毎日、家事に仕事にと忙しく過ごしていると、ふとした瞬間に「これでいいのかな」と迷ったり、あるいは逆に「いつものことだから」と流れ作業のように日々をこなしてしまったりすることはありませんか?
ある程度の経験を積めば、仕事でも家庭でも「ベテラン」と呼ばれる領域に入ってきます。
はじめの頃のように右も左もわからず緊張することは減りますが、その一方で忍び寄ってくるのが「慣れ」や「マンネリ」、そしてそこから生まれる「油断」です。
「何事につけても常時油断をしないこと」
これは、戦国時代最強とうたわれた武将、武田信玄が残した言葉です。
「甲斐の虎」と恐れられ、戦の天才と呼ばれた彼ですが、その強さの秘密は、強引な力技ではなく、驚くほど繊細で慎重な「心の持ち方」にありました。
今回は、生涯72回もの戦いをくぐり抜け、敗北はわずか3回という驚異的な実績を残した武田信玄のエピソードを紐解きながら、私たちの日々の暮らしや仕事にも通じる「油断せずに丁寧に生きる知恵」について考えてみたいと思います。
「五分の勝ち」が自分を育てる

武田信玄といえば、「風林火山」の旗印が有名ですね。
「疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く……」というあのフレーズは、中国の兵法書『孫子』からとられたものです。
幼い頃から読書家だった信玄は、この『孫子』を熟読し、常に学び続ける努力家でした。
そんな彼が戦いにおいて最も重視していた独自の哲学があります。それは「勝ちすぎないこと」でした。
信玄は常々、こう語っていたといいます。
「戦に勝つということは、五分(50%)を上とし、七分(70%)を中とし、十分(100%)を下とする」
普通に考えれば、敵を完全に打ち負かす「完全勝利(十分の勝ち)」こそが最高の結果だと思えますよね。
すっきりと勝ち誇りたい、完璧な結果を出したいと思うのは、現代の私たちも同じです。
しかし、信玄はそれを「下策」、つまり最も良くない結果だと言い切りました。その理由は、人間の心理を深く突いたものでした。
「五分は励みを生じ、七分は怠りを生じ、十分は驕(おご)りを生ず」
中途半端に見える「五分の勝ち」であれば、自分たちの中に「まだ足りない」「次はもっと上手くやろう」という向上心(励み)が生まれます。
しかし、「七分の勝ち」になると「まあ、こんなものか」という手抜き(怠り)が顔を出し始めます。
そして、圧倒的な「十分の勝ち」を収めてしまうと、人は「自分は最強だ」「もう努力しなくても大丈夫だ」という自惚れ(驕り)に支配されてしまうのです。
信玄は、目先の敵よりも、自分の心の中に生まれる「驕り」や「油断」を何よりも恐れていました。
人間は、調子が良い時ほど足元をすくわれやすい生き物です。
「これくらいで大丈夫だろう」
「今までうまくいっていたから、今回も平気だろう」
そんなふとした油断が、取り返しのつかない失敗につながることを、信玄は歴史や自身の経験から痛いほど知っていたのでしょう。
これは、私たちの日常にも当てはまることではないでしょうか。
仕事で大きなプロジェクトを成功させた直後のミス、慣れ親しんだ家事でのうっかりとした失敗、長年連れ添ったパートナーへの配慮の欠如……。
これらはすべて、自分の中に「もう大丈夫」という慢心、つまり「十分の勝ち」を得た気になってしまった瞬間に生まれる隙なのかもしれません。
信玄は、戦が終わって帰還すると、たとえ勝った戦であっても必ず家臣たちと「反省会」を開いたそうです。
「勝ったからよし」ではなく、プロセスのどこに改善点があったのか、もっと良くできる部分はなかったかを徹底的に話し合いました。
あえて「飢餓感」を残し、常に「まだ成長できる余地がある」という状態をキープすること。
それが、組織全体の緊張感を保ち、最強の軍団を作り上げる秘訣だったのです。
「完璧でなくていい。むしろ、少し足りないくらいが、明日への活力になる」
そう捉え直してみると、完璧主義に疲れてしまいがちな心も、少し軽くなる気がしませんか?
「毎日が初陣」の心構えで、日常の解像度を上げる

