幸せとは

幸せとは

悪口を言われて落ち込む。悪口を言われる私が悪いの?

【目次】

  1. 悪口に巻き込まれているから、あなたは苦しんでいる
  2. 悪口を言ってもいいケース・悪口を言ってもいい人
  3. 悪口を言われて、どうしても落ち込むときの対処法
  4. 悪口を言われるのは「自分が悪いからだ」としか思えないとき
  5. 悪口を言いたくて仕方ない!ガマンできないときは
  6. 悪口?注意勧告?
  7. 悪口をいわれても、恐れる心がない幸せ

はじめに

こんにちは、心理カウンセラーの月見草です。

今回はこんなお悩みについてです。

悪口を言われて落ち込んでいます。
悪口を言われる私が悪いのかな?と思うと辛くなります。

でも、なんであんなことを言われなきゃいけないのか、
あっちが悪いんじゃないかと思うと、腹が立ちます。

悪口を言われると、イヤーな気持ちになり、腹が立ちますよね。

自分が悪いのか、相手が悪いのか。
ぐるぐると考えて悩み続けてしまうのも分かります。

悪口を言われたとき、どう考え、対処するのがよいのか。
「悪口」の対処法を身につけていきましょう。

悪口に巻き込まれているから、あなたは苦しんでいる

悪口を言われたときは、境界線を引きましょう。

境界線とは
自分と他人の間に線を引き、自分を守ること。

目に見えない「心」に、相手をズカズカ土足で踏み込ませないように、「ここからは入ってこないでね」と一線を画すのです。

「悪口を言うほうの問題であって、私の問題ではない」と、線を引く。

仏教には、因果の道理が説かれています。

善因善果
悪因悪果
自因自果

自分のやった行いの結果は、自分に現れます。

悪口を言った結果は、悪口を言った本人に現れるのですから、「かわいそうだな」と思うだけでいいのです。

あなたが腹を立てたり、恨んだりすれば、あなたの行いとなり、あなたが苦しむ結果になります。
巻き込まれて、悪い行いをしないように気をつけましょう。

悪口を言ってもいいケース・悪口を言ってもいい人

謗るまじ たとえ咎ある人なりと わが過ちはそれに勝れり

自分の心まで見つめると、他人を悪く言えるような人は1人もいません。
自分は、相手以上に過ちを犯しているからです。

人を悪く言えるのは、

・人を踏み台にして、優越感をもっている
毒を吐いて人を傷つけているのに、平気でいる
・受けている恩を知らない

こんな罪の恐ろしさに、気づいていないからではないでしょうか。

他人の過ちには厳しいのに、自分の過ちには、なかなか気づかないのが人間です。

「目は外を向いているから」と言われますが、自分のやっていることは、わかるようで、わかっていないものです。

知るとのみ 思いながらに なによりも 知られぬものは 己なりけり

自分の心まで見つめると、他人に言えない恐ろしいことを思い、邪魔な人を「あの人がいなければいいのに」と心で殺しています。

そういった心の一部が、口から出てきたのが、悪口ではないでしょうか。

悪口を言うのは簡単です。
しかし、悪因悪果で自分に苦しみが現れます。
他人を傷つけ、自分をも傷つけてしまいます。

悪口を言ってもいいケースなど、ありません。
悪口をいってもいい人も、いません。

あなたも、他人の悪口を言わないようにしましょう。

他人から悪口を言われたときも、

「あの人は、悪い行いをしてしまっていることに、気づいていないんだな」

と思うだけにして、その人からそっと離れましょう。

悪口を言われて、どうしても落ち込むときの対処法

他人から悪口を言われたときも、

「私は、悪く言われたって仕方ないんだ……」

と受け取るのはやめましょう。

その受け止め方が、あなた自身を苦しめているのかもしれません。

他人はあなたを直接苦しめることはできません。
他人は、縁(きっかけ)にはなっても、原因にはならないからです。

すんなりと受け入れることはできないかもしれませんが、突き詰めていうと、あなたが、あなたを苦しめているのです。

あなたが心に思ったことが原因となり、あなたに苦しい結果が現れています。

「私は、悪く言われたって仕方ないんだ……」
「私がダメなんだ」
「私なんて、生きてる価値がないんだ」
「死んだほうがマシ」

などと思うのはやめましょう。

しかし、心に浮かんできて、思えてくるものは、どうしようもないときもあります。
それも1つの「結果」だからです。

どうすれば、「どうしても思えてくる」その結果を、回避することができるでしょうか。

「因果の道理」とは、「縁」を「因」に含めた言い方です。
精確に言うと「因縁果の道理」です。

因だけで起きる結果もなければ、縁だけで起きる結果もありません。
因を変えられないときは、縁を変えましょう。

そもそも、悪い縁に触れたから、悪い因と結びついて、あなたが苦しむ結果になったのです。

さるべき業縁の催せば、いかなる振舞もすべし。
(縁さえくれば、どんな恐ろしいことでもする)

