幸せとは

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みんな同じでみんな違う~今、日本がシンガポールから学ぶこと~

こんにちは。ライターの村松です。

今や世界でもトップクラスの経済大国になったシンガポール

シンガポールを旅して特に印象に残ったのは、とにかく「優秀な人が多い」ということ、そして「みんな違うのが当たり前」という感覚でした。
 
学校でも会社でも、「みんな同じ」が要求される日本にとって、今シンガポールから学ぶべきことがたくさんあるのではないでしょうか?

なぜシンガポールは罰金が多いのか?

シンガポールに降り立って、まず気づくのが、街がとてもきれいで治安が良い!ということでした。

実はこれ、多くの罰金制度があるおかげなのだそうです。

ゴミのポイ捨てや、路上にツバを吐く、指定場所以外での喫煙に罰金が科されるのは当たり前、他にも、

・チューイングガムの国内持ち込み禁止
(ガムのポイ捨てではなく、国内に持ち込むことすら禁止されています)

・トイレの流し忘れ禁止
(初犯でも9,000円、再犯だと3万円の罰金だそう・・・)

・電車内やホテルにドリアン持ち込み禁止
(シンガポールではポピュラーなフルーツですが、その匂いは強烈です)

なにもここまでしなくても・・・と思うほどの禁止事項ですが、徹底的な環境整備があったからこそ、文化や習慣が異なる多民族が安全に暮らすことができ、海外からも多くのビジネスマンや観光客が集まるキレイな街になったのでしょう。

そして、国全体でも東京23区ほどの大きさしかなく、資源もないシンガポールが、世界で生き残っていくには、相当な覚悟と努力が必要だったのではないかと思います。

他の国からどう思われるか?そんなことは関係ありません。

良いと思われるものはどんどん取り入れ、挑戦を恐れず、独創的なアイデアを取り入れることで、世界の人々を魅了する経済大国のひとつとなったのです。

カジノで井戸端会議!?

新しいものを柔軟に取り入れてきたシンガポールの中でも、特に驚いたのが「カジノ」のあり方でした。

シンガポールにはいくつかのカジノ施設がありますが、その中のひとつ、セントーサ島というところにあるカジノへ行った時のことです。

ここは複合リゾート地ということで、ユニバーサルスタジオや水族館など、子供たちが楽しめるアトラクションのすぐそばに、大人しか利用できないカジノがあります。

パスポートさえ提示すれば簡単に入場することができ、ドリンクは無料で飲み放題、施設内はとても明るく治安の悪さは全く感じませんでした。

中に入ってみると、50~60代の主婦らしき女性たちが井戸端会議をしながらルーレットを楽しんでおり、想像と違う光景に私はびっくりしました。

シンガポールでは、「お母さんもたまにはカジノで友達と楽しんでおいでよ!」と、親へお小遣いを渡す子供も多いそうです。

シンガポールの若者は、経済的にも精神的にも自立しており、親をとても大切にしています。

そして子供たちの優しさを素直に受け取り、楽しい時間を過ごすことのできる親の姿にも心の豊かさを感じました。

・治安が悪くなる

・ギャンブル依存症が増える

など、日本ではカジノに対してマイナスの意見も多いです。

もちろん、シンガポールでもカジノ建設に対して最初は反対が50%ほどいました。

しかし、国がカジノの入場料の一部を、学校や病院建設などに使うようになってからは、住民からの反対はほとんどなくなったといいます。

そのカジノは、今では大きな経済効果を生み出し、国民の生活を豊かにする貴重な財源となっているからです。

カジノ自体は良いものでも、悪いものでもありません。

カジノを悪にするか、それとも幸せな暮らしをするきっかけにできるかは、私たちの心次第であるということを考えさせられる機会になりました。

多民族国家としての生き方

もともと資源がなく、ほとんどの農作物を外国からの輸入に頼るシンガポールは、優秀な人材を世界中から集め、多くの移民を受け入れることによって成長してきました。

そのため、ここにはたくさんの人種が集まっています。

中国人街、インド人街、アラブ人街など、歩いているだけで本当に多くの民族がここで生活しているのを肌で感じます。

仏教寺院があり、ヒンドゥー教寺院があり、すぐそばにはイスラム教のモスクがあります。

子供たちは人種に関係なく同じ学校で学ぶため、英語・中国語・マレー語を話すトライリンガルも少なくありません。

ひとつの国の中に、肌の色も服装も言葉も食べるものも異なる人々が共に暮らしているということが、日本で生まれ育った私にとっては非常に新鮮なことでした。

ここに住む人々にとっては、「他人と違うことが当たり前」なのです。

「違う」ということすら意識していないように見えました。

肌の色が違うからといっていじめられることもなければ、髪の色やスカートの長さを注意されることもありません。

「みんなと同じように」と教育される日本人は、ルールや順番を守ったり、協調性といった長所がある一方で、足並みをそろえることができない人間にとっては生きづらい風潮も作ってしまったように思います。

どちらが良い悪いということではありません。

私たちが生きていくためには、ひとりひとりの個性も大事ですし、同じくらい人と協力し合うことも必要です。

みんな同じで、みんな違う

私たちが社会の中で幸せに生きていくためには、正しい平等観を、小さな頃から教えていくことが大事だと私は思っています。

2600年前、仏教を説かれたお釈迦さまは、カースト差別がはびこるインドで唯一「すべての人はみな平等」と説かれていました。

日本でも戦後、自由や平等という言葉が使われるようになりましたが、真の平等とはいったいどういうことなのでしょうか。

雨は平等にふりそそぎ、草木の大小によって雨の量を差別したりはしません。

しかし、草木のほうはというと、大きな草木は多量の雨を受け、小さな草木は少量の雨を受けます。

もし、大小の草木が同量の雨水を平等に受けたら、どうなるでしょう。

大きな草木にとっては水が足りず、小さな草木にとっては水が多すぎて、結局どちらも枯れてしまいます。

すなわち、平等にそそぐ雨は、不平等に受けさせて、平等に、すべてを生かすのです。

私たちの命も同じです。

草木に大小があるように、私たち人間も本当にみなそれぞれ、見た目も違えば、感じていること、見えている世界、何から何まで同じものはひとつもありません。

しかし、ひとつとして同じものがない中で、「人間に生まれてきた意味」だけはみな同じであると仏教では説かれています。

「人間に生まれてきた意味」を知り、自分の命も他人の命も、その命はみな等しく重いことが分かってはじめて、私たちはお互いの違いを尊重し自分らしく生きていくことができるのではないでしょうか。

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この記事を書いた人

会社員:村松 佳苗

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