自分は大丈夫だ」という過信があったといわれても、しかたないでしょう。
私たちの人生でも、氷山(危険)が待ち構えているでしょう。
「今までは大丈夫だった」「自分は大丈夫だ」と過信することなく、時折現れる警告やサインを見過ごさず、物事を冷静に判断することが大切です。
視野を広げ、目の前の現実をしっかりと見つめましょう。
沈没の理由4:救命ボートの不足
タイタニック号には、およそ60人乗りの救命ボートが、20艘しか積まれていませんでした。
それでは、乗船者合計2,224人の半分、約1200人しか乗ることができません。
タイタニック号は、救命ボートを合計48艘積めるように設計されています。
しかし、ホワイト・スター・ライン社は、「救命ボートを増やせば甲板が雑然とする」と考え、乗客の快適性を優先させたのです。
そのため、事故後の対応では混乱が広がり、多くの人命が失われてしまいました。
中国の四字熟語に、「居安思危(こあんしき)」があります。
「安きに居りて危きを思う」と読み、平穏なときにこそ、危機に対処する心構えを持つことを意味しています。
私たちも、いざというときに備え、未来を明るく憂いのない状態にしたいものです。
まとめ: 前車の覆るは後車の戒め
「前車の覆るは後車の戒め」といわれます。
過去の失敗や悲劇を踏まえ、同じ轍を踏まないようにすることが、より良い未来に繋がります。
タイタニック号沈没は、人生の航海における大切な教訓を与えてくれるのではないでしょうか。
この記事が、成功への航路を切り開くカギとなることを願っています。
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