FacebookやTwitter、Instagramなど、SNSの普及によって、スマホ1つで、いつでもどこでも誰とでも、つながることができるようになった私たち。
一方、「多くの人と繋がっているのに孤独」という“つながり孤独”を感じている人が増えていると、NHKの『クローズアップ現代+』で取り上げられ、話題になりました。
友だちもいるし、ひとりぼっちなわけでもない。
四六時中、スマホで、誰とでも繋がれるようになったのに、むしろ、孤独感は深まっています。
なぜなのでしょうか。
みんな繋がりを求めている
大学に入学する前は、友達ができるかな..と不安でいっぱいだった人も多いはず。
3~4月頃は、Twitter上にも、そんな不安な新入生の声が溢れています。
最近は、入学前から、同じ学部の人とTwitterやLINEで繋がって、友達をつくっておく、という人も。
入学当初は、とにかく友達をつくるのに必死で、入学式で隣になった人に声をかけ、オリエンテーションで一緒になった人とSNSで繋がり、サークルの新勧を一緒にまわって、同じ授業を受ける。
そんな人が、たくさんいました。
自分もそうだった、という人もあるかもしれません。
それだけ、一生懸命になるのは、ひとりぼっちは、寂しいから。
友達をつくるのは、みんな繋がりを求めているからです。
友達がいれば、孤独はなくなる?
では、友達がたくさんできたら、孤独ではなくなるのでしょうか。
高校までと、大学とで、違いは色々ありますが、大学に入ると、交友関係が、浅く広くなりがちです。
キャンパスで、すれ違い際に「よっ」と挨拶するだけの、いわゆる「よっ友」の関係ではあっても、一緒に遊びに行ったり食事をしに行ったりするまでの仲にはならず、上辺だけの付き合いの友達が増えていきます。
友達はいるけど、表面的な関係で、本音で話せる友達がいない。
そんな寂しさを感じています。
みんな孤独を抱えている
そんな孤独を感じているのは、私だけ?
自分が、人見知りだから?
友達が少ないから?
そう感じる人もあるかもしれませんが、実は、この孤独、多くの人が感じています。
それに敏感かそうでないかの違いだけ。
むしろ、明るく、友達が多い人ほど、「つながり孤独」を感じているようです。
SNS上に、友達がたくさんいると、多くの人と繋がれて、充実しているように見えますが、それで孤独感が埋まるのではないのです。
なぜ孤独を感じるの?― ①他人と比べてしまう
多くの人と繋がっているのに、どうして孤独を感じてしまうのか。
SNSによって、頻繁にお互いの近況を知ることができるようになりました。
ところが、友達の楽しそうな写真が投稿されているのを見ると、
「みんなキラキラした生活してるな、、わたしなんて、、」
と思ったり、留学したり、旅行したりしているのを見ると、うらやましく思ったり。
同級生のプロフィール写真が、ウェディングドレス姿に変わっていたり、子どもの写真になっているのを見ると、祝福すべきことと思いつつ、焦る気持ちが出てきて、複雑な思いになったりしますよね。
人間は、もともと、自分と他人を比べるようにできていますが、自分にない何かを持っている人や、自分ができないことをできてしまう人をみると、意味のない感情だと分かっていても、ついつい比較してしまいます。
SNSによって、常に他人と、比較をしやすい環境に置かれるようになったことで、疎外感や孤独感をより感じやすくなったといわれます。
なぜ孤独を感じるの?― ②分かりあえない
もう1つは、多くの人にかこまれていても、本当に自分のことを分かってくれる人がいない、ということです。
私たちには、自分のことを認めてもらいたい、受け止めてもらいたいという願望が強くあります。
友達や恋人、家族といると居心地がいいのは、自分を受け入れてくれる人、共感しあえる、分かり合える人だからです。
また、そういう人を私たちは求めています。
しかし、本当の心の奥底から自分のことを分かってくれる人、全てを受け入れてくれる人は、いるでしょうか。