縁さえくれば、どんなことも思ってしまいます。

心に悪いことを思い続ければ、どんな恐ろしいことをするか分かりません。
自分を傷つけたり、自殺願望をもったり、他人を傷つけたりするかもしれません。

それは、悪い縁に触れたのがきっかけではありませんか?
悪い縁から離れましょう。

「だけど、離れられません……」

こう思うのも、悪い縁に触れ続けているからかもしれません。

善い縁を見つけて、近づくほうが、比較的簡単かもしれません。
専門家や、味方になってくれる人に相談すれば、状況は改善しやすくなります。

・善い縁に近づく
・悪い縁から離れる

悪口を言われて、どうしても落ち込むときは、このように対処しましょう。

悪口を言われるのは「自分が悪いからだ」としか思えないとき

相手の言っていることにも一理あるときは、
相手の怒りや言い方の部分を差し引いて、翻訳して聞きましょう。

「○○してね、と言いたいんだな」

自分の存在価値を否定するのではなく、より具体的に、行動を変えるようにしましょう。

人間は煩悩具足の凡夫といわれます。
間違いだらけで、悪を造ってしまうのが人間です。

誤りを犯さないことを誇りとするよりも
誤りを直ちに改めることを誇りとしよう。

誤りは、誰にでもあります。
誤りを犯さないように気をつけることは大切ですが、どんなに気をつけていても、誤りを犯してしまうことはあります。

自分を責めて、落ち込んでしまうよりも、誤りを直ちに改めることを、誇りに思うようにしませんか?

羽生結弦選手は、こう言っています。

失敗があればあるほど悔しい気持ちがあって、それが成長につながると思っているので、別に切り替えなくていい。
悔しい気持ちがあるから、明日ワクワクできる。

失敗して、悔しい思いをしたことが、次の成長につながります。

自分がダメなんだ、と思う時は、もっと具体的に、「次はこうしよう」と行動を変えるようにしましょう。

行動を変えれば、結果は変わります。
因果の道理ですから、どんな小さな行動の変化でも、結果は変わるのですよ。

仏教には「転悪成善」という言葉があります。

悪が転じて、善となる。
苦しみが転じて、幸せとなる。

仏教を聞くと、どんな苦しみがやってきても、苦しみ甲斐のある苦しみになります。
苦しみが、幸せのタネになるからです。

悪口を言いたくて仕方ない!ガマンできないときは

つらく苦しい目に遭ったとき、つい、

「あの人のせいで……」
「あいつがあんなことをしなければ……!」

と言いたくなってしまうこともあるでしょう。

悪口を言う人は、その人自身が、苦しんでいるから、言わずにおれないのです。

あなたは、どうして悪口を言いたくなるのか。

「欲を妨げられたから」
つまり、
「欲を満たしたいから」です。

悪口(口の行い)は、心の表現です。
欲を満たしたいのに、満たせなかったとき、「あいつのせい」「こいつのせい」と言いたくなるのです。

あなたの「欲の心」を見つめましょう。

欲が妨げられたからといって、心のままに表現してしまえば、さらに悪を造ります。

・口コミや掲示板などに、悪口を書く
・ほかの人に陰口を言う
・怒りをぶつける

こういう行動をとれば、また悪を重ね、あなたに悪い結果が現れます。

怒りの心をぐっとこらえて、「忍耐」しましょう。
「忍耐」は、お釈迦様が教えられた、善い行いの1つです。
あなたが善い行いをすれば、あなたに幸せが現れます。

忍耐ができません……!

そういうときは、怒りや愚痴という形ではなく、信頼のおける人に相談しましょう。
どうすればいいか、一緒に考えるのです。

悪口?注意勧告?

注意勧告されているのに「悪口を言われた」と受け取る人がいます。
それは悪口ではないのですから、相手の言葉に耳を傾ける必要があります。

注意勧告しなければならないケースは、

・自分を傷つける行為。
・他人を傷つける行為。
・和を乱し、組織を壊すような行為。
・今後、大きな問題に発展するリスクのある行為。

本人が気がつかず、悪い行いを続けているときは、身を挺して叱るべき時もあるでしょう。

井戸のぞく 子を呼ぶ 親は命がけ

落ちたら大変なことになるのに、子どもは無邪気に井戸をのぞき込んでいます。
そんなとき、親は命がけで、子どもに「戻ってきなさい!」と叫ぶでしょう。
当然、子どもを思ってのことです。

なんでもかんでも「悪口だ!」「ハラスメントだ!」と騒ぐのは、まだ親心がわからないからかもしれません。

悪口をいわれても、恐れる心がない幸せ

悪口を言ったり、言われたり。
後味が悪く、誰も幸せにならないのに、なぜ悪口は横行するのでしょうか。

欲や怒り、うらみ、ねたみの心を「煩悩」といいます。
すべての人間は、煩悩でできているので「煩悩具足の凡夫」といわれます。

悪口を平然と言う人。
悪口を言われて、落ち込む人。恨む人。
口で言わないようにしても、心に悪を思い続けている人。

恐ろしいことを思いながら、それを少しも悪と思わないのが、人間の本当の姿です。

心で悪を思っているから、悪口はなくなりません。

そんな心を持ちながら、幸せになることは、極めて難しいでしょう。
煩悩が、幸せを壊してしまうからです。

では、どうすればいいのでしょうか。

仏教を聞き、本当の心の幸福になった人は、「悪名の怖れなし」となる、とお釈迦様は言われています。
「悪口をいわれても、恐れる心がない」ということです。

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この記事を書いた人

ライター:月見 草

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