こころ

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「自分を責める」がやめられない!落ち込みグセから抜け出してラクになろう。

【目次】

  1. 自分を責める理由。自責感情にも意味がある
  2. 自分を責めるのが、役に立たなくなる時
  3. 自分を責めるのは、クセになる。自責をしているほうがラクになる仕組み
  4. 自分を責めてもいい。考え方のバランスを整えるための「行動」
  5. 自分を責めるクセ「認知」をゆるめる方法
  6. 自分を責めずにおれない大失敗の後、リカバリーする仏教の考え方
  7. 自分を責めるクセを、逆利用して、未来につなげる
  8. 自分を責めるあなたが、そのままで幸せになるには

はじめに

こんにちは、心理カウンセラーの月見草です。

今回はこんなお悩みについてです。

失敗すると、反省というより、自分を責めて、すごく落ち込んでしまいます。

反省して、次に活かす。
いつもそうできたらいいですが、なかなかできないですよね。

ロボットなら、プログラムすれば機械的に処理できるでしょう。
ですが、感情がある人間なので、落ち込むこともあるのが自然です。

喜怒哀楽、感情の豊かさをもつのが人間の良さとも言えます。
人間以外でも、感情の豊かさがあるものに魅かれる面はあるでしょう。

たとえば、犬や猫は、表情はありませんが、しぐさで喜怒哀楽を察するから、心の交流ができます。
草木や花であっても、よく観察する人は、元気か、元気がないか、感情のようなものを読み取るから、愛着が湧くのではないでしょうか。

感情にふり回されるのは、苦しいことですが、悪いことばかりではありません。

仏教では、自分の心を見つめます。

欲や怒りに悩む人を相手に説かれています。

なにも悩まない人なら、そういう教えも必要ないでしょう。

欲や怒りに悩むほど、だからこそ喜びがある。
そんな心の境地もあります。

ただ、自分を責めすぎると、余計につらくなることもあると思います。
あなたが「苦しみの負のサイクル」から抜け出せるように、一緒に考えてみましょう。

自分を責める理由。自責感情にも意味がある

自分を責めてしまいます。いけないと分かっているのですが……

自分を責めることは、悪いことばかりではありません。

それだけ「また悪い結果を受けたくない」という気持ちが強い証拠だと思います。

悪い結果を恐れる人は、悪い行いをやめようとします。

それは大切な心がけではないでしょうか。

幼い頃から、自分を責めてきた人は、まじめで堅実であることも多いです。

自分を責める理由

なぜ、自分を責めるのでしょう。

ひとことで言えば「生き延びるため」

子どもの場合。
親に見捨てられたら、小さな子供は生きていけません。
見捨てられるリスクを減らすために、自分で自分を罰することがあります。

大人の場合。
村八分に遭ったら、その場所で生きていけません。
そのコミュニティの求める「枠」から、はみ出ないために、自分で自分を罰します。

自分を責めることで、重要な他者から見捨てられずに済んだのかもしれません。

今日まで生き延びることができたのですから、あなたの生存戦略は正解だったということではないでしょうか。

あなたがこれまで経験学習したことは、その環境で生き延びるために、必要でした。
自責感情にも意味があったのです。

自分を責めるのが、役に立たなくなる時

自分を責めるのは、「生き延びるため」でした。

自分を責めることで、親や社会のコミュニティの求める「枠」から、はみ出さず、生き延びてこれたのです。

心理学的に言うと、「適応的」な行動でした。

しかし、長期間にわたると、失敗を恐れるあまり、「無気力になる」「引きこもる」「病気になる」という形で、【社会参加しないことで失敗を回避する】ようになるリスクもあります。