信玄のこの慎重な姿勢は、彼の部下たちにも深く浸透していました。
その象徴とも言えるエピソードが、武田軍の中でも最強とうたわれた「赤備え(あかぞなえ)」のリーダー、山県昌景(やまがた まさかげ)の言葉に残されています。
武田軍の精鋭部隊は、鎧兜から馬具、刀の鞘に至るまで、すべてを朱色に統一していました。戦場でひときわ目立つ「赤」は、敵に強烈な恐怖を与えるとともに、味方の結束を高める効果があったといいます。
この赤備えを率いた山県昌景は、生涯の戦いで一度も不覚をとったことがない、つまり「負け知らず」の猛将でした。
ある時、人が彼に尋ねました。
「あなたは数多くの激戦をくぐり抜けながら、一度も後れをとったことがないそうですが、何か秘訣があるのですか?」
昌景の答えは、意外なほど謙虚なものでした。
「二度、三度と続けて戦に勝つと、人間はどうしても自惚れてしまうものです。つい戦いを軽く見て、工夫をしなくなる。だから、思いがけない過ちを犯すのです」
そして、こう続けます。
「私は、勝っても自慢しないように自分を戒めています。いつも『今日が初陣(初めての戦い)』だと思って戦場に出ているから、一度も不覚をとったことがないのです」
「いつも初陣だと思え」。
ベテランでありながら、まるで新人のような新鮮な緊張感を持ち続けること。これこそが、彼の強さの源泉でした。
「何事も油断すれば錆(さび)がつくものである。武士は、寝ても覚めても油断してはならない」
昌景のこの言葉は、現代を生きる私たちへの警鐘のようにも響きます。
「油断しない」ということは、単にピリピリと張り詰めていることではありません。それは、「自分のやり方が絶対ではない」と知ることでもあります。
信玄の有名な言葉に「人は城、人は石垣、人は堀」があります。
どれほど堅牢な城を築いても、それを守る人の心が離れてしまえば何の意味もない。逆に、信頼で結ばれた人がいれば、それが最強の守りになるという考え方です。
実は信玄の父・信虎は、恐怖政治で家臣を支配しようとした人物でした。少しでも意に沿わないことがあると厳しく罰し、家臣や領民の心は離れていきました。
そんな父を反面教師とした信玄は、家臣たちの意見をよく聞く「合議制」を取り入れました。
そして、彼が定めた『甲州法度之次第(信玄家法)』の中には、こんな条文があります。
「もし私の言動に問題があるなら、身分に関わらず誰でも投書してほしい。必ず改める」
戦国大名という絶対的な権力者が、「下の者からの批判を受け入れる」と公言したのです。
自分は完璧ではない。間違うこともある。だからこそ、周りの意見に耳を傾け、常に軌道修正していく。この「謙虚さ」があったからこそ、家臣たちは「この大将のためなら」と命を懸けて戦うことができたのでしょう。
独りよがりにならず、常に周囲にアンテナを張り、自分の振る舞いを省みる。
「耳を立て、目を開いてあらゆることに関心を持ち、緊張を解かないこと」
信玄が家法で説いたこの姿勢は、戦場だけでなく、円滑な人間関係を築くための極意でもありました。
今日を、新鮮な気持ちで迎えるために

武田信玄と山県昌景。戦国最強と呼ばれた男たちが最も大切にしていたのは、派手な武勇伝ではなく、「油断を排し、常に初心を忘れない」という地道な心のあり方でした。
人生は、ある意味で「慣れ」との戦いかもしれません。
仕事の手順も、家族との距離感も、自分の体調管理も、なんとなく「わかったつもり」になってしまいがちです。
しかし、昨日と同じ今日が来るとは限りません。
慣れ親しんだ日常の中にこそ、見落としている大切な変化や、小さな幸せ、あるいは修復すべきほころびが隠れているかもしれません。
「勝ちは五分でいい」
完璧を求めて自分を追い込む必要はありません。少し余白を残すくらいが、明日への成長の種になります。
「いつも初陣だと思え」
毎朝目覚めたとき、「今日はどんな新しい発見があるだろう」と、まるで初めてその日を迎えるような気持ちで一日をスタートさせてみるのはどうでしょうか。
「何事につけても常時油断をしないこと」
この言葉を、怖がるための戒めではなく、人生をより深く、丁寧に味わうためのスパイスとして受け取ってみてください。
緊張感という名のスパイスが、見慣れた景色を鮮やかに変え、私たちの日々をより豊かで味わい深いものにしてくれるはずです。
今日も背筋をすっと伸ばして、新しい「初陣」の一日を、清々しい気持ちで始めてみませんか。
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