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「ごめん」の3文字が言えない理由
「ごめん」は、自分の自由を広げる言葉
「ごめん」と言える人は、自分の心から逃げなかった人

今回はこんなお悩みについてです。
「ごめん」と、わりとすんなり言える人と、そうでない人がいます。
言える人にとっては、謝れない人に「なぜ?」と疑問に思うでしょう。
謝れば済むことなのに、うやむやに流されたら、納得いきませんね。
もしこちらばかり謝っているとしたら、やりきれないですよね。
今回は、謝れない人の心理を読み解いてみたいと思います。

この短い言葉が、どうしてこんなにも言えないのでしょうか。
あなたにとっても “ 言えない言葉 ” ってありませんか?
「好き」とか「やめて」とか。
ロボットではない、感情のある人間だから、言えないことはあります。
謝れない人の心理を挙げていきますので、「当てはまる」と思うものを見つけてみてください。
自尊心や誇りが高いと思われがちですが、じつは逆です。
その言葉を口にしたときに、直面しなければならない「自分自身」が怖いのです。
誇りをもっている人でも、自分を受け入れている人なら、謝ることができます。

謝れない人の中には、こういう人もいるでしょう。
人に弱みを見せず、グッと堪えて、努力している人は、怖がっていることにも気づいていないことがあります。
こういう思いが強い人は、自分の気持ちを封印しがちです。
たしかに、誰にでも弱みを見せていたら、弱みにつけこまれるかもしれません。
不安でも、悲しくても、前に進むしかない時もあります。
ただ、人に見せるかどうかと、自分で気づけるかどうかは、別物です。
気づいているなら、見せるか見せないかは、選ぶことができます。
気づいていない場合、人に見せることはできません。
自分の気持ちに気づいていない場合、謝れなくなってしまう場合があります。
「謝れない人」になる仕組みを解明しましょう。

そういう人、いますよね。
どんな感情も、本来、嘘はつけないものです。
なのに、ずっと感情にフタをしていると、
しかし感情がわからなくても、無くなったわけではありません。
心の中に、鬱積していきます。
すると、どういう言動になるのか。
謝れない人になってしまうのです。

謝れない人は、こういう思いを持っていることがあります。
だから「なんで謝る必要があるのか?」と本気で思っているのです。
ただ、同じことを要求された人は、重苦しい思いをします。
人は、心地いい人に近づき、重苦しい人からは離れます。
謝れない人は、こういう意味でも、周りから人が離れていくのですが、なぜだかわかりません。
相手が苦しむことをしているとは思っていないからです。

「ごめん」とは、相手の「怖い、悲しい、つらい」という気持ちをケアする言葉です。
自分の気持ちに気づけない人は、相手の気持ちにも気づけません。
だから、ケアする必要があるとわからないのです。
「相手の感情がわかる」と思うのは、じつは錯覚です。
あくまで自分の経験からの「想像」でしかありません。
でもその「想像」が大切なのです。
謝れない人は、「自分の気持ちに気づく」経験が少なかったのでしょう。
生まれたばかりの時は、言葉が話せません。
リンゴを見ても、何と言えばいいかわかりません。
親が「リンゴ」と言うので、「あぁ、これは『リンゴ』って言うんだな」と学習していきます。
同じように、赤ちゃんはまだ、感情の名前がわかりません。
ただただ、泣くばかりですね。
親から「気持ち悪かったんだね」「怖かったね」「悲しかったね」と言葉にしてもらえると、「あぁ、これは『悲しい』って言うんだな」と学習していきます。
モノの名前、魚の名前、植物の名前、世界情勢を表す言葉。
こういうものに詳しくても、心に浮かぶ「感情の名前」は言えない人がいます。
「経験」とは、言葉にできることと密接にかかわっています。