「無気力になる」「引きこもる」「病気になる」ことが、すべて悪いとは思いません。
自分の身を守るため、生き延びるため、回復するために、必要なときもあります。

ところが、自分責めが、役に立たなくなる時があります。

イキイキと楽しく生きられない。
自分らしく、自信をもてない。
人と心の交流をとれない。

実はもう、安全なのに、こういった感情が長引いているなら、今はその行動が「不適応的」な行動になっています。

自分を責めることが、今の生活において、不適応的ならば、ゆるめたほうがラクになります。

自分を責めるのは、クセになる。自責をしているほうがラクになる仕組み

自分を責めると、つらいですよね。
その一方で、どこかラクな感じがしませんか。

自分を責めるのはつらいけれど、やめられないものです。

なぜ、もう「不適応的」な行動なのに、やめられないのか。

脳には、電気信号が流れています。
頭が働くときは、電気信号が流れることで、情報を伝えています。
その電気信号は、通りやすいところと、通りにくいところがあります。

くりかえし練習し「慣れた」とは、電気信号が通りやすくなったということです。

自分を責めるクセは、自分を責めるのに慣れて、電気の流れが通りやすくなっています。
自分を責めているほうが、ある意味ラクなのです。

でも、脳には可塑性があります。

可塑性とは……新たな状態をつくり、維持すること。

ピアノの練習でも、最初はうまく指が動かなくても、練習すると「指が勝手に動く」と感じるくらい、スムーズに弾けるようになります。

自分を褒めたり、前向きに現実に対処したりする脳の回路も、新たにつくることができます。

自分を責めるのは、クセになっていて、なかなか止めるのは難しいものですが、新たな脳の回路をつくるほうが、比較的簡単です。

初めは苦労するかもしれませんが、ピアノの練習と同じように、慣れてしまえば、スムーズにできるようになります。

自分を責めてもいい。考え方のバランスを整えるための「行動」

「自分を責めてもしょうがない」

そう言われたって、責めてしまうものは責めてしまうものです。

自分を罰しながらも、行動をすること。
このほうが大切だと思います。

認知行動療法というものがあります。
「認知」と「行動」にアプローチする方法です。

ストレスを感じたとき、

「認知」「行動」「感情」「体の反応」

この4つが、お互いに影響を及ぼし合います。

「感情」や「体の反応」は、自分の意志でコントロールすることは難しいと言われます。

そこで、「認知」と「行動」を、適応的なものに変えていきますが、

認知を変えるのは、難しいものです。
行動を変えるのは、比較的簡単です。

自分を罰するのは「認知」です。

「認知」がなかなか変わらないときは、「行動」を変える。
そうすると、「認知」も影響を受けて、変わりやすくなります。

行動しているうちに、

・失敗した人に優しく接することで、「自分も失敗してもいい」と思えるようになった。
・ベテランの人が失敗するのを見て、「誰にでも失敗はあるんだ」と感じ、自分の失敗を許せるようになった。
・大きな失敗をしても続けている人を見て、「自分の失敗は大したことない」と思えるようになり、自分を責めるのも「ほどほど」になった。
・周りじゅう失敗は日常茶飯事だとわかり、「100%うまくいくことなど、ほとんどない」と体感した。
・失敗もあるけれど、そこそこ上手くやっていると感じる。

このように、認知のバランスが取れてきます。

自分を責めながらでも、行動はできます。
あなたが今できる範囲で、行動しましょう。

自分を責めるクセ「認知」をゆるめる方法

「行動」すると、失敗して、自分を責めることが増えます……

行動を続けることで、得ているものも多くあると思います。

同時に、行動量が増えれば、当然、失敗も出てきます。
失敗は、行動した「勲章」のようなものですから。

失敗する自分を責めて苦しいときは、自分を責めるクセ、つまり「認知」をゆるめるアプローチしてみましょう。

大人になると、どちらが正解かわからないことも、多いものです。

不正解、間違い、バツ、ダメ、失敗。

あなたがそう思ったとしても、そうとも限らないかもしれません。

自分を責めている、あなたのやった「失敗」は、まわりにとっては「よかったこと」かもしれません。

・言い間違えてしまったけれど、笑いがおきて、場が和んだ。
・失敗してしまったけれど、まわりの人も緊張していたのが、安心に変わった。
・ミスを助けてもらって、絆が深まった。
・この一件を教訓に、対策を立てることができた。

