幸せとは

幸せとは

【カンガエルアシ】小説『フライザイン 死に対して自由な心を求めた僕と彼女と妹の物語』

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【カンガエルアシ】田中進一の世界(三月十二日)

「ふう」
 部屋の窓から桜並木を眺める僕の口から、灰色めいた息がこぼれる。あと十日ほど
で開花と聞いても、心は何も感じない。イヤホンからは『イエスタディ』。哀愁を帯
びたポール・マッカートニーの声を、塞いだ心が欲していた。

 音楽はあまり聞かないけれどビートルズは例外。『イエスタディ』を初めて聴いた時、僕は一発でやられてしまったんだ。そして、歌詞の意味を知ったとき、さらに衝撃を受けた。大げさかも知れないけれど世界をひっくり返された感じだった。それは僕の家庭環境に大きく関係している。

 実の母は、僕が五歳の時に病死した。春奈はまだ二歳だったから母親の記憶はない。今の義母さん、淳子さんは、実の母の妹。まだ小さかった僕らを世話しているうちに正式に結婚し、第二の母となったのだ。子どもながらに、そうなる予感はあった。

 だけど今度は父さんが死んだ、僕が十歳の時に。僕には色んな後悔があった。それをこの歌は代弁してくれている。
曲が終わり、イヤホンをはずす。

 また、ため息をついてから昨日のことを思い出す。

「一カ月で〝 生きる意味〟を見つけなければ死ぬ」と宣言した後、春奈は「では〝 ルール〟を決めましょう」と言ってきた。そもそも〝 ルール〟というのがふざけてる。

そのルールとは

・「生きる意味」について誰かに聞いたり教えてもらうのはセーフ。
・期限が一カ月以内(四月十日中)というのも言ってよい。
・しかし、答えられなかった場合のことを言うのはアウト。その場でゲームオーバー。

というものだった。

 人生についてまともに考えたことがない僕は「生きる意味」なんて誰かから教えてもらう以外分かりようがない。だから、〝他人から教えてもらうのはOK〟というのは一縷の希望をつないだ。

 でも、誰に聞けばいいんだろう? 類は友を呼ぶとはよく言ったもの。友人には期待出来ない。淳子さんには尋ねる気にもなれない。あの人は、なんというか、天然で、トンチンカンだ。

 飛行機酔いしたとき「すみません、途中下車できますか?」とアテンダントに聞いたり、二段の弁当箱の両方にご飯を詰めて、おかずを入れ忘れたり、好きな本は「ブック的な本」だと言ったり、一緒にいると凄く疲れる。

 本人も少しは自覚があるようで、「私、芳子姉さんにいいところを全部持っていかれちゃった後で生まれたのよね」が口癖だった。実際、春奈が自殺未遂した日も、「ちょっと泊まってくるから」とよく分からない外泊をした日だった。常にタイミングが悪いのだ。日ごろ、僕がイライラすることはあまりないのだけれど、この人だけは例外。どうしてもなじめず、いつも「淳子さん」と呼んでいる。春奈は、僕以上になつかなかった。だから淳子さんはパス。

 じゃあ、誰に教えてもらえばいいんだ?

 僕は視線を落とし、頭を掻きながら庭に咲くパンジーに目をやった。父さんが好きだった花。父さんはなんというか、〝文学青年のなれの果て〟という言葉がピッタリくる人だった。派手さ、かっこよさとは無縁で、社会との適応能力もかなり低いほうだったと思う。得意技は『相当汚い字でも読める』というほとんど役に立ちそうもないことくらいで、その頼りなさを、これまた僕は好きになれなかった。

 ただ、それなりに評判のいい哲学の教授をしていたようだ。子ども向けの哲学教室を無償で開いたこともあり、春奈も最後まで出席した。しぶしぶ参加した僕は案の定、初回で脱落してしまったけれど。

 そんなことを考えていると、ふと、パンジーについて話した父さんの言葉が思い出された。

 パンジーは、もともとはフランス語の『パンセ』から名づけられたもので、「思う」とか「考える」という意味だという。パンジーの顔つきが何となくもの想いにふけっているように見えるかららしい。


 哲学者パスカルが『パンセ』という本を書き、その中に「人間は考える葦である」という有名な一文を残したと父さんは教えてくれた。

「葦っていうのは、まあ、一つの浮き草だな。まあ、弱くてフラフラしてる象徴ってとこだ。人間っていうのは、そんな浮き草みたいに弱いものなんだ。でもな進一、人間は、考えることが出来るだろ。働いて生きていく意味を考えられるのは人間だけなんだ。だから人間だけが哲学出来る。これは大宇宙にだって出来ない凄いことなんだぞ」

 思い出されるひょろっとした父さんの姿、鼻の頭をこすりながら話すクセ、その表情……。
 頼りにならないとずっと思ってきたけれど、もし傍にいてくれたら、今の悩みは真っ先に父さんに相談しただろう。

 息を吐き、視線を宙に漂わせる。何もない空間に、物思いにふけっていた時の父さんの姿が浮かんだ。

 父さんは事故死ということになっている。
〝なっている〟というのは、自殺の疑いがあるからだ。事故現場は見通しのいい道だったし、ブレーキの跡も見当たらなかった。そして死ぬ一カ月ほど前には、同僚にしばしば生きづらさを訴えていたという。しかも、着ていたのが喪服で、自分のためのものではないかと噂された。

 だけど、僕の全身は自殺説に猛烈に拒否反応を示し、真相を深く追求することを常に拒んできた。そしてこれまで、それでいいと自分を納得させてきた。

 久しぶりに父さんの部屋へ入る。すべて生前のままにしてあるこの部屋。

 ひんやりとした空気の中、本や雑誌が雑然と積まれている。それなりの蔵書があり、いかにも哲学書っぽい本が並べてある。そして頭のへこんだ古い麦藁帽子が、かなり違和感をもたせつつ机の角に置かれている。僕は意味もなくそれをかぶり、難しそうな本の背中を見るとはなしに眺めた。すると、サッと何かが降りてきたように、考えが浮かび上がった。

《そうだ、今まで全然勉強したことがなかったけど、生きる意味を学ぶにはきっと哲学が必要なんだ

 妙な確信をもって、そう感じられた。
 生まれて初めて僕は〝哲学を学んでみたい〟と思った。なんだかその感情が嬉しくもあった。

 自分でも分かりそうな本はないかと書棚を眺めていると一冊の本が目についた。夏目漱石の『こころ』だ。  
                                          
 高校時代、授業で習った覚えがある。とにかく暗い話だったとしか記憶には残っていないけれど。
 父さんは、余白に、思ったことを書く癖があった。作者と語らうような言葉もあったし、独言もあった。よく関連が分からない日常のことを細かく書き連ねたりもしていた。この本も例外ではなく、赤字で多くの書き込みがあった。

 ぱらぱらめくっていると、やたら赤線が引かれているページが目に留まる。

 僕は、気になって、その部分を読んでみた。が、一読して、恐怖に襲われた。読むごとに、体温は奪われていき、ぶるりと全身が震えた。それは、僕に向けたメッセージとしか思えなかった。そして、余白に書かれた「本当の幸福とは?」という父さんの赤い筆跡を最後に本を強く閉じた。

 麦藁を脱ぎ捨て文庫本をかばんの中に詰め込むと、証拠を隠滅するかのように部屋を出て、キャンパスへ向かった。

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