私たちは、自分を正当化したいものです。
そんな説明を並べたくなります。
「ごめん」の一言は、それらをいったん脇に置くことになります。
「自分」を脇に置いて、「相手のことを思う」作業が必要になります。
謝れない人は「ごめん」と言う瞬間、自分の過ちをすべて認めなければならないと感じるのでしょう。
じつは、そうではありません。
そこに、自分を否定する意味はありません。
こういう思いが強い人は、「自分」を脇に置けません。
だから、謝れない人になります。

「正当化したい気持ち」もあるけれど、「関係」を続けたい。
こういう気持ちがあれば、謝ることができます。
こういう「自分の気持ち」を認めた上で、一旦脇に置く。
そして、「相手の気持ち」を想像してみる。
相手との関係を大切にしたいなら、「自分の気持ち」を乗り越えなければいけません。
ところが、謝れない人は、
こんな怖さがあって、「自分」を一旦脇に置くことができません。
単に意地を張っているわけではないのです。
謝れない人は、なんとかして「自分」を守りたいのです。

「はいはいごめん」とぶっきらぼうに言われたり、
「あはははごめん」と笑いながら言われたり、
「謝ったんだからもういいでしょ」と言われたりしたら、腹が立つでしょう。
まず自分の至らなさを認める。
その姿勢が求められます。
姿勢とは、つまり「心」です。
こんなに簡単な言葉なのに、言えないのは、人は「心」を重視するからです。
自分の至らなさを認めたくない。
だから苦しい。
だから言えない。
自分を受け入れている人にとっては、さほど難しいことではありません。
それが、どうしてもできない人がいます。
直面しなければならない「自分自身」が怖いのです。

その気持ちは誰にでもあります。
本人なりに「恐れ」と闘っているのかもしれないから。
だからといって、言わなくてよいわけではありません。
言えないままでは、大切な人が離れていってしまいます。
すべて自分に結果が返ってくるのです。
大切なのは、言えない理由を「相手のせい」にしないこと。
そう言っているうちは、自己受容も成長もなく、年だけを重ねていきます。
みっともない「自分」も受け入れられるようになれば、とても自由です。

あなた自身が、スーッと楽になる言葉なのです。
謝れない人にとっては、「ごめん」は怖い言葉です。
自分を苦しめる言葉だと思い込んでいます。
こういう経験をした人は、謝れなくなります。
こういう経験をした人は、自分から謝るようになります。
幼いころの経験が、体に染みついているのかもしれません。
ですが、不要な思い込みは、塗り替えていったほうがラクになります。
大切なものを失う前に、思い込みを書き換えてもらいたいものです。

多くの人は、「相手が悪いから」関係がこじれると思っています。
しかし、苦しみは「出来事そのもの」だけではなく、それを受け止める自分の「心」と深く関わっています。
自分の心の奥にある「恐れ」が、苦しみを生み出していることも少なくないのです。
相手のせいにする前に、自分の中にある「恐れ」と向き合う時間をもつこと。
本当に向き合うべきは、自分自身の「心」です。
それは決して楽な作業ではありません。できれば避けたいもの。
けれど、その苦しさから逃げ続けるかぎり、「ごめん」も自由に言えません。
自分の未熟さを認めながら「ごめん」と言える人。
それは、自分の心から逃げなかった人なのです。

謝れない人は、います。それは「本人の課題」です。
謝れない人を見て、腹が立ったり、苦しんだりするのは「あなたの課題」です。
不可能なことを考え続けて、苦しんでいませんか?
あなたは、あなた自身の心と向き合うのみ。
ただ我慢するとか、考え方を変えるとか、そういう意味ではありません。
答えは、あなたの心の中にあります。
自分ひとりでは難しいかもしれません。
自分の心の姿と向き合う助けになるのは、仏教を聞くことです。
仏教では、自分の苦しみの原因を「外」ばかりに求めるのではなく、「心」を見つめることが大切だと教えられます。
そう思う人は、まずここから始めてみませんか。
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