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今だからこそ響く本当の『青い鳥』。幸せの行方を探して

こんにちは、齋藤勇磨です。

誰もが一度は絵本やアニメで親しんだことのある名作、『青い鳥』

「幸せは遠い場所にあるのではなく、実は身近なところにある」

そんな教訓めいた結末を、なんとなく覚えている方も多いのではないでしょうか。

実はこの物語、私たちが思い込んでいるよりもずっと奥深く、そしてビターな「大人のための真実」が隠されているのです。

今回は、著名な作家さえも誤解していたという『青い鳥』の3つの秘密と、「本当の幸せ」について、一緒に紐解いていきたいと思います。

誰もが知っている物語の、意外と知らない3つの秘密

『青い鳥』の作者は、モーリス・メーテルリンク。ベルギー生まれの詩人であり劇作家です。

「えっ、童話作家ではないの?」と思われたかもしれません。

実は、ここに私たちが意外と知らない事実が隠されています。

まず1つ目の事実は、この作品が本来「童話」ではなく「戯曲(演劇の台本)」として書かれたということです。

私たちがよく知るストーリーは、後に子供向けに読みやすく書き直されたものがほとんどですが、本来は、舞台の上で役者たちが演じる、重厚なセリフ劇だったのです。

そして2つ目は、作者メーテルリンクが「ノーベル文学賞」を受賞しているという事実です。

『青い鳥』があまりに有名なため、可愛らしい童話作家というイメージが先行しがちですが、彼は当時、象徴主義を代表する劇作家・詩人として世界的に評価されていました。

ノーベル文学賞作家が描いた作品だと知ると、単なる子供だましの冒険譚ではないような気がしてきませんか?

そして3つ目の秘密。これが最も重要で、私たちの心をざわつかせます。

それは、「幸せは身近にある」という、あの有名なテーマそのものが、実は大きな誤解を含んでいるかもしれない、ということです。

これについては、あの直木賞作家である五木寛之氏でさえ、かつては思い違いをしていたと告白しています。

少し長いですが、五木氏の言葉を引用してみましょう。

ぼくは非常に誤解をしてまして、長い遍歴の末に鳥が見つからずに帰ってきて、落胆していると、自分の部屋にじつは青い鳥はいた、ああ、青い烏はここにいたんだ、そうなんだな、遠くではなくて、山のかなたにではなくて、自分たちの生活の、ふっと足もとをふり返ると、そこにこそ本当の希望とか幸福があるんだ、私たちはそれに気づかなかったんだという教訓的なお話だと思っていました。
(五木寛之『青い鳥のゆくえ』角川書店/1999年)

五木氏ほどの作家が「誤解していた」と言うのですから、私たちが勘違いしているのも無理はありません。

一般的に信じられているのは、「夢の中で探したけれど見つからず、目覚めたら家の鳥かごにいた。めでたしめでたし」というハッピーエンドです。

実は、原作の戯曲をしっかりと読み込むと、物語はそこで終わってはいないのです。

いえ、もっとシビアな現実が描かれていると言ったほうがよいかもしれません。

原書からかけ離れたイメージが定着してしまった『青い鳥』。しかし、ノーベル賞作家が、単に「足元を見なさい」という説教をするためだけに、この長編戯曲を書くはずがありません。

そこには、人生の酸いも甘いも噛み分けた大人だけが読み取れる、深いメッセージが隠されているのです。

捕まえても消えてしまう、儚き幸福のメタファー

では、チルチルとミチルの旅路を、もう少し丁寧に追体験してみましょう。

物語の中で、2人は「思い出の国」「夜の御殿」「森」「墓地」「幸福の花園」「未来の王国」など、不思議な世界を次々と巡ります。

特に印象的なのは、彼らが出会う「青い鳥」たちの運命です。

例えば、「思い出の国」で亡くなったおじいさんとおばあさんに会い、そこで青い鳥を見つけます。

しかし、その鳥を籠に入れた途端、鳥は黒く変色してしまうのです。

「夜の御殿」で捕まえたたくさんの青い鳥たちも、光を浴びた瞬間にすべて死んでしまいます。

「未来の王国」で捕まえた鳥は、赤く変わってしまいました。

なぜ、鳥たちは色を変え、あるいは死んでしまうのでしょうか。

ここには、メーテルリンクが仕掛けた重要な符号があります。

「未来の王国」でのチルチルと「光」の対話を見てみましょう。

チルチル:ぼくたち、どこにいるの?
光:未来の国です。まだ生まれない子どもたちのいるところです。帽子のダイヤモンドのおかげで、はっきり見えるでしょ。たぶん青い鳥もここで見つかりますよ。
チルチル:ここでは、何もかも青いから、鳥だって青いだろうな。ほんとに、なんてきれいなんだろう!
(五木寛之『青い鳥のゆくえ』角川書店/1999年)

