『みにくい龍』
こちらからお読みください
マンガ『みにくい龍』の感想、ありがとうございます!
本当にたくさんのメッセージをいただき感激しています。
今後、いっそうよいものにしていきたいと思っておりますので、今後もご感想、ご要望をぜひお聞かせください。
さて、たくさんの感想の中で、
「自分を愛せない」
「自分を好きになれない」
「自分なんていない方がいいと思ってしまう」
「消えてしまいたい」
「こんな自分に生きてる意味なんかあるんだろうか」
という、次のような悩みが多く寄せられました。
『みにくい龍』の感想
●まさに私のことだと思いました。
自分のことが愛せなくて人から離れて、でも寂しくて。
上手くやりたいと思っても失敗してしまって。
私がいなければ良いと…よく思います。
上手くやりたいけど出来ない。原因は私自身。どうしたら良いんだろう。
まさに悩んでいました。
続きが気になります。
まさこ さん
●”二人の子を育てています。
この竜は私の事だと思わずにおれません。
自分が変われば良いと、知識では分かっていても沼の底から上がることに疲れてしまいました。
どうしたら良いのか。
この話の続きがとても気になります。”
一人っ子 さん
●黒い龍は、生きることにとても苦しんでいます。自分も、また、黒い龍のように、自分なんていなくなればいいと思うときがあります。そんなこと、考えないように、考えないようにしてはいますが、苦しい原因は、なくなるわけがなく、苦しいままは、変わらず。
根本にある、苦しみの原因を晴らしたいと思います。
どうぞ宜しくお願い致します。
(追伸)
私も、明るくなって、まわりの人を明るくできる人になりたい。それには、どうしたらいいのか、お教え下さい。
うめ。さん
●まるで自分のことのように読ませていただき、涙せずに読めない作品でした。
皆と仲良くなるのが苦手で、人付合いをして傷つくくらいなら、一人になった方が良いという姿が龍と重なりました。
一人は気楽ではあるけれども、自分の殻に閉じ籠り、「どうせ嫌われている。」と妄想ばかりで、誰も分かってはくれないと、更に苦しみます。
他人も自分も呪い、いっそ死んだ方がましだというものの、死ぬ勇気もないから誰かに殺してもらいたいと願望を抱くのです。
「何のために生きているのか。」この龍が、答えを見つけて幸せになることを願います。
Y.N さん
●みにくい龍さんの気持ちがわかります。私も落ち込んで、居なくなってしまったほうが良いと考えるときがありますが、友達や両親のことを考えるとがんばらなければと思います。みにくい龍さんにもそういう存在が出来るといいですね。
Kerokero さん
仏教に「煩悩(ぼんのう)」という言葉があります。
「煩」という漢字は、「わずらう」
「悩」という字は「なやむ」
と読みますね。
私たちを、わずらわせ、苦しませ、悩ませるもの、それが煩悩で全部で108つあります。
108回と聞くと思いだすものがありませんか?
そう、除夜の鐘ですね。大晦日に撞く108回という回数は、中途半端な数だなと思われていたかもしれませんが、実は、その数は、煩悩の数からきていたのです。
その108の煩悩の中でも、特に恐ろしい毒を含んでいる煩悩の親玉が三つあり、これを三毒の煩悩といいます。
三つとは、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)です。
貪欲とは、欲のこと。無ければ無いで欲しい、有れば有ったで、もっと欲しくなる、底無しのものです。
この欲の本性は、仏教で「我利我利(がりがり)」だと教えられます。
我の利、我の利、と書いて、我利我利。
自分さえよければいい、他の人はどうなってもいいという、自己中心的な考えです。
仏教で、自分さえよければいい、という我利我利の心は浅ましいぞと教えておられます。
私たちは、余裕がある時は、他人に譲ることができますが、
切羽詰まるとどんなことを思い、どんなことをするか分かりません。
この欲が邪魔されると出てくるのが「瞋恚」、怒りの心です。
私たちは、ちょっとしたこと、つまらないことにもついイライラしがち。
最近の統計によりますと、『どんな時に怒りを感じるか』のベスト3は次のとおりでした。
このようなことにもイライラするのですから、まして直接的に利害がからむと、腹が立ち、理性も知性もふっとび、思ってはならないことが憤然と湧き上がり、言ってはならない暴言を吐き、やってはならないことまでやってしまいます。
いうことをきかないとわが子を怒鳴る。試合に負ければ、あいつのせいだ、コーチのせいだとムカツク。やられたら倍返しでやり返す。あいつのせいで儲けそこなった、こいつのせいで恥をかかされたと、憤まんやる方ない思いになる。
離婚話にカッとなった男が、部屋に灯油をまき火をつけ、妻も子供も焼き払った事件がありましたが、この怒りの心のなせるわざです。
全て自分の思いどおりにしたいの欲望はちょっとしたことで妨げられ、そのたび、瞋恚の炎が燃え上がる。心のまな板の上で、あの奴、この奴と切り刻むのは、「怒」という字にも表れています。
次の「愚痴」とは、妬み、そねみ、うらみの心。他人の成功を見ては、「あいつだけうまくやりやがって」「いつもひいきされてずるい」と、妬み心が出てきます。逆に、他人の不幸を目にすれば、ごちそうを与えられたように瞳をランランと輝かす。
いつも馬鹿にする上司、競っても勝てない同輩、自分より優秀な後輩の失敗には、心の中で拍手喝采。
昔から「他人の不幸は蜜の味」ともいわれ、脳科学でも証明されたそうです。妬ましい人物に不幸が起きると、脳の喜びに関する部分が反応する実験結果が得られたといいます。
このように、三毒の煩悩が胸に躍っているのがすべての人の実相ではないでしょうか。
この煩悩に振り回され、苦しむ心は、科学や文明の進歩によって鎮めることはできません。
そのことをチャップリンは、こう語っています。
「優しくありたい、美しい心でありたいと思いながらどうしてこんな醜い心が出てくるのだろう」
「こんな心を抱えているのは自分だけなのだろうか」
と嘆き悲しむ人がありますが、これは特別な人のことではありません。
すべての人は、煩悩の塊だと仏教で教えられています。
では、誰一人幸せになれないのでしょうか。
そうではありません。煩悩あるままで幸せになれる道があり、それこそが本当の幸せでなのです。
私たちは、苦しむために生まれたのでもなければ、苦しむために生きているのでもありません。
幸せになるために生まれてきたのであり、生きているのです。
「それはどんな幸せ?」
「どうしたらなれるの?」
こんな質問をよく受けます。
さすがに内容が内容ですから、一言二言で話しきることはできません。
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