みなさんは、「ロシア」という国にどんなイメージを持っているでしょうか?
寒くて、暗くて、なんだか怖い?
そんな謎めいた印象のあるロシア。
日本からは比較的近い国でありながら、ロシアのことはほとんど知らない日本人が多いのではないでしょうか。
私は過去に2度ロシアを訪れていますが、この国の本当の素晴らしさや奥深さは、実際にそこで生活し、ロシア語を話すようになってはじめて理解できるような気がしています。
私の人生に大きな影響を与えることになったロシアの旅を紹介したいと思います。
人生初海外!貨物客船で訪れたロシア極東の町ウラジオストク
私の人生で初めての海外旅行は、ロシア語勉強中の友人4人と行ったウラジオストクでした。
富山県の港からウラジオストクまで、今はなき「ルーシ号」という貨物客船が運航しており、乗客のほとんどは中古車販売業者のロシア人、そして満載に積まれた自動車やトラック・・・船上での出国審査にドキドキしながら、不安と期待で乗り込んだのでした。
3日間を過ごした船の中では、ロシアの大男に睡眠薬を飲まされそうになるという危険なハプニングもあり、すでに恐怖いっぱい、泣き出しそうな旅のはじまりでした。
しかし、それを吹き飛ばすくらいに心温まる素敵な出会いもあったのです。
船の中で出会ったロシア人のアレクサンドル。
彼は日本が大好きで、日本の民芸品や雑貨などをときどき買い付けに来るそうです。
そして、出会ったばかりの私たちを、なんといきなり家に招待してくれたのです。
私にとっては衝撃でした。
名前も知らない外国人を、いきなり家に誘うなんて!
だまされているんじゃないか?
殺されるんじゃないか?
疑いと不安ばかりが頭をめぐり、返事に困っていると、「ロシアのごく平均的な家の、ごく平凡な生活をぜひ日本人に見てもらいたい」とアレクサンドルは言いました。
それを聞いて、私はこの人を信用してみようと、お宅へお邪魔することになったのです。
おもてなし好きで実は明るいロシア人
ロシア語には、『гостеприимный(お客好き、もてなし上手)』という言葉があります。
自分の家にお客を呼んで、人をもてなすことが大好きなのがロシア人です。
招待してくれたアレクサンドルの家は、квартира と呼ばれる古い共同住宅で、決して裕福ではありませんが、奥さんと2歳の娘さんと幸せそうに暮らしていました。
奥さんは、見ず知らずの外国人がいきなり5人もやってきたにも関わらず、ボルシチやペリメニなどたくさんのご馳走を用意して、温かいおもてなしをしてくれました。
だまされているんじゃないかと、ずっと疑っていた自分が恥ずかしくなるくらいに、彼らは純粋に私たちを受け入れてくれました。
その優しさが本当に嬉しくて、お酒が飲めない私もつい勧められるままにウォッカを飲みかわし、そのあとのことはよく覚えていません(笑)。
しかし、相手を喜ばせたい、おもてなしをしたい、という温かい布施の心が、これほどまでに人を感動させるものなのだということをロシアの旅で初めて知りました。
そして、偽りや見栄のない、ありのままの自分たちの生活を見てほしいというこの家族の誠実さに胸が熱くなりました。
もし自分が逆の立場になった時、たとえ言葉が通じなくても、その人は日本になにかしらの縁があってやってきてくれた人です。
日本人代表として、自分も最高のおもてなしをしようと心に誓いました。
宗教について考えるきっかけとなったロシアでの寮生活
2度目のロシアは、1年間のモスクワ語学留学でした。
短いながらも、ロシアの生活を肌で感じ、春夏秋冬それぞれの季節のロシアを体験することができました。
大学での授業や、観光、買い物など思い出はいろいろありますが、留学生活の中で最も印象に残っているのは、学生寮で世界各国の若者とたくさん話ができたことです。
世界の若者は、本当によく「ディスカッション」をします。
夜になると誰かの部屋に集まり、食事やお酒を飲みながら、自分の国の話や政治・経済・文化・宗教、もちろん恋愛の話まで、さまざまな話題で白熱した議論をします。
日本でディスカッション経験のない私は、自分の意見をハッキリ言えるみんなに圧倒され、さらに日本のことすら何も知らない自分に気づき、日本人として恥ずかしい思いを何度もしました。
ある時ロシア人の友人から、「日本は仏教の国だと思うけど、あなたは何の宗教なの?」と聞かれました。
日本では一度もされたことのない質問。
私はびっくりしてしまいました。
当時、自分の家が浄土真宗だということも知らず、もちろん宗教について考えたこともありませんでした。
(まぁ、日本は仏教だと思うけど、とくに仏教を信じているわけでもないし・・・
ロシアはロシア正教だからキリスト教とは違う宗派なのかな?
仏教徒だと言ったら、敵対視されるかも・・・)
そう思った私は、こう答えました。
「私は無宗教。しいて言えば、自分を信じているかな」
これがベストな答えだと思って自信満々に答えたのですが、相手は不審な表情で言いました。
「何も信じるものがないなんて、かわいそう」
「なぜ生きる」を教える仏教
ロシアでの出来事をきっかけに、私は「宗教っていったい何のためにあるんだろう」と考えるようになりました。
すると、「私は無宗教だ」と言いながら、その生活には知らず知らずのうちに仏教の教えが根付いているんじゃないかということに気が付きました。
例えば、「ありがとう」の語源は、人間に生まれることがいかに「有難い」ことかを教えた仏教のお話にあります。
食事のときの「いただきます(合掌)」にも、他の動物を殺さねば生きていけない人間の恐ろしさと、命をいただくことの感謝を教えた仏教の深い意味が込められています。
そして小さな頃、祖母によく言われた、
「誰も見ておらんでも、悪いことはしたらいけん。仏さまは必ず見ておられるから、悪いことしたら地獄に堕ちるぞ」
という言葉は、大人になった今でも心の片隅にずっと残っているのです。
そして、ロシア留学中のあの時、「信じるものがないなんてかわいそう」と言われた意味が、今は分かるような気がします。
私たちはいつも仕事やお金や人間関係に振り回され、くだらないことに悩み苦しんで、本当の幸せはいったい何なのか、自分は何のために生まれてきたのか、人生で一番大切な「なぜ生きる」を忘れてしまうからです。
当時の私は格好つけて「自分を信じている」と言いましたが、「自分を信じる」ことほど移ろいやすく、あてにならないものはありません。
私たちが生きていくには、決してゆるがない大きな軸が必要なのです。
実は今、世界の人たちが最も知りたいのは、キリスト教でもイスラム教でもなく、仏教についてなのだそうです。
私の友人にも、仏教を学びたいと日本へ移住してしまったロシア人がいますが、それくらいに、何を信じるかは人生にとって大事なことなのだと思います。
これからどんどん日本は国際社会になっていきます。
自分が生まれ育った日本という国についてしっかり答えられるようになること、そして、海外の人から「仏教ってどんな教え?」と聞かれたとき、自信をもってその教えを伝えられることが、日本人として大きな価値となる時代になっていくのかもしれません。
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