未来の国は青く美しい。しかし、そこから持ち帰ろうとすると、その色は失われてしまう。

「幸福」というもののあまりの儚さ、そして人間がそれを所有することの難しさを暗示しているのではないでしょうか。

そして物語のラスト。自宅の鳥かごに青い鳥を見つけたあの有名なシーンの後、一体何が起きたかご存じでしょうか。
実は、せっかく見つけたその青い鳥も、最後にはどこかへ飛び去ってしまうのです。

「幸せは身近にあった」と安心したのも束の間、その幸せは、私たちが油断している隙に、指の隙間からこぼれ落ちるように消えていく。

「まわり道をしてやっと見つけたのに、ボヤっとしている間にいなくなってしまう」

これは、私たちが人生で、痛いほど経験してきたことではないでしょうか。

愛する人との別れ、子供の自立、健康の喪失、環境の変化。

永遠に続くと思われた日常の幸せは、驚くほど脆く、簡単に形を変えてしまいます。

原作の戯曲の最後、チルチルは舞台の前に進み出て、観客である私たちに向かってこう叫ぶのです。

どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ぼくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから。
(モーリス・メーテルリンク著/堀口大学訳『青い鳥』新潮社/1960年)

なんと切実な叫びでしょうか。

物語は「幸せを見つけた」という完結ではなく、「幸せを逃してしまった、誰か助けてくれ」という悲痛な願いで幕を閉じるのです。

これは、どうにもならないこの世の幸せへの叫びとも受け取れます。

「人生に安易なハッピーエンドなどない」という、虚しささえ感じさせる結末です。

人間とは、幻を追いかけ、手にしたはずの幸福さえ不注意で失ってしまう、愚かな存在である。その人間の本質を、メーテルリンクは、童話劇という形を借りて、子供たちの魂に刻み込もうとしたのかもしれません。

「消えない青い鳥」を求めて

『青い鳥』が突きつける現実はシビアです。

一生懸命探しても見つからない。家にあったと思っても、いつの間にか逃げてしまう。

「結局、心から安心できる、変わらない幸せなんてこの世にはないの?」と、少し寂しい気持ちになってしまったかもしれません。

手にしたはずの幸福も、指の隙間から砂がこぼれ落ちるように、消え去ってしまう――。

大人にこそ、この「逃げていく青い鳥」のリアリティが、胸に迫ります。

しかし、諦める必要はありません。この普遍的な悩みに対し、時代を超えて一つの明確な答えを示している古典があります。

それが、『歎異抄(たんにしょう)』です。

鎌倉時代に書かれたこの書物には、「摂取不捨の利益(せっしゅふしゃのりやく)」という幸せが記されています。

「摂取(せっしゅ)」とは、ガチッと摂め取ること。

「不捨(ふしゃ)」とは、永遠に捨てないということ。

そして「利益(りやく)」とは、幸福のことです。

つまり、「一度ガチッと抱きとられたら、もう二度と捨てられることのない幸福」がある、と宣言されているのです。

メーテルリンクの描いた青い鳥は、籠に入れても色が変わったり、死んでしまったり、逃げ出したりしてしまいました。

それは、私たちの日常にある地位や名誉、財産や健康などの幸せが、変化し、失われてしまうものであることを象徴しています。

しかし、『歎異抄』が教える幸福は、環境が変わろうとも、老いても、病になっても、決して色あせることも逃げることもない「絶対の幸福」です。

逃げていく青い鳥を追いかける旅を終えて、決して捨てられることのない幸せについて、あなたも『歎異抄』を通して学んでみませんか?

古今東西、多くの人が求め続けた「青い鳥」。その本当の居場所が、『歎異抄』には記されているのかもしれません。

この記事を書いた人

ライター:齋藤 勇磨

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