幸せとは

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『天空の町』南米ラパスの旅 ~あるバックパッカーの死~

こんにちは。ライターの村松です。

世界を旅していると、「どこの国が一番良かったですか?」という質問をよくされます。

私が訪れたのは広い広い世界のほんの一部ですし、それぞれの国には比べることができないくらいたくさんの魅力があり、なかなか一つの国を選ぶことができません。

しかし、私の人生を変えるくらい大きな印象の残る場所のひとつが、南米ボリビアの首都「ラパス」という町です。

貧困街が広がる天空の町

世界で一番標高が高く「天空の首都」と呼ばれるラパス。

富士山と同じ3650mを超える高地にこんなにもたくさんの人が暮らしているなんて、最初は驚きました。

坂道が多く、ゆっくり静かに歩かなければすぐに息が切れてしまうほどです。

ラパスの町は、すり鉢状になっている底の部分に位置し、山の上から街を見下ろすと驚くほどの絶景が広がります。

特に夜景は美しく、都会のように冷たい光ではない、家一つ一つ、街灯一つ一つに温かい人々の生活を感じることができ、それが何千何万も集まって光の海が広がっているようでした。

とても美しい景色なのですが、どうしてこんな光景が広がったのでしょうか?

すり鉢の底と上層部では400メートルの標高差があり、長年この高地に暮らす人々でさえ、酸素濃度によって体調にさまざまな影響を受けるのだそうです。

そのため、経済的に余裕のある裕福な人々は「すり鉢」の底辺部に住むことができ、余裕のない人たちは上層部に住むという形になっています。

この美しい光景は、貧富の差から生まれたものだなんて・・・

なんともいえない複雑な気持ちになりました。

ケチャップ強盗!?詐欺集団にご注意を

ボリビアという国は経済的に貧しいこともあって、その街並みはボロボロですが、私たち旅行者にとってはレトロで美しい街並み、歩いているだけで本当に楽しい街です。

さらにグルメの街としても有名で、当時は一食150円ほどで美味しいものがお腹いっぱい食べられました。

日本の醤油を隠し味に使っている料理も多く、日本人の口に合う味です。

その反面、ケチャップをかけて服を脱がせている隙に金品を盗む「ケチャップ強盗」などの犯罪も多発していたので、治安には気をつけているつもりでした・・・。

ある日、とある観光スポットへ行くため片手に地図を持って歩いていた私。

そこへ自分も旅行者だと名乗る女性があらわれ、「私もちょうどそこへ行くから一緒に行きましょう!」と誘われます。

仲間ができたことが嬉しくて、おしゃべりをしたり写真をとったりしながら2人で歩いていると、突然、警察官だと名乗る男が現れます。

警察官:「パスポートを見せなさい」

女旅行者:「私は見せるわ。あなたも早く出した方がいい」

なんとなく不審に思い、パスポートを出すのをしぶっていると、突然そこにタクシーが現れ、

警察官:「警察署で話を聞くから、タクシーに乗りなさい!」

これは詐欺だ!と気づいたと同時に無理やりタクシーに連れ込まれそうになる私。

ここラパスでは日常茶飯事のことなのか誰も助けてくれません。

結局なんとか無事に逃げ切ることができましたが、女と警察官とタクシードライバーの3人はグル、ラパスで頻発していた典型的な詐欺集団だったのです。

ケチャップ強盗ばかりに気を取られ油断していた自分への自己嫌悪と、「ラパス=平和」という名前の街ながらもその治安の悪さにとてもショックを受けました。

日本の裏側で愛される「おしん」

そんな怖い思いをして、ラパスという町が嫌いになりそうになっていた次の日。

昨日の教訓で、「街を歩くときは地図を持たない」と決めた私は、なるべく現地の人になじむように歩いていました。

ところが案の定、方向音痴の私は道に迷ってしまい、途方に暮れた末、優しそうなおじさんにつたないスペイン語で声をかけました。

「Donde estoy ahora? (私は今どこにいますか?)」

もちろんおじさんは優しく教えてくれたのですが、そのうち「その道はちがう!こっちだよ!」というおばさんが現れ、ものの5分もしないうちに私のまわりには10人ほどの人だかりができてしまいました。

そのうち、誰かが私のことを

「Oshin! Oshin!」

と呼び始めたのです。

そうです。あの「おしん」です。

今から30年以上前に日本を一世風靡した朝ドラ『おしん』は、なんと地球の裏側にまでそのブームが広がっていました。

当時、日本の戦後復興を生き抜いた人々の心に深い共感を呼んだ「おしん」は、特にボリビアのような貧しい国々でも爆発的な人気となったそうです。

貧困や家族の死別など、いくつもの苦難を乗り越え生き抜く姿、どんなに苦しい状況でも辛抱・忍耐し、必死に立ち向かう姿は、国を超えて人々の心を感動させるのかもしれません。

ラパスの人たちには、道に迷って困っている私と「おしん」が重なって見えたのでしょう。

鳴りやまない「おしんコール」に恥ずかしさを覚えながらも、見知らぬ日本人に温かく接してくれるラパスの人々の優しさに心が温かくなり、日本人で良かったなと思える瞬間でした。

危ない目に遭い、初めは早くこの町を出たいと思っていましたが、ラパスの人々の温かさに助けられ、私は再び旅を続けることができました。

ラパスで亡くなったある日本人バックパッカー夫婦

ラパスに美味しい日本料理屋があると聞いて、ある日行ってみることにしました。

そこで私は衝撃的な話を聞くことになったのです。

少し前、このラパスの街で、ある日本人バックパッカー夫婦が息を引き取ったということ。

2人で世界一周をしていた仲良し夫婦。

そのブログはいつも人気上位にあがり、私も名前を知っているほど、バックパッカーの間では有名な夫婦でした。

夫婦で世界一周なんて素敵!

私もいつか結婚したら夫婦で世界一周したい!

そんな風に憧れていました。

ところが、ラパスのとあるホテルのトイレで女性の遺体が発見され、その夫も搬送先の病院で死亡。

アフリカでかかったマラリアが、南米のボリビアに入ってから発症。

マラリアは予防も治療もできる病気ですが、不運にも、夫妻はマラリアを南米特有の高山病と勘違いし、病院へ行くのが遅れてしまったことが原因でした。

海外へ行くと、病気やケガ、スリや強盗など「危険」に対してはある程度意識しています。

ところが、本当に恐ろしいのは「死」であり、その「死」というものが決して遠い存在ではないことをこの時思い知らされたのです。

それは海外にいるからということではなく、日本で生活していても、気づかないふりをしているだけで、私たちはいつも死と隣り合わせなのです。

私は南米の旅に出る前、心配する両親に「死ぬのを覚悟で行くから大丈夫!」と言いました。

ところが実際にはそんな覚悟なんて全くできていなくて、「死」というものの上っ面しか見ていなかったと心から思いました。

旅行中に死んだのはもしかしたら自分だったかもしれない。

ここで死んだら私は絶対に後悔する。

死ぬのは怖い。

死にたくない。

「どうせ死ぬなら広い世界を見てから死にたい」

「好きなことを楽しくやって死ねたら幸せだ」

と、私が今まで信じてきた幸せや人生の価値観が大きく崩れ始め、このラパスの旅で感じたことは、日本に帰ってからもしばしば頭をよぎるようになりました。

この世界のどこかに「死」を目の前にしても後悔しない、崩れることのない、そんな幸せはないのだろうか?

そんなことを思い始めたのです。

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この記事を書いた人

会社員:村松 佳苗

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