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今回はこんなお悩みについてです。
他人の良いところに、よく気がつくのですね。
それは素敵なことだと思います。
同時に、比較して自分の良さが消えてしまうように感じる。
自分の良さは、けっして消えないのだけれど、そういう気持ちになることはあります。
比較して、胸がきゅーっと絞めつけられることがあるなら、今回の記事はあなたの役に立つと思います。

比較して苦しくなるのは、あなたに「力」と「可能性」がある証拠です。
たしかにそう感じるかもしれません。
でもやはり、比較して劣等感をもつ時点で、力はあると思います。
なぜなら劣等感は、「私もそうなれる可能性がある」という潜在意識の裏返しだからです。
最初から、かけ離れている人には、劣等感すらもちません。
自分がやったこともない競技の金メダリストに、劣等感はもたないでしょう。
劣等感をもつのは、少しでもその可能性があった人だけです。
なにかきっかけがあれば、急にやる気に火がつき、爆発的に技術が向上することもあります。

あなたはきっと、そういう力の持ち主です。
もし、他人と比較して、劣等感をもち卑屈になるのなら、肩に力が入りすぎているのかもしれません。
心にゆとりが生まれると、自分の良いところを、ありのまま認めることができるようになります。
今回は、比較しない幸せについて、アンケートを集めてみました。
Q、あなたが「比較しない幸せを感じる瞬間」ってどんな時ですか?
日常生活の中にある「身近な幸せポイント」に気づく。
何気ないことが幸せで、ありがたいことだなと思う。
こういう価値観を育てていくと、他人と比較しなくていい「穏やかさ」を引き寄せます。
「そういう幸せを感じられる自分」の良さにも、気づくかもしれません。

シチュエーション別「幸せを感じる瞬間」もまとめました。
「あ!その幸せポイントわかる」と、うなずけるものはありますか?
・友達の相談に乗って、相手の味方でいられたとき
・価値観の合う人と話をしているとき
・一緒に笑い合うとき
・犬が喜んでいたり、落ち込んでいたり、感情が伝わってくるとき
・ねこが何気なくすり寄ってくるとき
・鳥たちのおしゃべりを聴いているとき
・誰かが公園の花壇にきれいに花を植えてくれているとき
・月がきれいなとき
・風が穏やかなとき
・温かいココアやハーブティーでほっと一息つくとき
・新鮮な野菜や魚を食べたとき
・繊細な味つけに出会ったとき
・琴線に触れる文章に出会ったとき
・小さなスキルアップができたと感じたとき
・コツコツ継続できているとき
・コーヒーの香りが漂ってきて、リラックスできる瞬間
・ふと、金木犀のいい香りが漂ってくるとき

同じことであっても、状況が変わると「幸せ」と感じることもあります。
・外泊が続くときは、家で布団敷いて寝られるだけでホッとする
・独りぼっちを経験すると、ご飯を一緒に食べられるだけで嬉しい
・高熱に浮かされたあと、普段のご飯を食べられる
・自分のタイミングでトイレに行ける
・自分の臓器で消化吸収できる
・自分の足で走れること
・平和な今の日本に、生まれることができたことが幸せ
・コンビニやスーパーで何でも手に入るありがたさ
・誰かにふり回されていたことに気づいて、自分の頭で考えて行動できるようになること
・自由を取り戻すこと
何気ない毎日の中にも、だらだらではなく「味わう!」と決めるだけで、幸せを感じることもあります。
・好きな動画をみているとき
・朝カフェをしているとき
・晴れの日に洗濯物を干すとき
・ラジオを聴きながら部屋の片付けをしているとき
状況が変わると、感じられる幸せがあります。
小さな幸せをみつけることは、
他人と比較して心が疲れ始めた時に、バンドエイドのような役割をしてくれます。
同時にやはり、幸福の多くは「比較して感じる」ものです。

古代中国では罰が大変きびしく、足・首・腰を切られる等の、おぞましい罰が科されました。
それらの罰を受ける人たちの中で「私は手かせ(手錠)だけで済んだ。なんて幸せ!」と感じることを表されているのです。
・比較してマシ
・比較して勝れている
こういう時に感じるのが「幸せ」なのです。
どちらも「比較」であり、あちこちから目に入ってくるものです。
比較せずに生きていくことなど、できないのではないでしょうか。

そんなとき、思い出してもらいたい3つの事実があります。
お互いに「外側の幸せそうな部分」だけを見て、比較して、苦しんでいるのです。
いわゆる「隣の芝生は青く見える」状態です。
実際、自分の足元の芝は、タテに生えているので、土の「黒さ」が色濃く見えます。
隣の人の足元は、芝のヨコ側を見るので、「青々とした美しい緑」に見えます。

と羨んでいるかもしれませんが、
隣の人は、あなたの足元の芝を見て、同じことを思っています。
お互いに、相手の幸せそうな姿(外側)と、自分の苦しみ(内側)を比較しているのですから、相手が勝っているように見えるのは当然なのです。
「四方八方眺むれど ただ愁嘆の声のみぞ聞く」という言葉があります。
四方八方、だれもがみな、内側(心)は苦しんでいる、ということです。
今は幸せだと思う人がいても、それだけで人生を終える人はいません。
人生の避けられない苦しみを「四苦八苦」と言われます。
「楽は下にあり」という、ことわざもあります。
そういう人の「苦しみを見せない努力」は、涙ぐましいものがあります。
自分が「下」だと思う人の中には、平気でブーブー文句を言う人がいます。
そう言える人は、まだ楽なのです。
立場に応じて、苦しいことも言えなくなっていきます。

幸せそうに見える人の、心の中を、想像してみたことはありますか。
お釈迦様は「人生は苦なり」と言われました。
楽に生きているように見える人も、心の中は、どんな愁嘆の声かわかりません。
お釈迦様の「人生苦なり」の言葉には、真実の香りを感じます。
お釈迦様は「本当の幸せは、こういう世界だよ」と心の幸せを教えられています。
と言われます。
今回たくさん書き示した「比較しない幸せ」とは異なります。
「比較しない幸せ」といっても、心の状態によっては楽しめず、当たり前になってしまって、幸せは薄れてしまうからです。
あなたがまだ知らない、決して変わらない「心の幸せ(絶対の幸福)」があります。
他人と比較しても消えない、そんな幸せを知りたいと思いませんか。
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