コラム

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なぜ第一線のビジネスパーソンは、鎌倉時代の古典『歎異抄』を読むのか

こんにちは、齋藤勇磨です。

いまは、AIなどの技術が急速に進歩し、世界情勢もめまぐるしく変わる、予測が難しい時代です。

昨日まで通用したやり方が、明日には通用しなくなるかもしれません。

私たちは常に、将来への「見通しの立たない不安」を抱えて生きています。

こうした中、社会人の間で意識の変化が起きています。

表面的なテクニックを求めるのではなく、物事の根本を理解し、未知の問題に対応するための「教養」を深く学ぼうとする人が増えているのです。

出版不況が叫ばれる中、書店で異例の大ヒットを記録している本があります。

約700ページもあり、価格も一般的な本の倍近い、いわゆる「鈍器本」です。

効率やスピードが重視される今日に、なぜこれほど分厚い本が多くの人を惹きつけるのでしょうか。

いま、ビジネスの最前線で「教養」が求められる理由

話題の中心にあるのは、永井孝尚氏の著書『世界のエリートが学んでいる 教養書必読100冊を1冊にまとめてみた』(KADOKAWA)です。

専門的な内容にもかかわらず、令和5年11月の発売からすぐに、10万部を突破しました。

この本が支持される最大の理由は、著者の永井氏が持つ「難解な知識をわかりやすく伝える力」です。

永井氏は日本IBMなどで重要な役職を務め、現在はコンサルタントとして活躍する実務のプロフェッショナルです。

大学の研究所にいる学者の視点ではなく、「実際の仕事でどう生かすか」「人をどう育てるか」という現場の目線を持っています。

そのため、難しい古典の思想が、明日から使える実践的な考え方へと変換されているのです。

内容は、哲学、歴史、経済から科学技術まで、歴史的な名著100冊の要点を、1冊あたり数ページで解説しています。

忙しい人でも、短い時間で人類の知恵を幅広く学ぶことができます。

特に注目したいのは、AIが発展するこの時代において「なぜ読書が必要なのか」という点です。

データの検索や要約のスピードでは、人間はすでにAIに勝てません。

単に知識を知っているだけの価値は下がっています。

これから必要なのは、AIの答えをそのまま信じるのではなく、「人間とは何か」「人の生きる意味は何か」という根本的な問いに向き合う力です。

読書を通して過去の偉人たちの考えをたどることは、AIには代わりができない「人間としての軸」を作るために欠かせません。

人類の叡智の歴史を鳥のように俯瞰し、関心のある「原著」へと向かうための入り口として、本著を高く評価している人が多いようです。

例えば、読者レビューには、本著の解説を読んだのがきっかけとなり、名だたる大著の原書や、紹介されている解説書へ、実際に手を伸ばす決意をしたという言葉が、多く並んでいます。