今年6月に、YouTubeの再生回数が、2億回を超えた、米津玄師さんの『アイネクライネ』は、米津さん自身が、作詞作曲だけでなく、企画・イラスト・編集など、すべての行程を一人で制作したということで話題になりました。
その曲の中に、こんな歌詞があります。
「あなたにあたしの思いが全部伝わってほしいのに
誰にも言えない秘密があって嘘をついてしまうのだ」
作詞:Kenshi Yonezu
作曲:Kenshi Yonezu
大事な人にほど、自分のことを分かって欲しい、認めてほしいのですが、100%分かり合うことは、できないのです。
ある哲学者は、
「孤独は、山の中にあるのではなく、街の中にこそある」
といいました。
山の中で、ひとりぼっちなのは、孤独ですが、多くの人に囲まれているのに、心の底から分かり合える人がない、となったら、その孤独は、一層、深さを増します。
1人1人、違う世界に生きている。
私たちは、同じ世界にいるようで、それぞれ違う世界に生きていると、いわれます。
これを仏教で、「業界(ごうかい)」といいます。
業とは、「行い」のこと。
今まで、経験してきたこと、学んできたこと、それによって培った価値観は、一人一人違います。
その一人一人違う業(行い)が生み出した世界に、一人一人が生きているから、相手の見ている世界と同じ世界を見ることはもうできないのです。
一水四見(いっすいしけん)という言葉がありますが、一つの水を見ても、人間は飲水だと思い、魚は住みかと見ます。
餓鬼は炎と見ますし、天人は瑠璃と見るのです。
同じものでも、立場や境遇の違いで全く違って見えてきます。
たとえば、子供の頃に通っていた小学校に、10年ぶりに訪れると、昔と変わらない校舎や教室に、懐かしさを感じたり、思い出話に花が咲いたりします。
でも、その小学校に縁もゆかりもない人にとっては 、同じ小学校を見ても、懐かしさや感動は、湧いてきません。
夏の風物詩といえば、花火ですが、
「あ~きれいだなぁ~」
と夜空にあがる、色とりどりの花火にうっとりしている女の子の隣で、
「あの赤い花火は、リチウム。黄色は、ナトリウム。青色は、銅」
と、きれいな光や色の花火を、炎色反応と見ている理系男子もいます。
文系女子には、見えない世界が、その人には見えたり、その人にしか分からない感動があったりするのです。
同じ場所、同じ時間に、同じものを見ていても、見える世界がまるで違うことが分かります。
浅いつきあいでは、気にならなくても、深くつきあっていけばいくほど、相手のことを知れば知るほど、理解できない相手の部分がみえてきます。
同じ学校に通っていても、同じ屋根の下で暮らしていても、もう分かり合えないところがあります。
どんなに親しい人であっても、相手と全く同じ感動を共有することはできませんし、苦しみ、悲しみは、その人にしか分かりません。
だから、肉体の連れは有っても、心の連れがない。
底知れぬほど寂しいところが、人生なのです。
孤独と決別するための、意外なカギ
そんな私たちにお釈迦様は、
「独りぼっちなのは、あなただけではないのだよ。
みんな独りぼっちで苦しんでいるのだよ」
と言われています。
孤独を感じているのは、自分1人ではないのです。
自分1人が孤独だと思うから、余計につらいのです。
本来、分かり合えないはずの私たちが、「まだ分かり合える部分がある」と感じられる。
そこにこそ幸せを感じてみてはどうでしょう。
そして、1人1人違う世界に生きている私たちですが、1つだけ、共通していることがあります。
それは、「幸せになりたい」という気持ち。
それも、今日あって明日なくなるようなものではなく、いつまでも続いてくれる幸せです。
これは、人種や性別に関係なく、いつの時代、どこの国の人にも共通する思いです。
その幸せ、同じ目的に向かって生きる時、心は通じ合うものなのだといわれます。
それは、どういうことなのか?
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