こんにちは。コーヒーおじさんです。
「最近、どこに行くかより、誰と行くかが大事だって分かってきた。今日は、このメンバーで来ることができてよかった」。おわら風の盆の帰り道、彼女がつぶやいた一言から楽しみの本質について考えてみました。最初は甘々ですが、最後はビターな大人の味?です。
あの日、彼女は僕たちに言った。
「おわら風の盆」といえば、毎年9月1日から3日にかけて行われる、富山県八尾の伝統行事。傘で顔を隠した男女が、哀感あふれる胡弓の調べにのって「越中おわら節」の優美な踊りを見せてくれます。
おすすめは8月20日から30日に行われる「前夜祭」。毎晩いくつかの町が、それぞれの町内で「町流し」や「舞台踊り」などを行い、町全体が幻想的な雰囲気に包まれ、目の前にファンタジーの世界が現出します。
日本の繊細な情緒あふれる「おわら風の盆」は、海外の方はもちろん、神経を使う仕事で凝り固まった頭と心をほぐしたい、都会のビジネスマンやOLの方にもぴったりです。
30代の頃、そんな「風の盆」の前夜祭に、仕事つながりの男女8人で行ったことがありました。町流しや舞台踊りを堪能し、ファンタジーの世界から現実世界へ戻って帰ろうとしたその時、メンバーの女性の一人が何げなく言った言葉が、今も忘れられません。
彼女は言いました。
「最近、どこに行くかより、誰と行くかが大事だって分かってきた。
今日は、このメンバーで来ることができてよかった」
たぶん誤解されたと思うので補足すると、彼女は私に向かってこう言ったのではなく、他の女性メンバーに向かって言いました。(私=あとで伝え聞いた人)
よって「このメンバー」の中に、私が含まれているかという件は、ビミョーです。
そしてもちろん、彼女の発言は「おわら風の盆」の魅力を、1ミリも否定したものではありません。彼女を含めて私たちは、その幻想の世界を十二分に堪能していたからです。
けれどもこの一言が私の心に深く残ったのは、彼女の言葉にたぶん自分の中でもやもやしていた、この世の楽しみについての本質的な部分を言い当てられた気がしたからだと思います。つまり「どこに行くかより、誰と行くかが大事」ということを。
楽しいことは「消費」しておしまい
私たちの欲望は、「何かおもしろいことはないか」「もっと楽しいことは」「もっと刺激的なことは」「誰も見たことのないドラマ、映画、小説、音楽、演技をみたい」「もっと、もっと」とふくらむ一方ですが、一度それを経験してしまうと、もう同じ程度のものでは喜べなくなって、つまらない日常に逆戻りします。その消費の(飽きる)スピードは、ネット社会になって、ますます速くなっているのではないでしょうか。
みんなを驚かせるために危険行為を撮影し、本当に命を落としてしまったユーチューバーのニュースが時々耳に入ってきます。驚きを味わう楽しさは強烈ですが、消え去るのも早く、見る側も与える側も、もっと、もっと、と駆り立てずにおきません。やがて、何もかも既視感を覚え、つまらなくなってきます。
そうなるともう、どこに行こうが「いつか見た風景」で、「どこに行くか」では、満足感を得られそうにありません。
定番イベントも「誰と行くか」がキモ
例えば、季節ごとの定番イベントって、いくつかありますよね。夏なら海水浴とか、花火大会、夏祭りとか。
中には一人で楽しめる人もいるかもしれません。でも私は昨年、体感しました。「物思いにふけりたい場合を除き、一人で見る花火大会ほど物悲しいものはない」と。
かといって、誰とでも一緒にいけば楽しいかというとそうでもなく、中学時代、男子2人で地元の花火大会に行ったことがありましたが、その時、味わったむなしさは二度と行くまいと決意させるに足るレベルのものでした。
そんな「おもしろいはずのイベントなのに、なぜかつまらない」体験を重ねれば重ねるほど、「どこに行くかより、誰と行くかが大事」という彼女の言葉がよみがえってきます。
「それ、友達が少ないからじゃない?」と突っ込まれる前に、一応、自分で突っ込んでおきます。
どんな生活するかより、誰と生活するか
そういえば、マンガ『きょうは会社休みます。』(藤村真理著)にも似たようなフレーズがありました。
2014年にテレビドラマ化もされたので、ご存じの方もあると思いますが、彼氏いない歴33年のОL・青石花笑(あおいしはなえ)が、会社のアルバイトで21歳の大学生・田之倉悠斗(たのくらゆうと)と付き合うことになる、憂いを抱えた大人の恋愛物語です。
その中で、花笑と田之倉が出会ったある夫婦が、「結婚って、どんな生活するかより、誰と生活するかが大事だと思う」という内容を語る場面があります。
確かに、本当に好きな相手となら、豪邸に暮らさずとも、海外を遊び歩かなくても、高級ホテルに泊まらなくても、近所のスーパーで一緒に買い物をするだけで楽しいかもしれません。部屋で何もせず、ごろごろ過ごすだけでも心地いいはず。それどころか、苦労イベントでさえ、楽しみになるかもしれません。
パートナーが仕事や家事や育児でストレスを抱えてキレそうな時、このフレーズは効きそうです。……今度、言ってみようかな。
「ほら、結婚って、どんな生活するかより、誰と生活するかが大事っていうよね」
でもあっさり「どんな生活するかも大事でしょ」と反論されそうな気がしてならないのは、なぜだろう。
「どう生きる」より大事なこと?
というわけで、ここまで「どこに行くかより誰と行くか」が大事そうな件について、あれこれ考えてみましたが、これらはみな「どうすれば、この世の楽しみをより多く得られるか」という、いわば「どう生きるか」の話でした。その結論としては、幸福感を得るには、なんとなく、どこに行くかより誰と行くか、のほうが(あくまで経験的な比較では)重要に思える、ということですが。
でも、人間にはどう生きても避けられない未来=「死」があります。
私たちの人生は、ちょうど滝つぼに向かって流れる川を、船でくだっているようなものと例えられるかもしれません。私たちは船の中で「どこへ行くか」「誰と行くか」「どんな生活するか」「誰と生活するか」、どちらが楽しめるかと考えていますが、その船まるごと刻々と滝つぼに向かって進んでいるとしたら……実はそれこそが、人生を覆っている不安やむなしさの正体で、何を得ても何をやっても満たされない根本原因だと指摘する哲学者があります。ということは、本当に楽しい毎日を手にいれようと思ったら、「どこへ行くか」「誰と行くか」というレベルを超えて、その根本原因を取り除かないといけませんよね。
それについては、長くなりますので、こちらの記事をお読みください。
最後に、毎年「おわら風の盆」で踊りを見せてくださる地元の皆様、ありがとうございます。暑い夏のさなかに練習をされ、残暑厳しい中を、前夜祭から9月3日まで踊り続けられるのは体力的にも大変なことと思います。「風の盆」に魅了された一人として、感謝と敬意を込め、心よりお礼を申し上げます。
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