人間関係

人間関係

夫婦喧嘩の解決法【第2回】夫婦は違う世界に生きているとは?

こんにちは、仏教講師の片山貴博です。
男性は火星人、女性は金星人と言われたり、男性と女性は同じ人類と呼ぶのは適切ではなく、男類、女類と呼ぶのがふさわしいとも言われますが、どうしてそれほど違うのか。実は男性女性に限らず、一人一人が違う世界に生きていると、お釈迦様は説かれています。その世界とは、どんなものなのでしょうか。

喧嘩は、分かり合えないところから

初めは、仲良く一緒にいることが幸せだった夫婦が、いつしか顔をあわせると喧嘩ばかりになってしまうことがあります。

どうして喧嘩が起きるのでしょうか。
その原因は様々ですが、「どうして分かってくれないのか」という気持ちが根底にあるように感じます。

分かってくれていると思うのに、分かってもらえていなかったと感じると腹立たしくなります。

だから普通は、見ず知らずの人に対してあまり腹を立てることはないでしょう。
身近な人に対してほど、怒りの心が起きるものです。

特に夫婦の場合は、一緒にいる時間が長いので、分かってもらえている、という思いが強く、それが裏切られたと感じると、怒りの心が起きてきます。

しかし、本当に夫婦は分かり合えるのでしょうか。

人は自分の生み出した世界で生きている

お釈迦様は、実は人間は一人一人、自分が生み出した世界で生きていると説かれています。これを業界(ごうかい)と言います。

新聞などでは、「ぎょうかい」と読むのですが、仏教ではこのように書いて、「ごうかい」と読みます。業が生み出した世界という意味です。

業とは、仏教の言葉で、私たちの行いのことです。自業自得という言葉がありますが、これは、自分のやった行い(自業)で、自分が結果を得る(自得)ということです。

業とは行いのことですが、お釈迦様は、私たちの行いを3方面から見られて、三業と教えられています。

・身業(しんごう)
・口業(くごう)
・意業(いごう)

の3つです。

身業(しんごう)とは、体でする行いを言います。
普通は、行いと言えば、体ですることをさしていますが、口業(くごう)、口でいうこと、意業(いごう)心で思うことも、行いであると教えられています。

これら3つをまとめて、身・口・意の三業(しん・く・いのさんごう)とも言われます。

お釈迦様は、その行いで生み出した世界で私たちは生きていると言われます。

行いが世界を作る

では、行いが生み出す世界とはどんなことでしょうか。

これは、同じものを見ても、同じことを聞いても、その人の行いによって全く違うように見える、違うように聞こえるということです。
もっと分かりやすく言うと、知識や経験、能力の違いによって、全く違って見えると言うことです。

例えば、時速100キロで飛んでくる野球のボールも、見る人によって全く違って見えるでしょう。
野球を全くしたことがない人が見れば、早すぎで、そもそも見ることもできないかもしれません。バッティングセンターに何度か行ったことがある人ならば、なんとかバットに当てることができるかもしれません。プロ野球選手が見ると、遅すぎて、かえって空振りしてしまうと言うこともあります。

これは能力によって見え方が変わってきます。同じボールも同じには見えないということです。違ったボールに見えているということです。

また「おぞうに」と言う言葉があります。
勉強会の時に、どんなものを想像しますかと参加者に尋ねると、色々な答えが返ってきます。

「醤油ベースで、もちが入っていて、具は、大根と人参ですね」
「うちのお雑煮には、みつばが入っていました」
「ぶりの照り焼きが上に乗っていました」
「うちの地元では、もちしか入ってませんでした」
などなど、色々なお雑煮が出てきます。

ちなみに私の地元、香川県でお雑煮と言えば、具は、大根と人参で、味付けは、白味噌で、もちは、丸い形で、中にあんこが入っています。そう言うと、びっくりされるのですが、香川県では、お雑煮と言えば、あんこが入っているものと思われています。同じお雑煮という言葉でも、それを見た(聞いた)一人一人が、違ったものを思い浮かべています。

これは、経験が違うために、違って見えるということです。
このように全てのものが、その人の知識や経験、能力によって、違って見えているということです。

全てが違って見えるということは、違った世界に生きているということです。

その知識や、経験や能力は、私たちの心と口と体の行いによって作り出されるものですから、行いによって作り出された、知識や経験、能力によって違って見える、業が生み出した世界、業界で生きていると教えられているのです。

共通した業があれば、分かり合える?


それぞれの人が、それぞれの業で生み出した世界で生きているということは、同じ業、つまり同じ知識や経験、能力があれば、同じように見えるということです。

共通した業があれば、同じように見えるので、分かり合える、気持ちが通じ合うことがあります。

田舎から出てきた人が東京や大阪などの都会で、同じ地元の人と出会うと、何か懐かしい気持ちがして、親近感が湧きます。

これを仏教では、共通した業、共業(ぐうごう)と言います。

共通した業を持つ人は分かり合えると言う意味です。
同じ、知識や経験、能力があれば、話が通じ合います。
同じスポーツをしている人は、そのスポーツの話題では、分かり合えます。
同じ音楽グループのファン同士は、その話題で盛り上がって急激に仲良くなれます。
友達になったり、恋人になったり、結婚したりという人は、そのような共業を持った人というのが多いのではないでしょうか。

この人なら分かり合える、通じ合えると思って、恋人になったり、結婚したりします。
しかし、共通しているといっても、ある程度までで、深いところに入っていくと、やっぱり違うということに気がつきます。
同じ映画が好きといっても、どの俳優が好きとか、場面が好きとかは、やはり違います。
同じ音楽グループが好きといっても、CDレンタルで満足という人もあれば、CDは全部揃えたいという人もあり、ツアーには、追っかけていくという人もあります。

分かり合えると思っても、深く付き合っていくと、やはり分かり合えないことに気がつくことがあります。
その分かり合えると思っていたところが、分かり合えなかったことに気がついた時にショックを受けたり、苛立ちを感じたり、怒りの心が起きてくるのではないでしょうか。

それが夫婦喧嘩が起きる大きな要因の一つといえるでしょう。
では、その見える世界の違いがどのようなトラブルを生み出しているのか、次回に詳しく書きたいと思います。

(つづきを読む)



人生の目的が5ステップで分かる
特典つきメールマガジンの登録は
こちらから

詳細を見る

関連記事

人生の目的とは 生きる意味やヒントを見つけるための特集ページです。

生きる意味やヒントを見つけるための特集ページです。