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こんにちは、高松です。
今日は、人気のあるテーマ「イライラするときの対処法」についてお話しします。
みんなイライラしてるんでしょうね。
そう思われる方もあるかもしれませんが、悩んでいるのは、決してあなただけではありません。安心してください。
ちなみに今、イライラしていますか?
おそらく今この瞬間は、そんなにイライラしていないと思います。
必ず原因があるんです。
じゃあどこからイライラが出てくるのでしょう?
じつは、自分の姿が分かると、イライラの原因が見えてきます。
今回は、イライラする原因と、対処法〈初級・中級・上級〉をお話ししたいと思います。

「イライラ」が今日のテーマですけれども、怒りの心を知るためには、まず「欲の心」を知らないと、原因はわかりません。
私たちは、欲を満たしたら「幸せ!」と感じますよね。
その「欲」が妨げられたときに出てくるのが、「怒りの心」なんです。
「アイツのせいで、儲けそこなった!本当は儲けられる予定だったのに」
これは、財欲が妨げられた怒りです。
「なんでそんなカンタンな計算ミスするんだよー」
「なんでそれやっちゃうかな」「なんで間違って発注するかな」とかね。
仕事が増えて、睡眠欲が妨げられてイライラします。
「コイツのせいで、恥かかされた!」
名誉欲が妨げられて、カーッとなりますよね。
こういう「欲を満たすのを邪魔された時」に出てくるのが、イライラする気持ち、怒りの心です。
皆さんも思い出してみてください。
なんにも理由がなければ、怒らないんです。
そういう時に出てくるのが、怒りの心です。

「怒」という字が、「心」の上に「奴」と書くように、怒ると「あのヤツ、このヤツ」と、相手を切り刻む。恐ろしい心です。
皆さんもきっと、怖いな~と感じると思うのです。
この心が出てくると、自分では制御できなくなってしまうからです。
無謀って、どんな時に使いますか?
皆さんは、あまり無謀なことはしないでしょうか?
こんな感じですね。
謀(はかりごと)無し、なので、計画していないことをやるんです。
怒る予定なんてないですよね?
「水曜日の17時に怒ります」
そんなふうに決めてはいないはずです。
計画していないのに、突然スイッチが入れられてしまう。
それが、欲が妨げられたタイミングですね。
そう思っていますから、幸せを邪魔されて、怒りスイッチが入れられてしまったのです。

イライラしたとき、たいてい、こんなことを思います。
相手を苦しめることにしか、意識が向かなくなってしまいます。
ケンカをしているとき、どんなことを言おうとしますか?
こういうことを考えるから、普段は言わないようなことを言ってしまうんです。
みなさんも経験ありませんか?
ですから、終わった後、落ち着いた後でふりかえると、後悔に終わるんです。
「あんなこと言わなければよかった」
「あんなことしなければよかった」と。

ある外国であった話です。
羊を飼っているところで働いていた人が、主人から怒られてしまいました。
飼っていた羊が1匹、群れから逃げ出して、主人のごはんを食べちゃったんです。
主人は当然、怒りますよね。
「なんでこんなところに羊を入れておくのか。ちゃんと柵に入れておきなさい」
せっかく食事を準備して、喜んでもらおうと思っていたのに。
怒られてしまったじゃないか。
「羊が入ってきたから、羊が悪い!」
イライラして、羊に暖炉の火を投げつけたんですね。
どうなると思いますか?
ウールですからね!燃えるんですよ。
羊もびっくりして、あわてて群れに戻るわけです。
たくさん飼っていた羊、どの羊にも燃え移ってしまって、全部の羊を燃やしてしまった。すごい損害です。
「あー、あんなことしなければよかったー!!」
と思うんですけれども、後悔しても、しょうがないですよね。
やってしまったことはどうしようもありません。
怒りは、本当に怖いなと思います。
この言葉のとおりだなと思いますね。

怒りの心が出たときに、どう対処したらいいか。
対処法をよく知ってもらえたらと思います。
実際に「10」かぞえてみてください。
けっこう長く感じると思います。
怒っているときに10秒ガマンするのは、なかなか大変だと思いますが、これができたら犯罪者にまではならないと思います。
たとえば、車でビューっと追い越されたとき。
プライドの高い男性は、カチンとくる。イライラする。
そういうときに、危ない運転になって事故を起こしてしまうんですね。
自動車学校の教官は、10秒といわず「6秒数えましょう」と言います。
ちょっと短くなりましたね。6秒でも落ち着きます。
心を落ち着かせることが大切です。
アバターのような、自分の分身をヒュッっと出してみるのもいいでしょう。そのアバターから「あー、怒ってるな私」と見つめます。
客観的に見たら、このままいったらどんな行動とるか、分かると思います。「今、危ないな」と。
客観的に見ることが、怒りの対処法と言われます。

電車に乗っていたところ、あるお父さんが、小さい子どもを2人連れて乗ってきました。
子ども2人は靴を履いたまま、イスの上で飛び跳ねています。
「あらかわいい坊ちゃんね」と思いますか?
「ちょっとな……」と思うでしょう。
お父さんは一体なにをしているんだろう。
見てみると、お父さんは下を向いて、子どもに気づいていません。
それで、みんな怒っていたわけです。イライラしますよね。
一人の紳士が声をかけて、「子どもにそんなことをさせていては、よくないでしょう」と言いました。
お父さんはハッと気がついて、「あぁ、申し訳ありませんでした。じつは、先ほど病院で妻が亡くなりまして。子どもたちは事態を受け入れられずに、パニックになっているんだと思います」
そう聞いたら、どう思いますか?
と怒りも収まるでしょう。
それでもダメなもんはダメだ!と言う人もありますけれども、
私たちは、事情がわかると、怒りの心がスーッと引くところがあります。