古典『歎異抄』が、いまの私たちの心を打つ2つの理由

さて、この「学ぶべき100冊」の中に、西洋の哲学書や科学書がひしめく中で、日本の古典『歎異抄』(たんにしょう)が選ばれています。

数ある名著の中から、なぜ鎌倉時代に書かれた仏教書が高く評価されているのでしょうか。

まずは、『歎異抄』とはどのような本なのか、概要に触れておきます。

『歎異抄』は鎌倉時代に書かれた書物で、『徒然草』や『方丈記』と並んで「三大古文」の一つに数えられることもあります。

声に出して読みたくなるような美しい文章がちりばめられており、暗唱する愛読者も少なくありません。

なぜ現在の私たちが、昔に書かれた『歎異抄』を読むべきなのでしょうか。

理由は大きく2つ考えられます。

1つ目は、「欲望をコントロールできない社会」への鋭い指摘です。

ビジネスの現場を想像してみてください。

会社の売上目標を達成したり、給料が上がったりしても、すぐに「もっと稼ぎたい」「さらに出世したい」という気持ちが湧いてきます。

仕事の成果が注目されても、「もっと多くの評価が欲しい」と際限なく求めてしまうでしょう。

人間は、一つの目標を達成するとさらに大きなものを求め、かえって不満や虚しさを感じるようになります。

今の社会では、常に競争や欲望が刺激され続けるようです。

終わりのない目標や欲望を追い求め、いつまでも心が休まらない状態は、私たちが抱える大きな問題点と言えるのではないでしょうか。

2つ目は、激しい社会の変化と、それに伴う「命のはかなさ」への不安です。

私たちの身近な生活を思い浮かべてみてください。

昨日まで安定していた大企業が急に業績を悪化させたり、AIの普及によって自分の仕事が突然なくなるかもしれないと焦りを感じたりしています。

また、大きな地震や豪雨などの自然災害、いつ巻き込まれるか分からない交通事故、そして新しい感染症の流行など、当たり前だった日常が一瞬で奪われる出来事も後を絶ちません。

科学や医療、テクノロジーがどれだけ進歩しても、私たちの生活や命はとてももろく、はかないものであると、何度も思い知らされるのではないでしょうか。

絶対に崩れない「本当の幸福」への道しるべ

こんな私たちに、『歎異抄』にある次の一文が、重い意味を持って迫ってきます。

「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無し」

これは、「火宅のような不安な世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべては、そらごと、たわごとであり、真実は一つもない」という意味です。

先ほど挙げた「終わりのない欲望」「命のはかなさ」という2つの問題が、この一文にすでに示されています。

鎌倉時代から現在まで、政治や経済、科学や医学は大きく進歩しました。

しかし、人間の心の本質や悩みの根本は、全く変わっていないことに気づかされます。

では、私たちはこの不確実な世界で怯えて生きるしかないのでしょうか。

『歎異抄』が長く読み継がれている理由は、その恐れの先にある確かな希望を示しているからです。

この本には、「人間に生まれてよかった」と心から満足できる「人生の目的」が明らかにされています。

それは、環境の変化で失われる一時的な幸せではありません。

たとえ事故や災難に遭っても、老いや病気で体が不自由になっても、さらには死を前にした時でさえ、決して崩れることのない「永久に変わらない幸せ」です。

その素晴らしい世界について、第1章では「摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益(りやく)」、第7章では「無碍(むげ)の一道」という言葉で詳しく説明されています。

「摂取不捨」とは、「ガチッと摂め取られ、永遠に捨てられない」こと。「利益」とは幸福のことです。

この世で何があっても決して崩れることのない、絶対の幸福を言うのです。

この絶対の幸福になった人は、心にどれだけ欲望や怒り、嫉妬の煩悩が逆巻いても、それが幸福の妨げになることはありません。

一切のさわりがさわりとならない世界ですから、『歎異抄』にはまた、「無碍の一道(むげのいちどう)」とも説かれているのです。

誤解されやすい『歎異抄』を正しく読み解くために

このように、『歎異抄』には私たちを引きつける魅力があふれていますが、実は読む際に一つ注意しなければならないことがある、と永井氏は言います。

それは、大変な誤解を生みやすい言葉が多く含まれているという点です。

意味を履き違えてしまう恐れがあることから、なんと明治時代の初めごろまでは、一般の人が読むことを禁じられ、封印されてきたという歴史があります。

では、私たちはどのようにしてこの古典を学べばよいのでしょうか。

『歎異抄』の解説書や現代語訳は数多くありますが、その中で、著者である永井氏が、本文中に紹介し、「解説がわかりやすい」とオススメしている本があります。

それが、『歎異抄をひらく』(1万年堂出版)です。

先が見えず心が休まらない今だからこそ、ぜひ『歎異抄をひらく』を手にして読んで学んでみてください。

誤解しやすい言葉の奥に隠された、絶対に崩れない本当の幸福を探すための、確かな道しるべとなってくれるはずです。

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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