何ごとも完璧にできる人が、愛されるとも限りません。

失敗したり、落ち込んだり、泣いたり笑ったりする人のほうが、感情豊かで、愛嬌があると思われるかもしれませんよ。

自分を責めずにおれない大失敗の後、リカバリーする仏教の考え方

失敗して、厳しく叱られた。
多大な迷惑をかけてしまった。
人から嫌われ、修復できなくなった。
その環境にいられなくなった。

こんなとき、自分を責めてしまうのも当然です。
少しも自分を責めない人のほうが、心配かもしれません。

同時に、自分を責めずにおれない大失敗の後、自分でリカバリーする力も大切です。

仏教の考え方が、ヒントになると思います。

1、因だけで結果は生じない。「因縁果の道理」とは

すべてのことは、因と縁がそろうことで、結果が生ずると仏教で言われます。
これを「因縁果の道理」といいます。

因だけで結果は生じません。

因とは、自分の行いです。

縁とは、因が結果になるのを助けるもの。

縁には、いろいろなものがあります。

たとえば、「米」という結果について考えてみますと、
米の因は、稲の種(モミダネ)です。
米の縁は、土、日光、水、肥料、気温、寒暖差、湿度、水はけ……といった、さまざまな条件があります。

あなたに生じた出来事も、あなたの行いだけで結果が生じることはありません。
複雑な因縁によるものです。

自分を責め続けるのは、自分で自覚してコントロールできる「因」だけが問題だと思っているからではないでしょうか。

自分ではコントロールできない「因」もあります。
「縁」の影響もあります。

因縁がそろってしまうと、自分の力ではどうにもできないこともあります。

2、山より大きなイノシシは出ない。「一大事」とは

自分を責め続けるのは、それが「取り返しのつかない一大事」だと感じているからかもしれません。

たしかに、つらい大失敗は、一大事だと感じることもあります。
周囲の人も、一大事だと思い、凄い剣幕で怒ってくるかもしれません。

しかし、仏教では、「取り返しのつかない一大事」は、たった一つしかない、と教えられます。

それは「死の一大事」です。
死ぬこと以上の「一大事」はありません。

「死の一大事」と比較すれば、仕事の失敗、人間関係の亀裂、借金、事故などは、「大事」ではありますが「一大事」ではありません。

「死の一大事」以外の、ほとんどのことは、取り返しがつきます。

その時は、取り返しがつかないと思っても、時間が経ってみれば、あれでよかったのだと思えることもあります。

「死の一大事」を大きな山だとするならば、それ以外のどんな苦しい出来事も、イノシシくらいのものです。
山より大きなイノシシは出ないのです。

自分を責めるクセを、逆利用して、未来につなげる

トラウマティックな出来事や困難な経験をきっかけに、人間として心が成長していくことをPTG(心的外傷後成長)といいます。

人生に感謝できるようになる。
人との絆を深める。
生きる意味を考え、答えに出会う。

自分を責めるクセを、逆利用して、未来につなげることができます。

自分を責めてしまうような出来事も、自分を責めてしまうクセも、これがあったから今の自分があると思えるようになりました。

また、今の悩みは、未来の自分に必要なことだから起きていると思います。

仏教では、すべての人間の本当の姿は、弱く、悪く、欲や怒りや愚痴でできている悪人だと言われます。
欲や怒りに悩む人を相手に説かれています。

私は仏教を学ぶほど、自分の弱さを受け入れてもらっていると感じ、人生に感謝できるようになりました。

自分を責めるあなたが、そのままで幸せになるには

仏教では、人間の心の姿を教えられています。

しかし、初めからその姿を受け入れられる人はいません。
「自分は、もっといい人間だ」と思っているからです。

自分を責めるのも、ある意味、「自分は、もっといい人間だ」と思っているからではないでしょうか。

仏教で「因縁果の道理」を教えられたのは、じつは深い意味があります。

因果の道理にしたがって、行動していくと、自分の心の姿が見えてきます。

頭で考えてわかることではありません。
机上の空論では通れない道です。

仏教に教えられる通りの、自分の本当の姿を知らされたとき、どんな酷い目にあっても変わらない心の幸せになります。

「死の一大事」の備えが完了するので、死に直面しても、変わらない安心になります。

山より大きなイノシシは出ないので、もちろん、他のどんなことが起きても、崩れない幸せです。

仏教で言われる「生きる意味」「人生の目的」は、この心の幸せになることです。

言葉だけ聞いてわかるような、浅いものではありません。
記事ではとても説明しきれない深い話です。

あなたも心の幸せになって、有意義な毎日を過ごしてもらいたいと願っています。

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この記事を書いた人

ライター:月見 草

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