人間関係

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察する力~「相手の立場に立つ」って簡単そうで難しいよね

好感を持たれ、信頼される人の「察する力」

こんにちは、優紀です。

職場や家庭、友達同士でも、できれば、心通わせる深い人間関係を築きたいものですよね。好感を持たれ、信頼される人には共通点があることを、以前、こちらの記事でお話ししていました。


ひと言でいえばそれは、相手の心を「察する力」。では「相手の心を察する」とは、具体的にどんなことでしょうか。

先輩は、いつも何に心がけているんですか?

私の1つ上の学年に、S先輩という人がいました。先輩は県庁に就職し、新人として部署に所属するなり、自然と周りから好かれ、押し上げられて、まだ若いながらも短期間で部署のまとめ役、他部門との連絡を任された人です。

私自身も学生時代から先輩と接することが多く、内心、尊敬している一人でした。

ある時、食事会が設けられ、就職して1年目のS先輩と隣席する機会がありました。先輩の活躍を聞いていた私は、かねてから抱いていた疑問をぶつけてみました。

「先輩は、いつも何に心がけているんですか?」

その時の先輩の一言は、端的で、かつ、今までにも耳にしたことのある言葉でしたが、今の私の行動規範ともなっている、大変重要な心がけでした。

「相手の立場に立つ、ということだよね」

先輩の言われたことを自分に照らし合わせて反すうしているうちに、先輩は、具体的な心得を教えてくれました。

例えば、こんな食事会で、普段しゃべらない人と話す機会があるけど、相手から話しかけられた時に、ぶっきらぼうに一言で返すだけ、というのは良くないよね。「学部は?」「文学部です」。「専攻は?」「心理学です」。これじゃつまらない。
せっかく自分に近づいて話しかけてもらい、仲良くなろうとしてくれているのに、全く相手の心が分かってない、知ろうともしていないことが、よく分かるよね。
たとえ一言で答えられるようなことであっても、「文学部です。心理学を専攻しています」など、言葉を加えて会話を続ける努力が大事だね。

あと、もう一つ言うと、相手が質問をしてきた時に、その質問に対して、とうとうと自分の考えを述べるだけでは十分じゃない。相手の関心事に対して自分は話をしたのだ、と満足していてはいけない。

向こうから質問してきたということは、向こうはそのことに関心を持っているのだから、自分に対しても聞いてほしい、話したいという気持ちを持っていると考えていい。
その気持ちを察し、自分が受けたのと同様に質問のお返しをする必要がある。

すると相手は話したいことが話せるので、気分が乗ってくる。
結果的に、こちらを話しやすい人だ、話し上手だと喜び、親しみをもって、ぐっと距離が縮まることになる。

何を望んでいるのか察するには、まず自分が相手だったらどうか、相手に何を望むだろうかと考えてみることが大事だ。
向こうの気持ちを知ろうと思いを巡らし、満足するように努力する。

やってみるといいよ。続けていくと、だんだん変わっていくから。

S先輩との会話は、今も自分の宝となって、自分を支え、押し出す原動力となっています。

自分が相手の立場だったら、と考えてみる

相手が今何を考えているのか、自分に対して何を望んでいるのか、できる限りよく知ろうと努力することです。
気が利く人、気配りができる人は、必ず相手の気持ちを正確に知ろうと努力しています。

そのため「自分が相手の立場だったら、どうだろうか」と常に考えています。

一般的に、社交的な場などでは、どんなに周りに無頓着な人であっても、自分がしてほしいことを、そのまま口に出すようなことはしません。婉曲(遠まわし)な形で要望を相手に伝えようと努力します。

その方法の一つとして、自分のしてもらいたいことを他人にするという行為が挙げられます。

例えば食事会の席で、相手にお茶を勧める人のコップは空になっていることが多い。
相手に勧めることで、自分にも勧めてもらいたいと思っている。

そんな時、自分がお茶を勧められて注いでもらったならば、相手の心を察し、感謝の言葉を述べてから「どうぞ」と相手にも勧める。
そうしてはじめて相手は満足し、また自分も満足し、お互い良い関係に一歩近づくことができます。

しかし、その心を察せず、自分が注いでもらって、相手に勧めることがなければどうでしょうか。相手は自分の心を受け取ってもらえなかったと寂しい思いをし、自分との間に、何らかのしこりを残す結果になります。お互いの距離は一歩遠ざかってしまうでしょう。

相手の気持ちを感じ取り、自分にできることが何かないか、常に考えをめぐらす努力が大事です。

相手に思いを巡らし、今、自分ができる精一杯をしていく

仏教に「布施(ふせ)」という言葉があります。

世間的には、僧侶に渡すお金をお布施といわれますが、「布施」とは「普施」とも言われ、「普く施す」と書くように、相手を思いやり、ねぎらい、幸福を与えることをいいます。
今日、使われる言葉で言えば、「親切」がぴったりかも知れません。

今、相手は何を望んでいるか。
今、この人は何に悩み、何を求めているのか。
常に思いを巡らし、今、自分にできる精一杯をしていくことです。

そうしていったならば、自然と相手もこちらの心を察し、思いやりの心をもって親身に接してくれます。
実行していって初めて知らされることですが、その喜びは格別です。

この世の中には、いろいろな幸せがあります。
大好きなプリンを食べているときも幸せ。
一生懸命働いて、給料が入ったときも幸せ。
気になっていた異性と親しくなれたのも幸せ。
たまの休日に、ほっと一人で読書するのも幸せなひとときです。

しかし、お互いに思いやり、それぞれがそれぞれをサポートし、助け合う関係は、他では決して味わうことのできない深い幸せです。
それは個々人の能力や気質、立場を超えた一体感、安心感です。

皆さんもぜひ、そのような関係を築いていただきたいと思います。

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この記事を書いた人

仏教講師・ライター:優 紀

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