このエピソード2を通して、イライラするときの対処法を考えてみましょう。
たとえば、上司が理不尽なことを言ってきたとき。上司は私の言ったことを忘れている。
「この前、言ったことなのにな」と腹が立ちますよね。
そんなときこそ、上司の事情を、こちらで勝手に設定しちゃうんです。
事実と違っていてもいいんです。
設定すると「しょうがないな」と許せる心が出てくる。
自分のために、そうするんです。
少し客観的に見る余裕ができますよね。
そうですよね。
なんでそこまでして許さないといけないのか、と思いますよね。
ただ、そうやってイライラして、損をするのは自分です。
自分のために、相手を許すんです。あなた自身が、後悔に終わらないために。
自分の世界で見ちゃうと、自分の世界がすべてですから、自分のルールで、
となってしまいます。誰でもそうなるんです。
戦争でも、どちらの立場に立つかによって、見え方が変わってしまいます。
親戚がいたり、大好きな人がいたりすると、相手を許せないんですね。
自分の世界がありますから。自分の世界で、相手を「とんでもないな」と思っている。
みんな「自分の都合」なんです。

初級編・中級編も、実践は難しいですけれども、上級編は、仏教でしか言われないイライラの対処法です。
仏教ではこのように教えられます。
「謗る」とは、非難するということ。
私たちは、まちがったことやった人や、失敗した人に対して「何やってるんだよ!」「なんでそんなことするの」と言いますよね。
「謗るまじ」ですから、そういう非難をするな、と教えられているんですね。なぜでしょう?
「咎(とが)」とは、罪・失敗・間違いのこと。
「たとえ咎ある人なりと」ということは、その人は実際に失敗したんです、落ち度がある人なんです。
だけれども、「わが過ちは それに勝れり」
私の過ちは、もっとひどいよと書かれてあるんです。
こういうところに立っているんです。高度な考えですよね。
明らかに相手は失敗しているんです、まちがっているんです。ダメなんです。
ダメなんですけれども、それを縁に、自分が反省している。すごいですよね。

なんでそんなすごいことが言えるかというと、仏教は本当のあなたの姿を映し出す鏡だからです。
仏教を「法鏡」と言われます。
鏡に近づけば近づくほど、自分の姿が見えてくるように、仏教を聞けば聞くほど、欲、怒り、うらみ・ねたみ・憎しみの心が一杯だということが見えてきます。
自分の醜い心や汚い心が見えてくるのです。
だから、人が失敗したとき、イライラしたり恨んだりはするんですけれども、
と、自分に目が向きます。
「私はもっとひどいな」と自己反省が入るので、「あなたも失敗したけれども、気にしなくていいよ」と言うことができます。

仏教が広まると、ケンカが減ることを表したエピソードがあります。
A家とB家、それぞれ夫婦が住んでいました。
Bさん夫婦は、罵り合いすぎて、さすがに疲れてしまいました。
「もうケンカはやめようよ」となったんですね。
ところが「俺だってケンカやめたいよ。やめたいけどお前がこう言うから……」と言うものですから、またケンカが始まりかけました。
「ちょっと待って。Aさんのところは仲良いでしょ。きっと何か秘訣があるのよ。あなた聞いてきなさいよ」
「なんで俺が行かなきゃいけないんだ」とまたケンカが始まったわけですけれども。
「まぁ、わかった」ということで、イヤイヤですが、主人がAさんのところに秘訣を聞きに行きました。
負けたくないので、教えてくださいとは言いづらくて、世間話していたんですけれども。
普段来ないBさんが訪ねてきたので、Aさんも「それで要件は何でしょう?」と尋ねます。
とイヤイヤ頭を下げて聞いてみたんですね。
するとAさんは、「いやいや、秘訣なんかありませんよ」と爽やかにいうものですから、Bさんはまたカチンときて「こちらは苦しんで頭を下げているのに、秘訣がないと言われてしまったら困りますよ!」と。
「そこまで言われるのでしたら、気づくことを言わせてもらいましょう」ということで、こんなアドバイスをされました。
Bさんは、なにか皮肉を言われた、馬鹿にされた!と思って、またカチンと思ったときに、家の奥のほうでパリンと音がしました。茶碗か何かが割れたようです。
すると、こんなやりとりが聞こえてきます。
このように、お互い謝っているわけです。
それを見てBさんは「あぁ、この家は悪人ばかりだな」と納得した、という話です。

と言われます。
もし戦争をしている国が、お互い、
「ウチが悪かったんです」「いやいやそうじゃない、ウチが悪かった」
こうなったら、戦争にならないでしょう。
ところが「俺が正しい、お前がまちがっている」
「いや俺が正しい、お前がまちがっているんだよ」
これだからケンカになってしまうんです。
もし「自分がまちがっているんです」「いえいえ私が」と言い合えたら、仲良くなりますよね。悪人ばかりじゃ、ケンカにならないのです。
仏教では「私の姿」について、どのように教えられているか。
私はもっとひどい。なぜかというと、欲・怒り・愚痴の煩悩の塊だから。
全然、良いものではないんです。
悪人である自己の姿を知らされるのは、苦しいことですが、それは本当の幸せになるために必要なことなのです。
仏教を聞けば聞くほど、本当の幸せに近づきます。
ぜひ仏教を聞いてください。
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