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今回はこんなお悩みについてです。
悪口を言われると、イヤーな気持ちになり、腹が立ちますよね。
自分が悪いのか、相手が悪いのか。
ぐるぐると考えて悩み続けてしまうのも分かります。
悪口を言われたとき、どう考え、対処するのがよいのか。
「悪口」の対処法を身につけていきましょう。
悪口を言われたときは、境界線を引きましょう。
目に見えない「心」に、相手をズカズカ土足で踏み込ませないように、「ここからは入ってこないでね」と一線を画すのです。
「悪口を言うほうの問題であって、私の問題ではない」と、線を引く。
仏教には、因果の道理が説かれています。
自分のやった行いの結果は、自分に現れます。
悪口を言った結果は、悪口を言った本人に現れるのですから、「かわいそうだな」と思うだけでいいのです。
あなたが腹を立てたり、恨んだりすれば、あなたの行いとなり、あなたが苦しむ結果になります。
巻き込まれて、悪い行いをしないように気をつけましょう。
自分の心まで見つめると、他人を悪く言えるような人は1人もいません。
自分は、相手以上に過ちを犯しているからです。
人を悪く言えるのは、
こんな罪の恐ろしさに、気づいていないからではないでしょうか。
他人の過ちには厳しいのに、自分の過ちには、なかなか気づかないのが人間です。
「目は外を向いているから」と言われますが、自分のやっていることは、わかるようで、わかっていないものです。
自分の心まで見つめると、他人に言えない恐ろしいことを思い、邪魔な人を「あの人がいなければいいのに」と心で殺しています。
そういった心の一部が、口から出てきたのが、悪口ではないでしょうか。
悪口を言うのは簡単です。
しかし、悪因悪果で自分に苦しみが現れます。
他人を傷つけ、自分をも傷つけてしまいます。
あなたも、他人の悪口を言わないようにしましょう。
他人から悪口を言われたときも、
と思うだけにして、その人からそっと離れましょう。
他人から悪口を言われたときも、
と受け取るのはやめましょう。
その受け止め方が、あなた自身を苦しめているのかもしれません。
他人はあなたを直接苦しめることはできません。
他人は、縁(きっかけ)にはなっても、原因にはならないからです。
すんなりと受け入れることはできないかもしれませんが、突き詰めていうと、あなたが、あなたを苦しめているのです。
あなたが心に思ったことが原因となり、あなたに苦しい結果が現れています。
などと思うのはやめましょう。
しかし、心に浮かんできて、思えてくるものは、どうしようもないときもあります。
それも1つの「結果」だからです。
どうすれば、「どうしても思えてくる」その結果を、回避することができるでしょうか。
「因果の道理」とは、「縁」を「因」に含めた言い方です。
精確に言うと「因縁果の道理」です。
因だけで起きる結果もなければ、縁だけで起きる結果もありません。
因を変えられないときは、縁を変えましょう。
そもそも、悪い縁に触れたから、悪い因と結びついて、あなたが苦しむ結果になったのです。
縁さえくれば、どんなことも思ってしまいます。
心に悪いことを思い続ければ、どんな恐ろしいことをするか分かりません。
自分を傷つけたり、自殺願望をもったり、他人を傷つけたりするかもしれません。
それは、悪い縁に触れたのがきっかけではありませんか?
悪い縁から離れましょう。
こう思うのも、悪い縁に触れ続けているからかもしれません。
善い縁を見つけて、近づくほうが、比較的簡単かもしれません。
専門家や、味方になってくれる人に相談すれば、状況は改善しやすくなります。
悪口を言われて、どうしても落ち込むときは、このように対処しましょう。
相手の言っていることにも一理あるときは、
相手の怒りや言い方の部分を差し引いて、翻訳して聞きましょう。
自分の存在価値を否定するのではなく、より具体的に、行動を変えるようにしましょう。
人間は煩悩具足の凡夫といわれます。
間違いだらけで、悪を造ってしまうのが人間です。
誤りは、誰にでもあります。
誤りを犯さないように気をつけることは大切ですが、どんなに気をつけていても、誤りを犯してしまうことはあります。
自分を責めて、落ち込んでしまうよりも、誤りを直ちに改めることを、誇りに思うようにしませんか?
羽生結弦選手は、こう言っています。
失敗して、悔しい思いをしたことが、次の成長につながります。
自分がダメなんだ、と思う時は、もっと具体的に、「次はこうしよう」と行動を変えるようにしましょう。
行動を変えれば、結果は変わります。
因果の道理ですから、どんな小さな行動の変化でも、結果は変わるのですよ。
仏教には「転悪成善」という言葉があります。
仏教を聞くと、どんな苦しみがやってきても、苦しみ甲斐のある苦しみになります。
苦しみが、幸せのタネになるからです。
つらく苦しい目に遭ったとき、つい、
と言いたくなってしまうこともあるでしょう。
悪口を言う人は、その人自身が、苦しんでいるから、言わずにおれないのです。
あなたは、どうして悪口を言いたくなるのか。
悪口(口の行い)は、心の表現です。
欲を満たしたいのに、満たせなかったとき、「あいつのせい」「こいつのせい」と言いたくなるのです。
あなたの「欲の心」を見つめましょう。
欲が妨げられたからといって、心のままに表現してしまえば、さらに悪を造ります。
こういう行動をとれば、また悪を重ね、あなたに悪い結果が現れます。
怒りの心をぐっとこらえて、「忍耐」しましょう。
「忍耐」は、お釈迦様が教えられた、善い行いの1つです。
あなたが善い行いをすれば、あなたに幸せが現れます。
そういうときは、怒りや愚痴という形ではなく、信頼のおける人に相談しましょう。
どうすればいいか、一緒に考えるのです。
注意勧告されているのに「悪口を言われた」と受け取る人がいます。
それは悪口ではないのですから、相手の言葉に耳を傾ける必要があります。
注意勧告しなければならないケースは、
本人が気がつかず、悪い行いを続けているときは、身を挺して叱るべき時もあるでしょう。
落ちたら大変なことになるのに、子どもは無邪気に井戸をのぞき込んでいます。
そんなとき、親は命がけで、子どもに「戻ってきなさい!」と叫ぶでしょう。
当然、子どもを思ってのことです。
なんでもかんでも「悪口だ!」「ハラスメントだ!」と騒ぐのは、まだ親心がわからないからかもしれません。
悪口を言ったり、言われたり。
後味が悪く、誰も幸せにならないのに、なぜ悪口は横行するのでしょうか。
欲や怒り、うらみ、ねたみの心を「煩悩」といいます。
すべての人間は、煩悩でできているので「煩悩具足の凡夫」といわれます。
恐ろしいことを思いながら、それを少しも悪と思わないのが、人間の本当の姿です。
そんな心を持ちながら、幸せになることは、極めて難しいでしょう。
煩悩が、幸せを壊してしまうからです。
では、どうすればいいのでしょうか。
仏教を聞き、本当の心の幸福になった人は、「悪名の怖れなし」となる、とお釈迦様は言われています。
「悪口をいわれても、恐れる心がない」ということです。
あなたも仏教を学んでみませんか。
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